[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
日記にも書いていたように北京オリンピック公園に設置する国際彫刻コンペで朝野氏も入選されましたが、彫刻家はプラン(マケット)のみで実際の拡大制作は中国の職人たちが行います。それで仕上がり等のチェックと設置への説明等で彫刻家も北京へ招待されました。ちょうど花蓮シンポジウムの期間中の招待で、Corolineは早めに花蓮の制作を終えて北京へ行きましたが、朝野氏は職場の事情で途中で日本へ帰らなければならなかったので、北京へは行けませんでした。それで暮れに一人で北京へ行かれました。
以下、報告抜粋と画像です。
”昨年の12月20日から3泊4日で行って参りました。
北京郊外の石彫工房で私の作品が作られていました。ほとんど出来上がっていましたが、その出来が良くないので1日間そこで職人さんと一緒に仕事させてもらいました。職人さんとは言葉が通じませんが、仕事振りですぐに分かり合えました。
私の作品の傍には、緒方さんの作品やカロリーナの作品もほとんど出来上がっていました。ほかに2作の石彫作品がありました。そこの工房は、北京で一番大きな工房と説明されました。ヨーロッパ様式の柱やビーナス像などが多くコピーされていました。
北京はさすがに寒かったです。翌日は北京オリンピック公園の建設現場を見せてもらいました。その公園内に今回のコンクールで入選した約110基の彫刻が設置されるとの事です。内訳は、外国人作家の50基と中国人作家の約60基だそうです。5月には全部設置するとのことです。また、観光地へも行ってきました。故宮博物館(紫禁城)は修復中のところがありましたが、とても広大で歴代の皇帝たちが我々の想像もつかない生活をしていたことに深く思いをめぐらしました。”
☆今日も雨です。気温は冷え込みはありません。午後からは雨脚も途絶えるようになりましたが、雲は切れません。
午後半ばには明日搬入の作品の仕上げが終わりました。
厚みを厚くして扉を深くしたのは、拡大するとインドの岩窟のヒンズー寺院遺跡のようになるかな、というイメージでしたが、確かにそれは成功したかなという感触です。もちろん作品としてうまく成立しているかは、別の次元の話ですが。
このシリーズ作品は、初めはDubaiのプランとして中近東の寺院、民家の陰影の強い光と陰と風がテーマでした。これがインドのヒンズー寺院となると、コンセプトがまったく異なってきます。
花蓮で林勝煌さんが、私の作品の扉の向こうには観音様がいるのではないか(求めているのではないか)と指摘したことがありますが、同様に東洋的ヒンズー寺院空間では、扉の向こうとこちらを行きかうのは魂的なものなのかもしれません。
インドや東洋の宗教遺跡をテーマにした作品を作る作家はたくさんいます。石原秀雄、井田勝巳、崔召東といった私の友人たちが著名ですが、彼らに共通するのは階段です。魂の回廊としての意味づけでの階段なのだと思います。
しかし私の作品には階段は登場しません。私の作品の場合は扉が同様の象徴となります。
明日、会場に展示してライトの光を調整すれば、作品の意図ははっきりと浮かび上がってくるでしょう。
☆正月に同窓生たちと飲んだときに、このブログにコメントが出来ない、と指摘されました。
HPを更新するだけでも大変なので、あえてコメントできない設定にしてあったのですが、試験的にしばらくコメントできるように設定を変えてみました。
反応を見て、今後どうするかを判断したいと思います。
☆午前に石材店の霊標の仕事で町内の西平原の墓地へ行きました。
墓地の入り口にはじめて見る立派な地蔵があり、びっくりしました。
そしてひょっとして・・・と思って、帰宅して「高鍋の野仏」(高鍋町教育委員会発行)をめくると、やはりそうでした。
あの有名な”いぼとり地蔵”でした。
いぼを取るのに霊験あらたかで参詣が絶えないし、造形的にも優れていると聞いてはいましたが、恥ずかしながら今日の今日までどこにあるのかまったく知りませんでした。そういえば今日の墓の主のT家の隣にあると聞いていたことを思い出しましたが、T家のあった敷地はもう単なる藪となっており、周囲も墓地以外はまったく景観が変わってしまっています。
「高鍋の野仏」によると、この地蔵の正式名称は西迎院(せごいん)地蔵。ここの墓地が西迎院墓地と言います。由来によると、かつて龍雲寺にあったものだそうです。高鍋藩のほとんどのお寺は廃仏毀釈でなくなってしまいました。
建立年月日は不明ですが、台座には宝暦五(1755年)と彫られています。
石は桜御影石です。このあたりの野仏には多く使われています。隣町の木城町仁君谷に桜御影石の丁場がありましたので、おそらくそこの石ではないかと思います。
それにしても町内にこんなに大きなゆったりした地蔵があったことに非常に驚きました。
そしてこんなに有名な地蔵を、私がまったく今日まで知らなかったというのも仰天です。
☆今日の制作画像です。
☆今日は”美術展2008[ima]長崎”の搬入。
(ブログを書いている途中で17日になってしまったので、昨日のことになります)
昨夜から小雨が降り出し、朝のうちはまだ雨の残る中、7時過ぎに高鍋を出発。えびのまでは地道を走ってえびのから高速に乗りました。
えびのSAの「田の神さあ」。私の作ったものです。
設置当初からお賽銭がたくさん上がり、このお金はどうなるのかな・・・・と思っていましたが、ちゃんと行き先が決まっていて安心しました。
これは長崎の近くの川登SA(佐賀)のちゃんぽんの看板。
私が佐賀大学の専攻科へ入ったときには、佐賀はどこでもとてもおいしいちゃんぽんが食べられて感激しました。佐賀のちゃんぽんにはとろみがついていてとてもおいしかったのですが、私が卒業してからはいつの間にかおいしいちゃんぽんを食べさせてくれる店がほとんどなくなってしまいました。
そう、この看板のように長崎ちゃんぽんに近くなってしまったのです。
☆午後2時前に長崎市ブリックホールへ到着。作品を搬入しました。私は遠藤周作文学館に設置の予定でしたが、連絡がうまく行ってなくていつものようにブリックホールに設置しました。
(詳しい事情はHP日記のほうに記述)
メイン会場のブリックホールです。
搬入の後は、いつものコースで近くの”江山楼”浦上店で特製ちゃんぽんを食べました。
長崎へはこの特製ちゃんぽんを食べに行くようなものです。
一番上にはふかひれが載っています。
とてもクリーミーなスープで上品なちゃんぽんです。1575円ですがとてもおいしいのです。
以前は小粒の牡蠣が入っていたのですが(長崎のちゃんぽんには牡蠣が入っているのが特徴)、2年前から入らなくなりました。やはり牡蠣が入っているのとそうでないのとは味がぜんぜん違います。
長崎市内にはほぼ1時間の滞在で、とんぼ帰りで長崎を後にしました。
画像は大村湾です。いつ見てもとても長閑で美しい風景です。
画像は研磨の前の朱墨着色の状態です。こうすることによって傷の取れ具合が分かりやすくなります。
私が”再生”シリーズでベンガラを使うようになったのも、この着色過程でのヒントに在ります。
研磨が終わってこれから扉の最終仕上げに入るところです。
しかし久しぶりに黒御影石を磨いたら、仕上げてみると見るも無残ないい加減な磨きでした。
展覧会が終わったら最初から磨き直しです。
いろいろ未解決のところがありますが、この”The door of the wind”シリーズを初めて黒御影石で作ってみて、黒御影石でも大丈夫だという手ごたえを得ました。今後、いくつか試行していきたいと思います。
海外の作家たちから年末年始にGreetingメールをもらっていましたが、これといった画像がなく返事を出していませんでした。
それで今日の作品画像に文字を入れて遅ればせのGreetingメールを海外作家宛に一斉送信で送りました。
今年初めての作品、出来立てほやほやの作品での新年の挨拶です。