[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
☆昨日の雪は山間部では積もったようですが、昨日の画像でお見せした近在の山には積雪は見られませんでした。
今朝もそれほどの冷え込みはありませんでした。
風がないととても暖かいのですが、風が強いので冷え込みます。
屋外では防寒ジャンパーで身を守っても、風のない室内や車内に入るととたんに暑くなります。
☆郵便局の民営化というのは実に奇怪なことを行わせています。
年賀ハガキは表からの郵便局の窓口にはもう無地の在庫はまったくないのですが、同じ郵便局の裏口から入るとそこにはたんまり在庫があって普通に買えるのです。
詳しいことはわかりませんが民営化によって一つの郵便局の中にまったく管轄の違う窓口が設けられているようです。
郵便受付窓口と配達は別の事業になったというあたりは聞いていますが、年賀ハガキを売るのに表では買えなくて裏口では買えるというのは狐にだまされているようで、国民を馬鹿にしているのかと言いたくなります。
普通のインクジェット紙ハガキを買いに郵便局へ行って、裏口へ回されて品切れのはずの年賀ハガキを買ってきた私です。
☆今日は夕刻から近くの山へ行って竹を切って来て、我が家の玄関口の竹垣を修理しました。
本当は先日の法事までには補修したかったのですが、時間が取れませんでした。
見よう見まねで片方の竹垣を新しくしました。
これで清清しくお正月を迎えることが出来ます。
(画像ではまだ未完成の段階)
☆さて2007年も今日で最後です。
台湾からの画像報告のために始めたこのブログですが、HP日記のほうと重なることも多かったですが、ブログでは出来るだけ片肘の張らない柔らかな視点からの報告を心がけたつもりです。
来年も出来るだけHP日記とは異なった観点からの画像報告が出来るように心がけたいと思います。
今夜は年越しそばを食べた後は例年通り近くの火産霊神社で年越しです。
皆様、良いお年を!
小丸川堤防から見た雪雲のかかった山手。
右手が尾鈴山連山
左手が西都市の山々
いっぽうこちらは近所の空き地。
ポツリと造花が刺さっているのかと思ったらコスモスでした。
周囲にはまだコスモスが咲き群れています。
またこちらは高鍋駅の前では築山のフェニックスが伐採・撤去されていました。
病気で枯れてしまったのでしょうか?
☆いよいよ今年も明日まで。
大掃除も一段落して、さて年賀状を印刷しようとコンビニへ行くと、どこへ行っても無地の年賀状がありません。
コンビニ以外の販売所へ行ってもまったくありません。店の話では、郵便局が真っ先に品切れになったということです。
こんなことは初めてだといいます。
民営化の結果だという店主。
ほんの数日前まではコンビニにまだあったという妻。みんな年賀状を書くにはクリスマス後だという統計が出ていますので、ここ数日で一気に無くなったのではないのでしょうか。
郵便局にもないということは、もう年賀状は買えないことになります。
パソコン用ハガキに印刷して切手を貼るか、普通のインクジェット用ハガキに印刷するより手がありません。
しかし売れ残っている柄入り年賀状を見ると、柄が強すぎて文字が書けないものばかりではないですか?!
そういえば印刷所が、今年の年賀状は柄ものは文字印刷が見えづらいと言っていました。
どうにも民営化による悪いものが表出してきたのではないのでしょうか。
今日のニュースではすでにあちこちで年賀状が配達されるトラブルが生じているし。
今日の午後には妹たちも帰り、疲れがどっと出ました。
法事にあわせて、父の書き残していた手書きの家系図をパソコンで打ち直し、叔母や帰省した妹たちから聞いた補足説明を加えたものを法事の席で配りました。
田中家は人間関係がとても複雑で、みんなあまりどういう親戚関係なのか良くわからないまま付き合いをしているので、家系図はみんなに喜んでもらえました。
よく調べたねといわれましたが、私は父の書き残していたものをパソコンで打ち直しただけですので、父の驚異的な記憶には舌を巻きます。
私は特に”親戚音痴”で、誰がどういう関係なのかまったくわかりませんでした。
ここ数日の打ち込み作業で、初めてわかった親戚関係がほとんどでした。
帰省した妹たちの記憶や、昨日の法事の席でも新たにわかったことが多くありました。
古い写真をいくつかスキャンしていて(我が家は私の中学1年春休みに大火に遭っており、写真は焼け跡から出てきたものばかり)、こんな珍しい写真を見つけました。
父は大正12年に開校した高鍋中学校の第1期生です。
これはその高鍋中学校時代のものだということです。後列の中央が父です。一緒に写っている同級生は父が終生仲良くしていた方々のようです。中には晩年までおしゃれな格好をしてローラースケートを履いていた超有名なYさんも居られます。私たちにはどの少年がYさんかわかりませんが。
まさに好き大正時代のモボを感じさせる写真です。
☆今日は雲も切れて風もなく陽射しを浴びているととても暑い陽気でした。しかし日が陰るとたちまち底冷えです。
☆台湾・花蓮の恵美さんが13日に彫刻の代金を銀行から振り込んで下さったのに、まだ私の口座に入りません。
私が花蓮にいたときに、何度か事務局に私の口座宛の振込みを依頼しましたが、いずれも翌朝にはちゃんと入金になっていました。
花蓮の銀行で調査をしてもらうようにお願いしているのですが、お二人とも多忙なのでまだ返事がありません。
私の彫刻代金は何処へ行ったのでしょう?
☆日曜日から消防機庫を挟んでのお隣さんのギョウザ屋さんが、家財道具を運び出したりとあわただしくなってきました。
ひょっとして、と思っていましたが、今日は朝からたくさんの人が来て厨房機材などを運び出していました。
夜には店の中は空っぽになってしまいました。
先日から近くの板前料理店の灯りが消えているのが気になっていましたが、私の台湾滞在中に店をたたんでしまったことをつい最近知りました。
お金がないのは我が家だけではありません。特に商売をされている方は、資金繰りがつかなくなるとたちまち倒産ですから・・・・
切ない年の暮れです。
☆今日の制作画像です。
一日どんよりとした天気でした。
お昼前に現場に着いたのですが、現場の段取りが悪く、作品設置作業に入れません。
設置場所は枕崎駅前交差点角にある市役所駐車場の一角です。
それでお昼を先にすることにしました。
実は小一時間ばかり前に、途中の桜島SAにトイレ休憩したときに、つい”黒豚ラーメン”の文字に誘惑されてラーメンを食べたばかりでした。今日は何としてでも枕崎でカツオの”ビンタ料理”を食べようと思っていたのですが、昼食は作業の後に摂ればよいと思ったのです。
その予定が狂ってしまいましたが、通り会の桑原さんの案内で”浪速”に出かけました。
これが”ビンタ料理”定食です。
量が多くて食べ切れません。
内容を説明します。
手前左から、ごはん、お新香、カツオ腹身の白ぬた、お汁物
中左から、たたきのタレ、カツオ腹身干物の焙り、カツオみそ、
奥左から、カツオたたき、カツオ塩辛、カツオビンタ(頭)味噌煮
設置現場の道向かいは鰹節工場です。
☆午後は通りに設置してある作品を見たり、桑原さんと彫刻設置の苦労話やまちづくりの話などしながら夕刻まで過ごしました。
ようやく夕暮れになってベンチの設置が終わり、私の作品が設置できるようになりました。
とうとう雨が降り始めました。
結局設置を終えたのはもう日が落ちてしまってからでした。
設置写真は撮れませんでした。
これから床石を貼って年内にはこのポケットパークの整備は終わりそうですが、来年の5月にこの公園でイヴェントをされるということなので、そのときにまた来ましょう。
そして朝方の冷え込みにまた眠れなくなって(まだ掛け布団を使っていないので)、睡眠不足です。
今朝はかなり冷え込みましたが、午前のうちは風がなかったので、陽が差してくるととても暑くなってきました。
しかし昼前から風が出てきて、今日も午後は強風で冷え込みました。
☆今日は朝一番に石材店の仕事で墓地へ行き、その後に枕崎の作品の搬入準備、美術協会展パンフレットの再校正、などあれこれやることが多かった一日でした。
☆今夜はこれから高校同窓生たちとの忘年会です。
私にとっては唯一の忘年会です。
私はラグビーの募金も集めなければなりません。
☆今日の夕刻の画像です。
でもやはり昨日同様、風が止むととても暖かいし、我が家に入ると上着を脱ぎたくなるほど生暖かいのです。
しかし外での作業には寒風は身にしみます。
☆名寄へ行く飛行機の時刻表など調べていたら、もう早割りの残席数が少ないことが判明しました。
前回は宮崎ー旭川間は、乗り継ぎがうまく出来ないフライトスケジュールで、東京で一泊しなければなりませんでした。
それでホテル込みの格安チケットを使ったのですが、今のフライトスケジュールでは宮崎を始発で乗れば充分にその日の午後には旭川へ行けるようになっています。
つまり東京で一泊する必要はなく、早割りの正規のチケットのほうが格段に安くなります。
しかし始発の旅割りはもう数席しかありません。
AIRDOも昨年から協賛をしてくれなくなったということで、自分で早割りを買わなければなりません。
調べるとこちらも早割りの残席が数席しかありません。
それで名寄と連絡を取って、名寄入りと名寄出発の日を確認して、すぐにネットで予約しました。
他の2人のメンバーにも早急にチケットを手配するように連絡しました。
☆今日は上記等のデスクワークに時間を取られたので、制作時間はあまり取れませんでした。
長崎は今回から遠藤周作文学館も展示会場になりました。
角力灘(すもうなだ)を見下ろす絶好のロケーションと資料にあるので、海の見える場所に展示してもらうことを念頭において、これまでより扉を開いてみることにしました。