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今日も気持ちの良い快晴でした。
しかしこの暖かさで逆に風邪を引いている人がとても多いです。
私もずーっと喉のガラガラが取れません。
そして昨夜から次男がとうとう高熱を出してしまいました。
今朝は朝一番に内科へ連れて行きましたが、すでに病院の待合室は満杯でした。
ほとんどはインフルエンザの予防接種でした。
診察が終わったのはもうお昼前でした。
次男はその間、診察室のベッドに横たわっていました。
幸い、インフルエンザではなく普通の風邪でした。
薬のおかげで夕刻の今は平熱まで下がっているようです。
☆というわけで、午前中は病院で潰れ、午後はメールのやり取りで時間を取られ、ようやく午後半ばから仕事場に向かいました。
石材店の仕事場はまだ蚊がいっぱいいます。
今日は花蓮で買った電着を使ってみましたが、青島の大理石は柔らかいのか、とてもよく切れます。
花蓮で使っていたグラインダーがシンポジウム終了間際から不調だったのですが、とうとう今日の作業中におかしくなってしまいました。もう10数年間使ってきているのでそろそろ寿命なのでしょう。
それにしても花蓮で寿命が切れなくて良かった!
今日は中町公民館で祭礼を行っている”お仙稲荷神社”の秋の祭礼です。
南の高台の小さな杜の中の小さな稲荷神社で午前11時から祭礼。
”お仙稲荷”の由来
”お仙”とはキツネの名前。その昔、佐土原藩から高鍋秋月城下町へ通じる参勤交代路に沿った森に一匹の老いた女狐が棲んでいて、森の小径を通って城下町へ物売りに行く人々の前にカスリの着物を着た娘に化身して現れ物をねだっていた。その乞いを入れて物を恵んだ者の品物は早く売り切れたが、断った者の品物は一向に売れず又いろいろな災難に逢ったりして、人々はその霊験のあらたかなことに驚き何時かお仙稲荷として敬った。そうして大正のころに小さな祠が出来てお仙稲荷大明神と呼ばれて信仰の対象として敬まれてきた、というのがお仙稲荷の由来。
今ではこのお仙稲荷の祭礼は中町だけが行っている。
お仙稲荷の信仰篤かった中町の先先代T氏が一家を成すに及んで小社を献じて毎年初午に祭礼と直会を執り行っていた。先先代T氏没後は祭りが途絶えていたところ、戦中のある夜に町内名士2名の夢枕にお仙狐が現れて祭りの再開を乞い、終戦後まではこの2名士を中心に祭礼が行われていた。戦後に復員して帰郷した先代T氏が2名士の訪問を受けてお仙稲荷のいきさつを聞き祭礼に参加することになり、中町有志および花柳界関係者(中町は当時は非常に繁栄していてみな名うての粋な遊び人ばかりであった)も参加して盛大に賑やかな祭礼が執り行われた。その後、祭礼は2名士の手を離れT家で執り行うことに成ったが、中町有志も次第に多くなり、近年は中町公民館で祭りを執り行うようになったと言うのが祭主が中町である由来。
祭事の後はお稲荷さんを食べながら座を囲んでまず一献、秋日の柔らかな陽射しを浴びていい気持ち、というのが従来のスタイルでしたが(昔は完全な宴会だったようです)、飲酒運転撲滅の今日は、お茶とお稲荷さんだけの簡素な座となりました。
昔のスタイルが良かった・・・・とつくづく思うのであります。
しかし今夜は”なおらい”で宴会です。
公民館員の親睦を深めます。
☆お昼に帰宅してHPを開くとカウントが55,556!
私が開く一つ前の訪問者が記念すべき55,555をカウントされたようです。
ありがとうございます。
今後とも、よろしくお願いします。
☆夜の”お仙稲荷”なおらいです。”たかなべギョーザ”にて。
一番奥の白いTシャツは小澤高鍋町長。ここでは町長といえども同じ中町の一公民館員。
無礼講の楽しい酒宴です。
☆今日は第15回高鍋町散策の旅でした。雲ひとつない快晴に恵まれた絶好の行楽日和でした。
今日は高鍋町美術館で開催中の「竹久夢二展」をメインとした企画です。
商店街連合会の会長が急遽欠席となったので、私が挨拶をさせていただきました。
今日も遠くは都城からもおいでいただきました。
☆まず始めは高鍋町美術館で「竹久夢二展」の鑑賞です。
やはり「竹久夢二展」は人気なようで、一般の来場者も開館時から多く訪れていました。
☆美術館を出るといつものように城堀公園沿いに歩いていきます。
城堀公園の石灯篭は間引きしているということでしたが、ちっとも減っているようには見えません。
高鍋町立図書館付近。右の側溝には蜆がいます。山から流れてくる水で私たちの小さいころはこの側溝で皆さん食器を洗ったりしていました。道にはチリひとつなくとても清清しく歩いて気持ちのよい道筋でした。
次に前回に引き続き小澤治三郎生家を訪ねました。
これは散策の旅のときにしか出ない青木落花生謹製のピーナツ入りの饅頭。毎回大好評なのですが青木さんがかたくなに一般販売を拒まれています。
次は私たち商店街連合会の商店街を歩きます。日に日に空き店舗空き地が増えていき、猫一匹歩いていない商店街は本当にさびしいものです。
この左側のテナントビルは今井電器のあったところ。そうです、今井美樹が生まれ育ったところです。
今日も散策の旅が終わって車のキーを回すと、FMで今井美樹がゲストで出産のことを話していました。
今井美樹の生まれ育ったところの少し斜め前が、昨日永代法要で訪れた称専寺です。これが新しい総檜の山門です。
この山門の左手のお寺の駐車場に初めて見る石碑がありました。このお寺の真後ろに製糖所があったのだそうです。そしてこの碑文の文字はなんと秋月種樹公によるものでした。
そして午前の部の最終地点がいつものように黒木本店です。
今日は幸いなことに黒木社長が在社していて、直接皆さんに軽妙な挨拶をしていただきました。
皆さんが工場見学をしている間に、次期高鍋商工会議所会頭に決まった黒木社長とまちづくりについて意見交換しました。
黒木本店を出て役場のバスで高鍋温泉”めいりんの湯”へ移動。ここでお昼でした。食事はなかなかの味でした。
松花堂弁当のお膳でした。
午後は石井記念友愛社の資料館へ。
私は児島理事長へ台湾土産を届けに行きましたが不在でした。
秋花に囲まれた石井十次胸像。
友愛社を出ると、散策の旅では初めての企画で石井十次の生家を訪ねました。
敷地内にある碑の文字は徳富蘇峰です。
石井十次の生家は現在は品子夫人の系列の館野氏の一般住居となっているので、内部は見学できません。
ところが挨拶に出向くと、なんと館野さんが玄関を開いて十次の生活した当時のままの玄関部屋を公開して見せていただきました。
左上の書状は徳富蘇峰からのもの。
最後は再び高鍋町美術館へ戻って解散。
以上が今日の散策の旅の全容でした。
次回の散策の旅は私の高鍋町美術館での個展の時になります。
☆今日も好いお天気でしたが、若干雲が多く洗濯物がぱりっと乾かない一日でした。
☆午前に父の永代法要に出かけました。
永代法要は、永代法要をお願いしてある故人の名前をすべて読まれながら法要されます。
11月は1年中でもっとも鬼籍へ入られる方が多いので、永代法要を営まれる住職も大変です。
いつもはお説教が長いのですが、今日はビデオでの人気説教導師の説教の鑑賞でした。
お昼は精進料理の”おとき”が振舞われます。
このお寺の料理はとてもおいしいのです。
私が小さいときから母が手伝いに行っていましたが、母がもらってくる料理が楽しみでした。住職の奥さんがとても料理上手なのです。
このお寺は近年山門を新築しました。隣近所の空き店舗も買収し、門前も広くなりました。
それで商店街が、この立派になった門前で門前市を開きたいということになり、昨夜の商店街連合会の会合もその打ち合わせでした。
台湾へ行く前に、父の25回忌の打ち合わせで訪れたときに、以前の山門が裏門に移転されているのを始めたばかりのこのブログでご紹介しました。
屋根瓦が手作りでずいぶん古いものだろうと思っていましたが、柱に由来が張ってありました。
それによると、大正6年に立てられたものが昭和51年に建て替えられていますが、かわらだけは最初のものをそのまま使っているようです。
町内では他にこんな愛嬌のある手作り感のあるかわらを見たことがありません。(ちなみに我が家の自宅工房も明治末建立のものですが、やはり鬼がわらがとてもユニークでいい物ですよ)
この子豚が逆立ちしたような獅子があまりにもかわいらしいですね。
ですから回りはみんな風邪気味です。
☆今日はずっとインターネットができませんでした。OCNのカスタマサポートに問い合わせたらCTU設定がおかしくなっていました。
☆いま花蓮のシンポジウムのシンポジウム記サイトの画像準備をしています。
事務局からもらったCD-Rにこんな画像が入っていました。
実は台湾は野良犬がとても多いのです。どこへ行っても野良犬がたむろしています。
”韓国には犬はいないよ。なぜって?韓国は犬を食べるからだよ。”
と、私はみんなに冗談を言っていましたが、これは冗談ではなく、本当に韓国では犬を見かけません。
それに引き換え、台湾は犬だらけです。
今朝はよく晴れていましたが、また雲行きが怪しい感じです。
☆昨日のHP日記に書きましたが、昨日の昼に我が家の電話とFAX電話に同時に海外からのFAXが届きました。
その何通も届いた同じFAXが下の画像です。
発信元はイギリスです。
実はこれはいわゆる詐欺FAXなのです。
内容は、2006年にニューヨークで部下の日本人家族が交通事故で死んだ。彼の巨額な預金を日本に送り返すために彼の親族を捜してきたがとうとう見つからず、預金は没収されようとしている。そこで私はあなたを彼の親族の一員として銀行へ申請して彼の預金を引き出し、日本へ送金して慈善組織のために使いたい。
お金が支払われたら私が60%を、あなたが35%を、残り5%を税金として分配しよう、これは合法的なものだから心配は要らない、というものです。
こういう詐欺はメールではよく届きますが、FAXでしかもこんなに何度も届いたのは初めてです。
こんな漫画みたいな誘いに引っかかる人がいるのでしょうか。
☆今日はあいにくのお天気です。昼前から本格的な雨です。
☆夕刻にHPの10月22日の阿美族文化に触れる旅を更新しましたので、ブログでも追補画像をUPします。
台湾は日本軍が統治していたこともあり日本の文化の影響の濃い国柄です。その中で花蓮懸は特に大正時代に国の移民政策で四国の吉野川沿いの住民や北海道からの移住が多いところです。花蓮懸の地名には彼ら移民のふるさとの名前に変更されたところが多くあります。花蓮では日本人への対応はとても好いです。
当日の観光旅行はそうした日本からの移民の地域、日本統治の面影、そして原住民の阿美族の文化に触れる一日でした。
旅程はつぎのようなものでした。
1 森田造園
日本の移住地域にある花蓮で一番大きい造園屋。
お茶を入れてくださる森田さん。
2 日本からの移住者たちの作った煙草工場跡。
移住者たちは生活のために、医療、教育、製造業、警察組織など日本からのシステムを移入し、それが今の台湾の基幹となっているということ。
移入した一つに煙草工場がある。
床の表情も趣がある。
3 やはり日本によって開発された台湾ヒノキの伐採地・林田山。日本統治時代に樹齢2000年以上のほとんどのヒノキが伐採され、日本の寺社仏閣に使われた。 画像はその林田山の映画館(地域は日本式の社宅が立ち並ぶ町並みを作っていた)を改修した資料館・中山堂への上り口。
コブラも出ます。
そして観光客のための林田山社区珈琲館・摩里沙ソウ(上と下が合体した文字。)木造のとても落ち着いた瀟洒な喫茶店。京都にでもありそうな店である。外観はHPで。
ここであの10月11日のブログに書いた、私の作品がUPされた藝術季のパンフレットを発見。
やはり文化局の制作でした。
4 次に阿美族の文化資料村、馬太鞍でガイドの話を聞く。ガイドの蔡さんが阿美族の嫁取りの儀式をそのための衣装を着ながら面白おかしく説明してくれました。また彼らの生活の主な糧である魚捕りの技術についても実演を加えて説明。阿美族には文字がありません。そのためにか歌と踊りが大切な表現手段になってきたのでしょうね。蔡さんの説明の中でとても興味を引かれる部分がありました。日本と同じ名詞発音があるのです。尻、うなぎ、えびはともにシリ、ウナギ、エビなのです。
5 昼食は少し離れたは欣緑農園にて阿美族の民族料理。先日は馬英九氏も立ち寄って食事をされたということです。阿美族の住んでいるこの一帯は山のすぐふもとになるので(いまはほとんどの原住民は山から降りてこうして街場で暮らしている)、水が澄んでいて、無農薬無添加の自然食品が売りだということ。
6 午後には食後のデザートで花蓮精糖会社内のアイスクリーム売り場でアイスクリームを食べました。
こんなに大きい。
向こうに何か見えますが・・・
なんとこれは池の鯉のえさ販売機!
7 午後に前回の参加時のBernardの作品の設置してある運動公園へ寄りました。
8 そして夕暮れて、今回の作品設置場所の一つである鯉魚潭へ。朝野氏、林さん、Carolineの設置場所を確認。ここにはすでに桜井壽人氏らのこれまでのシンポジウム作品がいくつか設置してあります。
9 締めは花蓮市街郊外にあるリゾートホテ”PROMISEDLAND”でのディナー。ここは広大な敷地の中を運河が流れ、ボートで移動する。
作りが、私たちがドバイで観光へ訪れたMADINAT JUMEIRAHに似ている。スケールの差でははるかにドバイのリゾート施設には及ばないが、リゾートホテルの範としているのだろう。
(画像の良いのがないのでHPのほうでホテルのURLへリンクしてみてください。)
☆秋本番の昨日今日でした。
昨日は初冬かと思えるほどに冷え込みましたが、雲ひとつない快晴でした。
午前のうちに妻と宮崎市内へ出ました。
妻が、パブリックアートのブロンズ像の隣に同じ服同じポーズで座った写真を年賀状に使いたいというのでまずはパブリックアートの設置場所へ。まだ午前の陽がブロンズにも周囲の景観にも差していなかったので、明暗のコントラストがなく懸念したブロンズの表情もうまく撮れました。汚された塗料の跡はほとんどわからなくなっていました。
次に宮崎県立美術館で一昨日から開催されていた”アルフォンス・ミュシャ展”へ。
これまでにも何度もミュシャ展は開かれていますが、私は展覧会で見るのは初めてでした。
細かいところまで実に見飽きることがなく、長居したい展覧会でした。あの古きよき時代のアールヌーボ-特有の装飾形態と潤いを帯びた色彩、特にブルー系の色彩には魂が揺さぶられますね。
☆午後には更新がストップしていましたHP日記のほうも更新できましたので、そちらも見てください。
☆今日は朝一番に中町名店会で商店街のプランターの花の植え替えとポケットパークの清掃作業をしました。
来週は”散策の旅”で町外からのお客さんがこの通りを歩かれます。
ポケットパークには尾崎慎氏の作品があります。私たちできちんと管理していますよ。
☆そしてお昼からは従兄弟の息子の結婚披露宴。
私の兄妹、従兄姉も私の台湾滞在中のHP日記を見てくれていたようです。
今朝の宮崎日日新聞の一面大見出しに宮崎ー台北直行便就航のニュース!開設の時期等はこれから協議だということですが、これから台湾との結びつきが強くなるかもしれない私にとっては願ってもない決定です。
留守中の新聞等はまだ見ていませんが、次男が教えてくれた私の彫刻関係の記事。
私が台湾へ発ってすぐの10月4日に、あの高千穂の木花開耶姫像が元の場所に建てられたようです。台座の高さは半分の高さになったそうです。あの埋まったままの趣旨銘板はどうなったのでしょうか。
あの事件でこれから観光客が殺到するかな。
また”タウンみやざき”10月号ではみやざき雑学王クイズという特集で、あの宮崎市のパブリックアート作品が”この銅像はどこにあるでしょう”というクイズで出題されていました。
鋳造のよくない2つの作品がこうして脚光を浴びるというのはなんとも複雑ですね
☆ここで花蓮シンポジウムでのグッズを2つ紹介します。
一つ目は藝術季のスタッフ全員が着用していたTシャツ。下部に私たちの作品のマケット画像が印刷してあります。
二つ目は切手になった私たちの作品マケット。