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”たまゆら”らしきものががたくさん写っています。
私は”たまゆら”についてはよくわからないので、最近は特に気にも留めないようにしているのですが、例の庚申講以来、岩崎議員には”たまゆら”らしきものが写るようになっています。
みんなの気持ちが好い時に写りやすいといいますから、このエイサーの時は踊っているほうも見ているほうもとても気持ちの良い状態だったのでしょうか。
これは昨年の秋のASANでの画像で、このとき初めて”たまゆら”が写っていると教えてもらいました。
私の後ろに居るのが、先日作品集を送ってくれたSHIM JUNG-SOOです。
これは夜の公園で撮った”たまゆら”。今年のASANシンポジウムの会場はこの公園です。
こうして見ると、やはり岩崎議員のエイサーの画像は”たまゆら”に思えますね。
今夜はわたしの50代最後の夜となりました。
明日はとうとう還暦を迎えます。
☆暇なので、もう一度今年の名寄の画像を点検してみました。そうしたら最終日の雪のステージ上での表彰式やホテルでのクロージングパーティーでもかなりの「たまゆら」が写っていました。ただ日中の黒いたまゆらは、すべて同じ位置でしたのでレンズの汚れと判明しましたが、その中に本物の「たまゆら」も白く写っていたりしていました。
それだけなら、もうブログに載せることも無いのですが、ある一枚の画像にこれまで写ったことも無い「たまゆら」を見つけました。
表彰式の後の私たちの作品画像です。
よほど「たまゆら」が認識できる人ではないと、どこに「たまゆら」があるのかはまだわからないと思います。
受賞を祝ってくれているのでしょうか。
作品の一番上の右の家の左斜め上にもやっとしたものが見えます。
順次UPしていきます。
もやっとしたものが少し形が出てきました。どうやらこれまでの様な玉ではありません。
お分かりでしょうか。
玉が6個、2列に斜めに並んでいます。
これはネットで拾った画像です。同じ配列の「たまゆら」です。
披露宴で新婦側の友人たちの集合写真のデジカメを押してあげましたが、「たまゆら」が写ってなかったか心配です。
3次会で気持ちよくカラオケを歌って帰宅しましたが、こんな気分のよい日は「たまゆら」が写る気がして夜空に向かってバシバシとフラッシュを焚きました。夜空はほぼ「たまゆら」が写るとネット検索で読んでいたからです。
ライヴから帰宅した次男が、酔っ払った親父が庭で何も無い夜空にフラッシュを焚いているので、”そんなものレンズのゴミだよ!”と蔑視して家に入りました。
ゴミではないのです。
自宅工房の上にはっきりした「たまゆら」が。
拡大すると。(もっと拡大すると模様が見えます。)
隣の家の屋根に大きなたまゆらが。右の白いものは我が家の2階のベランダの壁なのですが、
フラッシュが壁に反射して出来た輪ならば丸い輪の向こうは写らないはずです。むしろ明るく透けています。
昨夜は曇天で星は出ていませんでしたので、右上の明るい玉は星ではありません。
アンテナ付近に多くの「たまゆら」が。白い線はくもの巣です。
夜空の白い点は前述のように星ではありません。
デジカメのモニター画面ではなにかもやもやとしたものが写ったのですが、なんとなくそんなもやのようなものが漂っています。雨は降っていませんでしたのでもやも掛かっていませんでした。
「たまゆら」はもう普通に写るようです。
☆しばらく「たまゆら」は避けようと思ったのですが・・・・・
一体いつから「たまゆら」が写るようになったのか辿っていきました。
そうしたらすでの個展の時のオープニングパーティー、初日の会場、講演会会場に「たまゆら」が写っています。
ということは・・・・・Slavaの影響ではない、と言うことになります。
さらに、名寄の真昼間の雪像の背後に黒い「たまゆら」がいくつも・・・・
もっと手繰って行ったら・・・なんと昨年の台湾・花蓮の歓迎会や開会式でもうかなりはっきりとした「たまゆら」が写っているではないですか。
まるでバレーダンサーたちの妖精と本物の妖精(たまゆら)との競演です。
日中は明日からの不在中の段取り等で多忙にすごし、ようやく夜になって大原館へSicko夫妻を訪ねることが出来ました。
私が26日まで不在ですし、27日からは教会で展覧会なのでそれまでの打ち合わせをしっかりしておかなければなりません。
丁度私が訪ねた時分は、Slavaがお世話になっている児嶋理事長や調律師の太田さんたちへスロヴァキアの料理を振舞って宴会が始まっているところでした。そして私や唐木戸陶苑の甲斐氏にも呼び出しが掛かっているところでした。
私は明日が早いのでお酒は飲まずに付き合い、27日までの段取りは今夜の皆さんにすべて丸投げでお願いしなければなりませんので、詳細な打ち合わせを行いました。
本当に皆さんは親切な方ばかりです。
Sicko夫妻もこれほど好くしていただいて感激でしょう。
”どうしてこんな一ヶ月と言う中途半端な期間ではなくて、1年間滞在しないのですか?きちんと日本語をマスターしてもう一度来なさい!”とSlavaは児嶋理事長にはっぱをかけられています。
Slavaは今日、買出しに理事長の奥さんと宮崎市のイオンへ出かけ、幼児用の50音のお遊びカードを買ってきていて、これで勉強するんだとみんなの大笑いを誘っていました。