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☆しばらく「たまゆら」は避けようと思ったのですが・・・・・
一体いつから「たまゆら」が写るようになったのか辿っていきました。
そうしたらすでの個展の時のオープニングパーティー、初日の会場、講演会会場に「たまゆら」が写っています。
ということは・・・・・Slavaの影響ではない、と言うことになります。
さらに、名寄の真昼間の雪像の背後に黒い「たまゆら」がいくつも・・・・
もっと手繰って行ったら・・・なんと昨年の台湾・花蓮の歓迎会や開会式でもうかなりはっきりとした「たまゆら」が写っているではないですか。
まるでバレーダンサーたちの妖精と本物の妖精(たまゆら)との競演です。
日中は明日からの不在中の段取り等で多忙にすごし、ようやく夜になって大原館へSicko夫妻を訪ねることが出来ました。
私が26日まで不在ですし、27日からは教会で展覧会なのでそれまでの打ち合わせをしっかりしておかなければなりません。
丁度私が訪ねた時分は、Slavaがお世話になっている児嶋理事長や調律師の太田さんたちへスロヴァキアの料理を振舞って宴会が始まっているところでした。そして私や唐木戸陶苑の甲斐氏にも呼び出しが掛かっているところでした。
私は明日が早いのでお酒は飲まずに付き合い、27日までの段取りは今夜の皆さんにすべて丸投げでお願いしなければなりませんので、詳細な打ち合わせを行いました。
本当に皆さんは親切な方ばかりです。
Sicko夫妻もこれほど好くしていただいて感激でしょう。
”どうしてこんな一ヶ月と言う中途半端な期間ではなくて、1年間滞在しないのですか?きちんと日本語をマスターしてもう一度来なさい!”とSlavaは児嶋理事長にはっぱをかけられています。
Slavaは今日、買出しに理事長の奥さんと宮崎市のイオンへ出かけ、幼児用の50音のお遊びカードを買ってきていて、これで勉強するんだとみんなの大笑いを誘っていました。