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彫刻家・田中等の日々雑感・最新情報
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☆今、昨年急逝した同級生の墓を頼まれていて、その参考資料集めのため、午後から宮崎市の”みたま園”へ行ってきました。
霊標の形のサンプル収集が目的だったのですが、何度かこのブログにも書いたように、最近のお墓には色んなものがくっついています。
私は不思議でならないのです。
ほとんどの墓は先祖代々墓です。特定の個人の霊を祭ったものではありません。
にもかかわらず、特定の個人の霊のために装飾されたものが余りにも多いのです。
後の世代の人にとっては迷惑なだけです。
いくつか目に付いた墓をお見せしましょう。
実際はもっともっといろんなものがあります。
逆に、こうした馬鹿げた墓を見て歩くのも楽しいですよ。
墓地は静かで日当たりもよいし・・・・私も後半は霊標よりも面白い墓を見つけて楽しんでしまいました。

故人がラグビーの選手だったようです。
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ピラミッドパワーを信じておられるのでしょう。
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故人がバイクの事故で亡くなったのでしょうか。(バイクや車を置いた墓は多いです)
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ベンチもラケットもボールも石製です。床にはテニスコートがサンドブラストされています。
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カラオケのマイクを置いた墓もとても多いです。しかしマイクは必ず無くなってしまいますよ。
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故人が碁とお酒が好きだったのでしょう。
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亡くなった子供さんがウルトラマンの大ファンだったのでしょう。
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繰り返しますが、これらの墓はすべて”○○家”の墓です。
この墓を建立した方たちの親しい特定の個人のモニュメントではありません。
墓を建てる意味を思い切り勘違いしています。

これは私の制作した墓碑です。ハチャトウリヤンの弟子だった作曲家・寺原伸夫の個人の顕彰モニュメントです。
きんきらきんの墓碑たちの中でシンプルに佇んでいるこの墓碑を見ると、制作した私自身でもほっとします。
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☆今日は美術館は休館日です。
今朝、霊標の仕事で川向こうの竹鳩(だけく、と読みます)の墓地へ行きましたら、入り口のお地蔵さんに???
見覚えがあるこの地蔵、ひょっとして私が若い時分に彫ったものではないか?
おそらくそうでしょう。
建立年度が昭和48年3月吉日とありますので、佐賀大学の専攻科を卒業したあたりです。

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☆今日は昨日ほどの冷え込みはありません。日中は暖かく、上着はシャツ1枚で充分でした。
夕刻からはどんよりと曇り空となり、それとともに冷え込んできました。

☆今日は朝のうちに、石材店の霊標の仕事で出かけました。
まず木城町の中心地に近い中川原墓地へ。
そこに祭ってあった地蔵様に注目!でした。
表情が良いとか出来がいいということではなく、法衣がきちんとごまかしなく作ってあって、しかも背面もしっかり彫ってあることに驚いたのです。
私が六地蔵を頼まれて最も時間をかけて資料を探し、非常に苦労したのがこの法衣の構造、そして背面の法衣の構造なのでした。
世に出回っている地蔵像の類は、この法衣の構造がいい加減であり、背面はほとんどのっぺらぼうでごまかしてあります。多分、法衣の構造がわからないからです。
私に六地蔵を依頼したY住職も、実際に自分で法衣を着てみたりして協力していただきましたが、結局は良くわからず、最終的には手に入るあらゆる仏像写真集や仏像制作入門書等から背面を導き出すことしか出来ませんでした。
この地蔵像の背面がわかれば私の六地蔵制作はもっと早く手がけることが出来たのです。
ところがこんなところにきちんと法衣が背面まで正確に彫り込んである地蔵があったのです。
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次に高鍋町内の官軍墓地へ。ここは町外れの谷あいに沿った山手にある墓地です。
キャタピラーがやっと通る細い坂道しか搬入口がありません。
昔の石材店はこうした所を人力で墓を担ぎ上げたのです。
田舎の墓地はこんなところばかりです。
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☆墓地から帰って、昼前に次男を内科医へ連れて行き、お昼に高校まで送りました。
帰路にホームセンターへ寄り、エアーホースを買い(これまでのホースが劣化してしまった)、道具類を物色しました。
Filinの使っていたアクションサンダー(ワンタッチでサンドペーパーを取り付ける)など、大理石での制作に有効な道具類を下見です。
やはり大理石には大理石加工用の工具類を使ったほうがはるかに効果的だと今回悟りました。
しかし、当分は何の仕事もないので、工具類を買うことは出来ません。

☆午後半ばから霊標の刻字作業。
そして夕刻に再び次男を高校へ迎えに行き(5校時は保健室で横になっていたようですが6校時には普通に授業をうけたとのこと。)、結局は今日は自分の制作は出来ませんでした。
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プロフィール
HN:
田中 等
性別:
男性
職業:
彫刻家
自己紹介:
宮崎県在住の彫刻家。
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