彫刻家・田中等の日々雑感・最新情報
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☆2002年のオランダのシンポジウムで一緒だったリトアニアのJonas Simonelisが4月7日に55歳の若さで亡くなったという哀しい知らせが、彼の妻から届きました。
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Jonasは小柄ですが腕周りの大きな屈強な体格で、実直で誠実な彫刻家でした。
彼はガラス板と御影石を接合した作品を作っていました。
2003年の空港展にもガラス板集積の作品を出品してくれました。
返却しなくても好い、ということだったので、その作品は我が家の和室に展示してあります。
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☆私とJonasは何故かよく気が合いました。二人で色んな話をしたり、小旅行へ出かけたりしました。
彼の車でベルギーのアントワープにも行きました。
アントワープと言えばルーベンスの住んだ街であり、またあの余りにも有名な「フランダースの犬」の舞台でもあります。
ネロ少年が夢にまで見たルーベンスの絵のあるノートルダム教会にも行きました。
この絵はネロ死ぬ間際に見た「キリストの昇天」と「十字架上のキリスト」とは別の同じルーベンスの傑作「聖母被昇天」です。
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ノートルダム教会の造営メモリーのモニュメント。
この写真はJonasが撮ってくれました。
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そしてJonasと何度も行き来戻りして、やっと憧れのルーベンスの家を訪ねました。
当時はすべて工房ですから、多くの職人が居たはずですが、思ったより広くはなく、
収集の彫刻もあまり趣味がよくありませんでした。
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☆Jonasは死の間際まで日本の震災を案じ、私のことを妻と語っていたそうです。
彼の早すぎる死を偲んで、オランダでの彼と過ごした画像でメモリアルとします。
Jonasは小柄ですが腕周りの大きな屈強な体格で、実直で誠実な彫刻家でした。
彼はガラス板と御影石を接合した作品を作っていました。
2003年の空港展にもガラス板集積の作品を出品してくれました。
返却しなくても好い、ということだったので、その作品は我が家の和室に展示してあります。
☆私とJonasは何故かよく気が合いました。二人で色んな話をしたり、小旅行へ出かけたりしました。
彼の車でベルギーのアントワープにも行きました。
アントワープと言えばルーベンスの住んだ街であり、またあの余りにも有名な「フランダースの犬」の舞台でもあります。
ネロ少年が夢にまで見たルーベンスの絵のあるノートルダム教会にも行きました。
この絵はネロ死ぬ間際に見た「キリストの昇天」と「十字架上のキリスト」とは別の同じルーベンスの傑作「聖母被昇天」です。
ノートルダム教会の造営メモリーのモニュメント。
この写真はJonasが撮ってくれました。
そしてJonasと何度も行き来戻りして、やっと憧れのルーベンスの家を訪ねました。
当時はすべて工房ですから、多くの職人が居たはずですが、思ったより広くはなく、
収集の彫刻もあまり趣味がよくありませんでした。
☆Jonasは死の間際まで日本の震災を案じ、私のことを妻と語っていたそうです。
彼の早すぎる死を偲んで、オランダでの彼と過ごした画像でメモリアルとします。
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