彫刻家・田中等の日々雑感・最新情報
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☆宮崎空港ビル創立50周年事業の一環として、長年に亘って空港ビル運営に協力してきた団体の一つとして、私たち空港展開催実行委員会は宮崎空港ビルから感謝状を受けることになりました。
その感謝状授与のセレモニーが、空港展開催期間中の今朝の9時から、空港ビル社長室にて執り行われました。
宮崎空港ビル・長濱社長より感謝状と金一封を授与されました。
これもひとえに、これまで空港展に出品参加していただいた作家の皆さん、支持していただいた多くの皆さんのおかげです。
そもそもの空港展開催のきっかけを作っていただいた故・渡辺課長も、共に天国で喜んでいただいていることでしょう。
来年は開催25周年となります。
4半世紀開催を記念のイベント的な催しにしたいと思っています。
これまで有難うございました。
そしてこれからもよろしくご支援お願いします。
その感謝状授与のセレモニーが、空港展開催期間中の今朝の9時から、空港ビル社長室にて執り行われました。
宮崎空港ビル・長濱社長より感謝状と金一封を授与されました。
これもひとえに、これまで空港展に出品参加していただいた作家の皆さん、支持していただいた多くの皆さんのおかげです。
そもそもの空港展開催のきっかけを作っていただいた故・渡辺課長も、共に天国で喜んでいただいていることでしょう。
来年は開催25周年となります。
4半世紀開催を記念のイベント的な催しにしたいと思っています。
これまで有難うございました。
そしてこれからもよろしくご支援お願いします。
☆神社の修築記念碑のサンドブラスト作業は午前の半ばまでかかりました。
ゴムを剥がしてみると・・・・、字彫り室から出す前に何度も彫りが浅いところをチェックしてやり直しをしたはずなのに、サンドの出が悪かった前半の部分は最低最悪の作業。
サンドブラストの吹き出しが順調だった後半の部分は、とても綺麗に上がりましたが・・・・
前半の仕事のでたらめさは、この写真でもはっきりわかってしまいますね。
文字に色を入れて表面の完成です。
表面の文字の塗料が乾くのを待って、夕刻に裏返して、裏面の文字原稿を貼り付けました。
☆今日は、この神社記念碑を最後に切削した門型ノコが引き取られていきました。
☆神社記念碑の表面の文字塗料を乾かしている間に、アンジェラスの森へ走って残っている道具を少し持ち帰り、作業場移転候補の小丸川堤防下の土地のリサーチに行きました。
土地に隣接している高校同窓のG君が在宅だったので、事情を話しました。
ところが、彼の説明では、私が使えそうだと思っていた部分は土地を使ってもよいと申し出てくださった方とは別の方の土地で、本来の土地は西寄りの土地で、すぐ近くに住宅が接近していることがわかりました。
また10号線からの進入口も、隣の土地の方の個人の進入路であり、正規の道路は小路で4トン車以上は進入できないということも判りました。
つまり、住宅への騒音はもっと大きな問題となりますし、何よりも大型トラックが入らないのでは使い物になりません。
したがって、この600坪の土地は使えない、という結論に至りました。
そうなると、私は何処にも行き場がなくなりました。
石も、リフトもコンプレーサーも持って行くところがありません。
初めて頭の中に、”石彫家廃業”という言葉が立ち上がって来ました。
今、まさに私は作業場を失って、石彫家としての環境を失ってしまう瀬戸際に立たされています。
ゴムを剥がしてみると・・・・、字彫り室から出す前に何度も彫りが浅いところをチェックしてやり直しをしたはずなのに、サンドの出が悪かった前半の部分は最低最悪の作業。
サンドブラストの吹き出しが順調だった後半の部分は、とても綺麗に上がりましたが・・・・
前半の仕事のでたらめさは、この写真でもはっきりわかってしまいますね。
文字に色を入れて表面の完成です。
表面の文字の塗料が乾くのを待って、夕刻に裏返して、裏面の文字原稿を貼り付けました。
☆今日は、この神社記念碑を最後に切削した門型ノコが引き取られていきました。
☆神社記念碑の表面の文字塗料を乾かしている間に、アンジェラスの森へ走って残っている道具を少し持ち帰り、作業場移転候補の小丸川堤防下の土地のリサーチに行きました。
土地に隣接している高校同窓のG君が在宅だったので、事情を話しました。
ところが、彼の説明では、私が使えそうだと思っていた部分は土地を使ってもよいと申し出てくださった方とは別の方の土地で、本来の土地は西寄りの土地で、すぐ近くに住宅が接近していることがわかりました。
また10号線からの進入口も、隣の土地の方の個人の進入路であり、正規の道路は小路で4トン車以上は進入できないということも判りました。
つまり、住宅への騒音はもっと大きな問題となりますし、何よりも大型トラックが入らないのでは使い物になりません。
したがって、この600坪の土地は使えない、という結論に至りました。
そうなると、私は何処にも行き場がなくなりました。
石も、リフトもコンプレーサーも持って行くところがありません。
初めて頭の中に、”石彫家廃業”という言葉が立ち上がって来ました。
今、まさに私は作業場を失って、石彫家としての環境を失ってしまう瀬戸際に立たされています。
☆無事に今年の空港展が9日の日曜日から始まりました。
空港展の様子はこちらから。
http://miyazakisculptureexhibition.web.fc2.com/2013Airport-place.htm
しかし私は神社の修築記念碑をはやく仕上げて、作業場の移転に取り組まなければならないので、空港展の会場へ日参することができません。
何とも歯がゆい思いです。
記念碑の表面の文字切りは今日の午前までかかりました。
午後からサンドブラストにかかりましたが、サンドの出が悪く、なかなか文字が彫れず、とうとう3分の2程しか彫れませんでした。
すでにかなりの行程遅れです。
☆石材店では、2番目に大きい門型ノコの撤去作業が始まりました。
私の作業場所だったので、記念碑の作業場所を移動せざるを得ません。
もうすべての設備が撤去され、工場の解体作業が始まろうとしているのに、まだ記念碑は半分も進んでいません。
なんでこんな目に遭わなければならないのか!
☆Facebookで、西条市の”うちぬき21”プロジェクトに招待されていたAntonellaの、西条での和気藹々としたお別れパーティーの画像をシェアしました。
夕刻にはAntonellaからもメールが届いていました。
”I see that you could not come to Saijo.
空港展の様子はこちらから。
http://miyazakisculptureexhibition.web.fc2.com/2013Airport-place.htm
しかし私は神社の修築記念碑をはやく仕上げて、作業場の移転に取り組まなければならないので、空港展の会場へ日参することができません。
何とも歯がゆい思いです。
記念碑の表面の文字切りは今日の午前までかかりました。
午後からサンドブラストにかかりましたが、サンドの出が悪く、なかなか文字が彫れず、とうとう3分の2程しか彫れませんでした。
すでにかなりの行程遅れです。
☆石材店では、2番目に大きい門型ノコの撤去作業が始まりました。
私の作業場所だったので、記念碑の作業場所を移動せざるを得ません。
もうすべての設備が撤去され、工場の解体作業が始まろうとしているのに、まだ記念碑は半分も進んでいません。
なんでこんな目に遭わなければならないのか!
☆Facebookで、西条市の”うちぬき21”プロジェクトに招待されていたAntonellaの、西条での和気藹々としたお別れパーティーの画像をシェアしました。
夕刻にはAntonellaからもメールが届いていました。
”I see that you could not come to Saijo.
The work there was fine.”
西条での生活を楽しんだようで、安心しました。
作品も満足の行く出来だったようです。
本当に、金欠で会いに行くことができず、残念でなりませんでした。