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☆今日は叔父・道北昭介の17回忌法要が円福寺で行われました。
この円福寺は浄土宗ですし、田中家は浄土真宗なので田中家は円福寺の檀家ではありません。
しかし4月16日のブログにも書きましたように、円福寺には四国八十八ヶ所の霊場があります。
この石像群は四国から移住してきた人たちによって祀られた霊場なのでしょう。
発起人の世話人の中に曽祖父の田中梅吉の名前があります。
画像にはありませんが山門近くにはこの霊場の由来書きの石柱があり、同じ発起人世話人の連名で明治31年に霊場を作ったとあります。
この石仏たちの中には梅吉の彫ったものもあるのでしょうか。
背面を覗いて見たのですが、彫り師の名前はありませんでした。
今、画像をよく見たら、「仏様奉納者名」の中に、祖父の道北政次郎の名前があります。
道北政次郎は道北から田中に婿養子に入り、今日の法要主の道北昭介の祖父の弟になります。
明治31年と言えば、後に道北政次郎の妻となる田中家の娘はまだ10歳くらいです。
こんな形にひな壇にまとめられたのは近年になってのことです。
左側の壁面には近年のこのひな壇工事の寄進者の名前が記されてあります。同じ陶板製ですので梅吉じいさんたちの寄進者名もこの時に新調されたものなのでしょう。
この円福寺は町内でもかなり古くからあるお寺(応永一年、1394年に開基)ですので(有名なカッパ石がある)、境内には古くからの石仏がたくさんあります。自分の仕事場の目の前のお寺の境内なのに、滅多に入ることなく、今日あらためて石像仏の多さに驚いた次第です。一度、機会を見てじっくり探訪してみようと思います。