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☆昨日の午後からSicko夫妻のこれからの活動の下準備をしました。
まず前回アートセラピーを行った”のゆり保育園”を訪ね、今回の実施日を打ち合わせました。
いま丁度運動会の時期で日本の保育園は一番忙しいときです。このことはあらかじめSlavaに伝えてあります。
それで保育園の運動会の後に、そして私が韓国から一時帰国したときの18日にアートセラピーのワークショップを行うことになりました。
新聞取材もそのときになります。
本当は新聞記事掲載をもっと早くしたかったのと、アートセラピーの粘土を焼成するまでの時間がもっと欲しかったのですが、いたし方ありません。
次に森の空想ミュージアムの高見乾司氏を訪ね、高見氏が管理されている祈りの丘ギャラリーの使用について打ち合わせをしました。
画像の教会が祈りの丘ギャラリーです。
この教会の前でJanは石を彫り、Slavaは教会内で陶芸作品を作り、2人シンポジウムを開催します。
教会前の芝はとてもよく手入れされていました。奥の彫刻は私の作品です。
非常にこの空間が大切にされているのを感じて嬉しかったです。
制作には最高の環境でしょう。
滞在の最終はこの教会でアートセラピーの成果と彼等の作品の展示発表を行います。
前半は彼女の行っているワークショップの紹介、後半は自身の作品の紹介でした。
撮影禁止だったので(多分、作品紹介のときの問題か)画像は自己紹介のときのものだけです。
終了後に少しお話させていただきました。
☆昨日の午後は県立美術館の<青木野枝>アーティスト・トークへ出かけました。
☆終了後に空港へ向かいました。
韓国からやってくるSicko夫妻を迎えるためでした。
丁度同じ便で、町内会の婦人会旅行で韓国へ行っていた妻たちが帰ってきましたので、彼女たちを公民館長の私が出迎えることになりました。
Sicko夫妻もインチョン空港で顔見知りの妻と一緒になって心強かったようです。
ところがなかなかSicko夫妻が出てきません。
妻たちがとっくに家に戻ったであろうころになって、キャンプでやってきた韓国の野球チームの後にようやく出てきました。
なんでも税関で荷物をすべて開けさせられたとのことです。
無事にSicko夫妻を迎えて、石井友愛社へ向かいました。途中で唐木戸陶苑の甲斐氏を拾って、友愛社の大原館へ到着しました。
大原館では児嶋理事長と英語堪能な女性二人が料理を準備して待ってくれていました。
これから約3週間余をSicko夫妻はこの大原館で過ごします。
その間の彼等の予定等について通訳の女性たちを介して打ち合わせをしました。
実は上の画像をUPした直後に、ある方から不思議な指摘のメールが届きました。
午後に友愛社のパソコンでSlavaにこの画像を見せましたら、彼女はボロボロ涙を流して止まりませんでした。
それで私はなぜSlavaがここに来なければならなかったのかを理解しました。
そして何故この茶臼原の地に石井十次が理想郷を求め、大原孫三郎が別荘を建てたのか(Slavaたちの宿泊している大原館は大原孫三郎の別荘)もわかりました。
Slavaは私に案内されて4年前にたまたまこの地にやってきたのではなかったのです。
児嶋理事長が常々言っているように、みんなこの地に導かれてきているのです。
下の画像と較べると何がどうなのかがお分かりになるでしょう。
☆彫刻家・牛尾啓三氏の作品集が届きました。
スタジオ誕生から今日までを収録した非常に充実した作品集です。
堅牢な表紙にはDVDがはめ込んであり、ユニークな装丁となっています。
DVDを取ると牛尾氏の顔が開きます。
詳しくはこちら。 http://www2.memenet.or.jp/~keizo/book.htm