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石像の蔦も綺麗に取り除かれ、生い茂った雑木も伐採されて古墳の形もすっきりと見れるようになって来ました。
石像の背後にあるなだらかな低い小山はすべて古墳です。
☆下の道路から登って来る参道も両脇の雑木を払うと、八十八箇所巡りの石像が現れてきました。
私たちが小さいころは、自転車で下の登り口まで来て、急な階段を登ったものですが、両脇にこんなに石仏が並んでいたのは気がつきませんでした。気がついていても、少年時代には何の興味も無かっただけなのかもしれませんが。
会頭が道案内してくれました。
会頭たちはわざわざこの階段を登ってきたのだということです。
登って行くとぬっとそびえる石像が出迎えてくれます。
☆ところで気になるのは、先日石像の横に写り込んだ”何か”です。(8月26日 高鍋大師1)
美しいブルーの”何か”が写っていたのはこの部分ですが、やはり何もありません。
ただ、足元を見ると頭部の小さな観音頭部や腕がいくつか落下していました。
ひょっとすると、元に戻してくれ、ということだったのだろうか。
私の持参した不思議な画像を見ながら、みんなでそんな話をしたところでした。
散策の旅のミニツアーとお互いの商店街の意見交換という内容でした。
同じ城下町と言っても飫肥は25年前に補助金無しで商店街のたたずまいを城下町の建造物に作り変え、今では年間30万人の観光客の訪れる一大観光商店街です。
その方たちから見て、興味ある高鍋町の散策の旅とは、つまりは高鍋独自の魅力ある観光資源を商店街活性化にどう取り入れているのか、というのが飫肥の方たちの最大の関心だったのでしょう。
恥ずかしながらもありがたいことです。
午前は7月に実施した散策の旅の内容に近い、高鍋温泉めいりんの湯集合、高鍋湿原、高鍋大師、たかなべギョーザという行程、そして午後にお互いの商店街の取り組みについての意見交換会というスケジュールでした。
まずは高鍋湿原。今はサギソウが見ごろです。ハッチョウトンボもまだ見ることができました。
次に高鍋大師へ向かうと、なんと東国原知事がお忍びで高鍋大師へ見えておられ、残念ながらすれ違いでこんな写真しか撮れませんでした。
高鍋大師は先週私が訪れてからかなり整備が進んでいました。
詳しい画像は追ってUPします。
☆午後は商工会議所にてお互いの商店街の取り組みについての意見交換会を開きました。
☆その後、予定にはなかった商工会議所道向かいの黒木本店を案内しました。
幸い黒木社長が在社しておられて、有意義な交流をすることができました。
☆今日の詳しい報告は、豊富な画像で、同行された飫肥城資料館館長のブログに記載されてあります。
飫肥城 館長ブログ
☆今朝、外国からの書留め文書が届きました。
トルコからでした。まさか・・・・・・・
そうです、オルガナイザーが替わってからまったく何の音沙汰もなくなり、開催は不可能になったのだろうと思っていたANTALYAシンポジウムからの招待状でした。
このシンポジウムは10月1日~30日までの開催です。
つまり、まるまる高松滞在と重なってしまいます。
当然キャンセルの返事をしなければなりません。
このシンポジウムには世界51カ国から227名275プロジェクトの応募があり、そのなかからのわずか10名の招待作家に選ばれたのです。
なんとも勿体無い!
トルコには行ってみたい。
トルコでは頻繁にシンポジウムが開催されますが、今年はどのシンポジウムも期間中に日本を留守にできない用件があり、ANTALYA以外は応募ができませんでした。
招待状です。
☆高鍋大師の面白石像のいくつかです。
これは大分の石工たちと小丸川の河原で石を刻んでいたときの様子です。
中央が岩岡翁でしょう。
岩岡翁は個人の肖像もかなり彫っています。
これは木城村の村長だった津江市作氏の101歳の長寿を記念した肖像です。
私は津江市作氏には個人的な思い出があります。
津江市作氏が亡くなった当時はまだ土葬が主でした。
あるとき、墓碑を立てる仕事を手伝っていたとき、天秤棒で墓石を担いでいた私の周囲の景色が急に上昇しました。
私は墓石の重みで墓穴に落ち込んでしまったのです。
その墓穴は津江市作氏のものでした。
私が落ちた衝撃で骨壷の蓋が割れました。
そこには真新しい津江市作氏の遺骨がありました。
つまり、私は津江市作氏の埋葬後に津江氏の遺骨に触れるという稀な経験をしたのでした。
岩岡翁の最高傑作、”スサノオノミコト”
このど迫力!
この可愛らしさ!
この石像は先年の大雨で屋根が陥没するまで、本堂の屋根の真ん中に鬼瓦として載っていたものです。
大きな立像の背面にもこんなにたくさんの仁王像が彫られています。
これも今回の新発見でした。
まるでインドや東南アジアの遺跡のようです。
このほかにも面白い石像がたくさんあります。
岩岡翁の彫った石像は700体とも750体ともいわれます。
町内の辻角や墓地にも岩岡翁の石像は見られます。
こんなド素人の石像がどうしてこんなにも人々の心を惹きつけるのでしょうか。
本当に見ていてまったく飽きないし、圧倒されてしまうのです。
保存という視点で見ると、この粗造りの石像は実に危なっかしいものです。
問題点、面白石像等を何回かに分けて掲載します。
昨日はとてもよい天気で、見晴らしが最高でした。
石像はこんな具合に組み立てられています。
臍を作って差込み、セメントで固めただけです。
今にも落ちてきそうで、針金で固定してあったり、実際に落ちている部分もあります。
しかも支えてある鉄の支柱は背後の古墳に突き刺さっています。
顔も各部分がセメントで貼りつけてあります。
この観音像は頭部が今にも落ちてきそうです。
横から見ると怖いものがあります。
この支柱も背後の古墳に突き刺さっています。
これらの手はすべて差し込んでセメントで固定してあるだけです。
この編集作業をしていて、あることに気がつきました。
最後から2番目の観音像の横姿の暗がりの下部に、何か青いものが光っています。
ナンダロウ?と部分拡大してみると・・・・・
なんだか美しい青い朝顔の花が咲いているようではありませんか。
何かが写りこんだようです。