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第1回目より出店数も増えました。
いくつか完売の店もあったようです。
唐木戸陶苑の発案・制作による朝市の入り口の装飾。城下町の朝市らしい風情が出て好評でした。
唐木戸陶苑の看板も自前です。
出店には店名の表示のないところが多かったので、こうした統一看板を作れば良いのではという意見が多く聞かれました。
高鍋名産の牡蠣も出ました。こういう品が出るのが地元の朝市の良いところです。
町内有志によるエイサーが場を盛り上げてくれます。
まだ本場のエイサーに比べると気迫と切れが足りませんが徐々に上達してゆくでしょう。
小さい商店街ですが、それでも高鍋町のメインストリート。ふだんの日曜日は猫一匹歩いていません。それだけに朝市で定期的にこんなに人々で賑わうのは大切なことでしょう。
これは一番街のとある居酒屋の店先。あの灯篭を店の外装に合わせてグレーに着色してあります。
第1回の朝市のときに黒木商工会会頭とこの灯篭を見て、こういう使い方があるのだと感心したものです。
会頭はピンクや黄色に塗っても面白いかもと言っていました。税金で購入した灯篭ですので破棄するわけには行きませんから、こうした有効利用法を考えていけば良いのです。
居酒屋のオーナーのZ氏は勝手に色を塗ってしまって・・・・と恐縮されていましたが、いえいえ、こうして使って欲しいのです。
☆今日は第34回宮崎県美術展の展示指導でした。
今回も出品者は少なく、15点の出品で9点の入賞・入選でした。
大賞は田村将太氏(2度目)、特選は満木攻一氏、準特選は若杉早苗氏(91歳!)氏でした。
広い空間にわずか9点の展示で、相当に贅沢な空間になりました。
なんとかお昼までにはすっきりと会場を纏め上げることが出来ました。
これは大賞の田村氏の作品です。上部のチェンソーによるカッティングは公開制作のあった戸谷成雄氏の影響がそのままですが、全体の構成がとても好印象で、これまでの県美術展大賞作品の中では群を抜いたレベルの作品であると思います。
田村氏もこれでワンステージアップできましたし、戸谷氏の影響もゆくゆく自分の表現にまで高めていけばよいことですので、今後を大いに期待したいと思います。
☆いつもは駐車場のある西側口から美術館へ入るのですが、塗装工事中で正面からしか入れませんでした。
滅多に正面から入ることは無いので、あることに気が付きました。
この県立美術館の外観は白御影石が多用してあるのですが、雨溜まりに石ころが敷き詰めてあるのです。
これまでの年月でよくなくならなかったな、と思いましたら、やはり接着剤でお互いがくっつけてありました。
ねずみ色のようなものがくっついているのが接着剤です。
☆長男が春休みで帰省しました。カーフェリーで帰省しましたので朝一番に宮崎港まで迎えに行きました。
接岸するフェリーを見たのは初めてでした。
フェリーの係留作業がとても面白くて、カメラを構えたアマチュアカメラマンの方たちも数人居られました。
☆今日はまだ風は冷たいですが比較的穏やかな春めいた上天気の一日でした。
今日の制作です。
☆今日は妻の誕生日でした。金欠の私なりの精一杯のもてなしをしたつもりですが、寿司店でアルバイトをしている次男が自腹を切って妻にちらし寿司を買ってきました。どうせ父親はなにも出来ていないだろうから、という息子なりの心遣いです。まったく面目ありません。貧乏大学生の長男は妻にマッサージをしてあげていました。
☆今日の午前は中町公民館が祭っているお仙稲荷の初午祭を執り行いました。
今年の初午は3月19日なのですが、3月は年度末で諸行事が入ってきますので、2月のうちに行いました。
この石がご神体です。
なんでも戦中のある夜の夢枕に、一時途絶えていた祭りの再興を願って現れたお仙狐とともに石が現れ、翌日に小丸川岸を捜して夢と同じ石を見つけてご神体とした、と由来に在ります。
昭和46年に悪戯によって社が壊され石も無くなっていたが、同じ年にまた夢枕に石が現れ、捜したところ神社付近にてこの石を探しだしたということ。
ケツ岩質のどうということも無い石です。
境内を掃除していたら同じ石質の石片がありましたので、ひょっとすると元はもっと大きくて、悪戯で所在不明になったときに割られたのかもしれません。
祭事の前に境内を掃除したり社を掃除したりします。
中町の皆さんの商売繁盛、家内安全等を祈願します。
祭事を終えて社の前で直会(なおらい)です。以前はお神酒を飲んでいたのですが、今はお茶とお稲荷さんだけです。
今日は風も少なくうららかな上天気でした。
上空には雲雀も舞っていました。
☆夜には改めて直会をしました。
メインは高鍋ギョーザの”水ギョーザ”でした。