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☆今朝は中町のフラワーポットの花の植栽と、ポケットパークの清掃がありました。
例年、散策の旅の前に行っています。
最近は作業が馴れて来て、とてもてきぱきと進みました。
尾崎氏の作品の周りは、確実にこうして年に2回は綺麗に手入れされます。
岩崎議員のブログにも画像がありますが、余計なことを書いています。
青空未来通信記
余談ですが、その岩崎議員の今年の庚申講の不思議な画像の謎が解けました。
この庚申塚での参拝の様子を岩崎議員がデジカメで写したら、次のような画像が混じっていたという例の不思議な事件です。
そしてさらに不思議なことは、岩崎議員はこのとき、この不思議な画像とそっくりの絵を描いていました。デジカメ画像以前に、絵のほうがおおむね出来上がっていたのです。
私の友人に霊力の強い人が居ますので、今日、この画像を見てもらいました。
そしたら、この庚申塚のある空間はとても居心地の好い気配が支配していて、それで自然に中町の人たちはこの庚申塚に集まり、庚申講を続けていくことができるのだそうです。
その空間は絶対に火事を寄せ付けないということで、この庚申塚のある火産霊神社が度重なる大火を治めるためにこの地に移設されたという事実と符合します。
ではなぜ岩崎議員は不思議な画像と同じような構図の絵をあらかじめ描いていたかと言うと、岩崎議員は事前にこの庚申塚の霊気を受け取って、無意識のうちにデジカメに写る画像と同じものを描いていたのだそうです。
右端のそっくりなフォルムは、特別に何を表しているということはないそうです。
とても好い気が感じられるそうです。
これ以降、岩崎議員も”たまゆら”が写るようになってきました。
霊力の強いこの友人には、肉眼でぼんやり”たまゆら”が見えるそうですから、やはり”たまゆら”はデジカメの構造によるホコリの映り込みだけではないようです。
作家として生きていくのは経済的にはものすごく大変ですが、精神的には豊かな生活ができているとは思います。
精神的に豊かな生活が出来るのはとても素晴らしいことですね。
ここは公に晒される場所なので詳細は書きにくいのですが、聞きたいことを大まかに言うと「どうしてそんなに『彫刻家』を楽しめるのか」ということです。
私は今、大学で立体系のクラスに入っています。
正直疲弊しています。
上記で言ったように詳しくは書けませんが、私のクラスには教員・生徒共に人としてどうなのかと思う人間が多く、勿論自分にも直さなければいけない部分はありますが、どんどん私自身も感化されていっている様に感じたからです。
そして彼らの大半(特に教員)は芸術の世界では素晴らしい作家として扱われています。
人間的に見ても社会的に見ても最低なのに、芸術家というだけでだけこの扱い。
誰にも事実を知らされないし、知ってる人は咎めもしない。
芸術の世界に限ったことではないかもしれませんが、自分が飛び込もうとしている世界の実情を身をもって知って、「精神的に豊かに過ごす」ことから今相当遠ざかっています。
それによって見る世界を変え気にしないようにするのはわかるのですが、私が不快に思っていることが果たして「自己嫌悪・劣等感の裏返し」なのかはとても疑問です。
田中さんの大学時代の人たちがどんな人たちだったのかは知りませんが、私のクラスの人たちはそれこそ法律や道徳を相当犯しているところがあり、外部の人が聞いたらドン引きするでしょう。
多分田中さんが知ったとしても耳を疑うと思います。
それくらい酷いのに、それを気にする事が「自己嫌悪・劣等感の裏返し」なのでしょうか?
じゃあ気にしないことが良いことだとでも?
それを知って何の気にも留めない方がよっぽどおかしいと思います。