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☆今日は第17回高鍋町散策の旅が行われました。
時々雲に覆われましたが、風があって雲の流れが速く、おおむね好い天気に恵まれました。
まずは高鍋町美術館で開催中の「米倉斉加年の世界展」から始まりました。
美術館で開式です。
(ガイドの石井正敏氏の足元に「たまゆら」が1個)
美術館を出て城堀を巡ります。
やはり城堀は高鍋の顔でしょう。
歴史の生字引の石井正敏氏の滋味あるガイドが魅力的です。
次は小澤冶三郎生家の予定でしたが、その前に古民家を上手く再生して居られる久米酒店にアポなしで寄らせてもらいました。
古い趣のある家が次々と消えていく中、行政に頼らず個人の力で古民家を再生して使っておられる久米酒店の事は過去にHP日記でも紹介したことがありますが、そのときから是非、この散策の旅のルートに久米酒店を入れたいと思っていました。
しかし当時はルートから離れていたので組み入れるのはほぼ困難だったのですが、今は斜め道向かいの小澤冶三郎生家がルートに入ったことで可能となりました。
参加者の反応もとてもよかったので、今後のルート組み入れを検討できれば、と思います。
この店舗の方の家屋は築150年、中庭を挟んでの奥の家屋は築100年と言うことです。
見事な材と作りです。
次に予定ルートの小澤冶三郎生家です。記念写真を撮って、管理者の藤沢氏の説明を聞きます。
商店街は岩崎議員がガイドをしてくれました。中町商店街ポケットパークの尾崎慎氏の作品についても丁寧にいきさつを説明していただきました。
そして午前の最終ルートの黒木本店見学です。
今日は黒木社長が在社していて、直接挨拶をしていただきました。
黒木社長(商工会会頭)と参加者との軽妙なかけあいトークが絶妙でした。
いつも社員の皆様に親切にしていただきとても感謝します。
お昼は蚊口浜の「秋山商店」で、シーズン到来となった高鍋の牡蠣料理でした。
焼き牡蠣はまだ潮が温(ぬる)かったかなと思います(塩味が薄い)。やはりもっと寒くなって牡蠣の身が引き締まると旨みも増し、潮も濃くなって焼き牡蠣は最高の味となります。
今年は身の生育がとてもよいそうです。
この冬は是非、高鍋の牡蠣を食べにおいでください。
午後のコースは持田古墳群でした。
過去にも古墳祭に合わせて散策の旅を企画したことはあったようですが、今回は単独に古墳の見学を入れました。今までに無い趣向ですが、高鍋の古墳時代からの歴史の顔を知ってもらう好企画でした。
これは持田古墳群でもっとも大きい計(はかり)塚です。全長120mの前方後円墳です。
この位置からは初めて見ました。
これは私によっては非常に大切な位置づけを持つ石舟古墳です。こちらも前方後円墳ですが、この右の木の下に、江戸時代に盗掘された石棺がその後完全に掘り出されて、雨晒しで置かれていました。その石棺の中にベンガラが塗られていて、長い時を経ても鮮やかに残っていたのが、私の”再生”シリーズでベンガラを使うきっかけとなったのです。
その石棺は今はリニュアルした西都原資料館に持っていかれてしまいました。
ようやく返却の方向になったそうですが、きちんとした資料館を作らないと返却しないという条件がつきました。
つまりあの木の下に置かれていた石棺の美しい情景は2度と見ることが出来なくなったのです。
でも石舟古墳もこの角度で見るのは初めてですし、周囲はもっと林に囲まれた素敵な雰囲気で、こんなに開けっ広げな畑に接していた記憶はありません。
社会教育課の山本氏の説明を聞いて合点がいきました。10年ほど前に今の状態に畑地が整備されたのだそうです。それで失われた古墳の遺構もいくつかあるのだそうです。
私が40年前によく訪れて心を癒されていた美しい風景はもう失われてしまっていたのです。
古墳だけは文化財で県の所有地だそうですが、畑は個人の所有地なので、古墳だけを残して周囲の景観は完全に作り変えられてしまっていたのです。
なんとも哀しい現実でした。
これは社会教育課の山本氏が一つずつ手作業でマーキングをされ参加者に配ってくださった持田古墳群の配置図です。
以前に故・吉本町長が、持田古墳群の古墳が北斗七星の形で配置されている、とロマンを込めて語っていたことがあります。
確かにこの配置図を見ると北斗七星の形に並んで見えます。
しかし古墳時代は約300年間続き、上述の計塚と石舟塚には100年の築造時代差があるそうです。(計塚が初期)そして築造場所も地形に沿って作られているので、古墳時代の人々が300年もの間を北斗七星の配置思想で作っていったと考えるのは、無理があるように思います。
そして今日の最終コースは最近再び脚光を浴び始めている”高鍋大師”です。
この高鍋大師は持田古墳群の盗掘を嘆いた故・岩岡保吉氏が昭和9年に開山し、以来大小700余体もの石像を刻み設置してきた独特な空間で、亡くなった美術評論家の田中幸人氏をはじめ多方面から絶賛されて居ます。彫刻家の皆さんにもよく知られた場所です。
本堂は今は無人となり、信者や血縁の方たちによって管理されていますが、かつては高鍋町民の老若男女を問わず多くの人々が日々訪れる憩いの空間でした。
あんな自由な空間はもうどこにもありません。
光がいっぱいあふれていた記憶があります。
本堂には、火の玉で焼けた帽子とか、地下通路とかわくわくするものがいっぱいありましたが、地下通路は閉鎖され、つい先年まであった火の玉で焼けた帽子ももうありませんでした。
今日の散策にの旅はこれまでとは表情の違った企画でしたが、こういう企画でなければ高鍋町民ですら体験できない内容の濃い企画であったと思います。
参加者の半数はリピーターですが、一度参加されると熱烈な散策ファンになられるようです。
お天気にも恵まれ、これまでとはまた違った高鍋の好さを体験してもらえたことと思います。