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彫刻家・田中等の日々雑感・最新情報
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☆今日の午前は火産霊(ほむすび)神社の秋の例祭でした。
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社務所から古い額絵が保管されているのが出てきました。
おそらくこの神社を建立か改築するときに寄進した人たちの額絵で、神社内の壁にずっと飾ってあった記憶があります。近年、雨漏りがひどくなり、それで絵が損なわれないように保管されたのでしょう。
百人一首の額絵になっています。
いつのころのものでしょうか?
みんなで額に彫られた寄進者の名前を見ていくと祖父、曽祖父のころの名前だとわかりました。
2008_1125_025.jpg
























2008_1125_027.jpg
























私の曽祖父・田中梅吉の額絵も在りました。
絵柄には清原元輔の"契りなきかたみに袖を・・・”が選ばれています。
梅吉は明治18年ころに四国(香川県大川郡三本松)から高鍋へ来て居ます。
額には高鍋町と彫られています。
高鍋町の町制が施行されたのが明治34年(1901)ですから、したがってこれらの寄進はそれ以降のものとなります。
手持ちの資料では明治42年(1909)に神社が改築され、それを記念して京都から神輿を作ってもらったと記録にあります。額絵が百人一首というのも、やはりこの改築のための寄進だったのではないでしょうか。(神輿は個人の篤志家2名が払ったと記録にあるとのこと)
丁度100年前のことです。
傷みが激しい神社の建て替えの話がなかなか先に進みませんが、建て直しが実現した機会にでも補修等を施して、また展示されればよいなと思います。
2008_1125_026.jpg























火産霊神社の祭礼の後は、南の山手に祭ってある金毘羅宮を祭り、再び火産霊神社に戻って境内の稲荷神社を祭ります。
稲荷神社の右に建っているのは私たち中町公民館が祭っている庚申塚です。
2008_1125_031.jpg























稲荷神社の中にはこんな面白い味のあるものが祭ってあります。
2008_1125_029.jpg























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祭礼の後は境内で”なおらい”です。
今日も比較的暖かな気持ちの好いお天道様でした。
2008_1125_034.jpg























☆夜は火産霊神社奉賛会の忘年会でした。
”夏祭り”で結びついた連帯感はいいものですね。
今日の額絵はやはり明治42年の改築のときのものだろうと言うことになりました。
丁度100年目にこうして私たちの関心を呼んだと言うのも何かの因縁ではないのか、と言うことになりました。
ぜひとも復元プロジェクトを立ち上げたいものです。
2008_1126_035.jpg























2008_1126_036.jpg























私も気分よくカラオケを歌って楽しく過ごしました。

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田中 等
性別:
男性
職業:
彫刻家
自己紹介:
宮崎県在住の彫刻家。
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