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リーフレットも届きましたので受付のセッティングも明日には整います。
ただ記念のミュージアムグッズ(ペーパーウエイト)は明後日の朝一でないと届かないということです。
出品点数は33点となりました。
ほとんどの作品は私のアトリエにあったわけですから、並べてみると、よくもこんなに置けていたものだとびっくりします。
せめて会期中に嫁ぎ先が決まる作品が続出してくると嬉しいのですが・・・・
DMもほぼ発送が終わりましたので、個展告知でDMの画像を掲載します。
幸いにもよいお天気で、午前にユニック車でほとんどの作品を搬入することが出来ました。
私は一人でゆっくり一日かけて搬入するつもりでしたが、美術館の館長以下3名のスタッフが積み込みから手伝っていただき、スムーズに搬入を済ませることが出来ました。
と言っても、彫刻の搬入など初体験の美術館の皆さんには相当に堪える搬入手伝いだったようです。
午後には私の車で残りの作品を搬入し、夕刻までにはほぼ並び終えました。
明日からの3日間で展示方法の微調整や屋外設置作品パネルや諸資料等の会場構成を進めていきます。
不安だらけだった個展ですが、作品を並べてみると、意外やなかなかのものではないか、と思えてきました。
☆6月1日に就航した宮崎ー台北直行便の第2便で、台湾の張さんとガールフレンドの黄さんがやってきました。
予定より30分ほど早く到着しましたが、税関を通って出てくるまでにはかなりの時間がかかりました。一緒に乗っていた乗客は第一便で台湾へ表敬訪問したお歴々ばかりでした。
張さんは初めての日本、黄さんは東京には行ったことがあるということでした。
3Fのレストランで空港ビル勤務の中国出身の方を交えて、滞在中のスケジュールについて打ち合わせをしました。
大方の旅程は黄さんがインターネットで調べて、計画を建てていました。
あとは移動手段にJRがいいか、バスがいいかといったところですが、旅程の候補がいくつかあったのでそれぞれについてああでもないこうでもないと、結局3時間余も整理するのに時間がかかってしまいました。
とりあえず今夜は宮崎泊まり、明日、明後日と鹿児島、搬入後の後半は熊本という全体のスケジュールは建ちました。
さて、今日の午後はどうしよう。
やはり夜半からあいにくの雨で、雨が途切れる様子はありません。こんな天気の中を青島や日南海岸へ行っても面白くありません。
それでまずホテルをチェックインし、その足で宮崎県立美術館を案内し、そのあとは自由に宮崎市内の繁華街を散策してもらうことになりました。
宮崎空港の私の作品「風の門」と一緒に。
宮崎県立美術館の安田侃「天泉」の前で。
☆免税手続きの終わった空港展の海外からの作品が、博多税関から一気に送られてきました。台湾の5名全員とSibylleの作品が課税対象になっていました。課税されなかった中国の徐と潘の作品も一緒に届きました。
午後は梱包を解きながら、梱包状態をデジカメに納めていき、作品の損傷のチェックを行いました。
台湾の作家たちの仕事は丁寧で、梱包も実に丁寧です。
Sibylleも女性らしくきっちりとした梱包がしてあったのですが、残念ながら陶磁器製のもろい作品なので一部が折れてしまっていました。荷造りも丁寧で、梱包も外部からの強い打撃の跡はないので、やはり構造的に航空便は無理だったと言うことでしょう。一応郵便局の担当者に来てもらって保険の手続きをしてもらいました。
毎回どうしても必ず1,2点は損傷事故が起きます。接着補正すれば展示には支障ない程度の事故で助かっていますが・・・・・Sibylleの作品も接着すれば展示には支障ありません。
それに対して中国の作家の梱包は荒っぽいものでした。
潘の作品はブロンズの一部が梱包からかなり突き出していました。それと知らずに和室に運び入れるときに引きずってしまったので、畳が傷んでしまいました。作品には損傷はありませんでした。
作品の受け取り、送り出しには毎回本当に気を使います。
☆最近、霊標の仕事で行くことが多くなった、通称”殿さん墓”。
この急な長い階段の上に高鍋藩秋月家代々の墓地があります。
昔はこの急な石段を、担ぎ棒で担いで石を上げる手伝いをさせられたものです。
昔の石屋さんは大変でした。
県庁も市役所もこの春に大幅な機構再編が行われて、部署名や場所がまるっきり替わってしまって、窓口を捜すのが大変でした。
特に宮崎県の名義後援の窓口は県の広報では担当部名が替わったとあったのに、HPではまだ以前のままです。
おかしいなと思いながら守衛さんや職員さんに尋ねてもさっぱり分りません
結局、県民政策部の文化文教・国際課だという新しい担当部署だと分りました。
玄関でうろうろしていたので”県庁見学の方ですか?”と問いただされてしまいました。
用務を終えて県庁の玄関に戻ると、東国原知事の等身パネルがあったので、このブログを見てくださる方たちのために携帯でパチリ。
そうしたらもう慣れっこになってしまっている守衛さんが、撮ってあげましょうか?と声をかけてくれました。
玄関を出ると、例のハッピ(高校生へのアンケートで宮崎県がどこにあるのかほとんど知らなかったので、そのアピールのために製作。)を着た女性が居たのでパチリ。
県庁の正面です。このすぐ後には県庁ツアーの方たちが上記の女性の方の説明を受けておられました。
空港展のときに、宿泊場所は県庁のすぐそばなので、皆さんも県庁へ行って見られたら・・・・!
今回からは、現役の高鍋高校生とのつながりを持って、名実ともに高鍋高校のOB美術展であろうことを目指しました。
それで搬出の前に、OBと在校生との面識を深める自己紹介の場を設けました。
私たちが高校生のころは先輩たちは雲の上の存在で、言葉を交わすことさえ出来ませんでした。
ですからOB展に参加するということは大変な夢だったのですが、残念ながら当初第一期のOB展は私が大学進学と同時に解散してしまいました。
つまり、私は第一期のOB展からは声をかけてもらえずに終わってしまったのでした。
ですから復興OB展では出来るだけ若い作家を入れてあげたいと思って居ます。
しかし今は完全にOBと在校生の交流は切れていますから、在校生にとって私たちOBは自分たちとは無縁の人たちという意識が強いようです。
今回の企画がきっかけになって、つながりが復活することを願います。
在校生も回廊に作品を展示していました。自己紹介がてら先輩たちから様々にアドバイスをいただくことが出来ました。