彫刻家・田中等の日々雑感・最新情報
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☆昨日は高鍋町美術館で第3回高鍋デザイン会議が開催されました。
今回のテーマは「高鍋大師」。
「へたっぴんの美学」(1993年出版)の著者・今井祝雄氏(美術家・成安造形大学教授)を招いての基調講演と、高鍋大師に関わる関係者による高鍋大師の未来についてのパネルディスカッション。
高鍋大師に関しては、たびたびこのブログやHP日記でも触れてきましたが、美術評論家の故・田中幸人氏を初め美術の世界でも熱烈なファンが多く、日向現代彫刻展と空港展の参加作家もこの高鍋大師を訪ねた作家は多いのです。造形的な云々ではなく、故・岩岡氏の底抜けたエネルギーに圧倒されるのです。
この3月には宮崎県から宮崎県観光遺産に認定されましたし、藤田観龍氏も次の企画本の日本の石像仏の中で高鍋大師を掲載される予定です。ネット検索すると、やはり熱狂的なファンによる紹介サイトも見聞できます。
今でも毎日、町外からの訪問者があるといいますが、最初の建立からすでに80年が経過し、傷みも大きくなっています。
こういうタイミングでの高鍋大師への再クローズアップで、高鍋町民の思いで高鍋大師を蘇らせたいものです。
小澤町長の挨拶です。県からの宮崎県観光遺産の指定を受けて、宗教施設ではなく観光施設としての行政支援が可能となってきました。
今井祝雄教授による「へたっぴんの美学」を通じての基調講演で高鍋大師の魅力を熱く語られました。
来場者の多さに、高鍋町民の高鍋大師への関心の高さが伺えます。
関係者によるディスカッションです。
左から、持田地域まちづくり協議会会長・北村和義氏、高鍋大師の会会長・黒岩正春氏、今井教授、小澤町長、そしてコーディネーターの黒木商工会議所会頭。
維持管理等についての具体的な提案が示されていきました。
維持管理の監修には専門業者ではなく、地元の彫刻家などの表現者が関わるべきだという今井教授の進言で、私もいやおうなく高鍋大師に積極的に関わっていかざるを得ないようです。
ディスカッションの後に会場との質疑応答があり、私も私の立場での冒頭に記述したことの報告等を述べさせてもらいました。
とても具体的な提案、方向性が提言された会議であったと思います。
彫刻家として密接な関わりを求められることになったので、夜の懇親会にもお招きいただきました。
私はもっぱら、家床地区や坂本地区の地域の方たちと、持田古墳群の例の石舟塚の石棺のことに話が及びました。
これまで機会あるごとに述べて来ていますが、あの石棺こそが私の制作の原点であり、1年間の借用という名目で西都原資料館へ略奪され、屋根のある資料館を作らない限り持田古墳には返却しないという文化庁(?)の手前勝手なエゴに地域の方たちも怒りを露にされています。
あの古墳の上に雨晒しになって樹下にひそかに横たわっていた風情こそがもっとも美しかったのです。施設の中に収容されている石棺の中のベンガラからは、私の”再生”シリーズの誕生はなかったでしょう。
今回のテーマは「高鍋大師」。
「へたっぴんの美学」(1993年出版)の著者・今井祝雄氏(美術家・成安造形大学教授)を招いての基調講演と、高鍋大師に関わる関係者による高鍋大師の未来についてのパネルディスカッション。
高鍋大師に関しては、たびたびこのブログやHP日記でも触れてきましたが、美術評論家の故・田中幸人氏を初め美術の世界でも熱烈なファンが多く、日向現代彫刻展と空港展の参加作家もこの高鍋大師を訪ねた作家は多いのです。造形的な云々ではなく、故・岩岡氏の底抜けたエネルギーに圧倒されるのです。
この3月には宮崎県から宮崎県観光遺産に認定されましたし、藤田観龍氏も次の企画本の日本の石像仏の中で高鍋大師を掲載される予定です。ネット検索すると、やはり熱狂的なファンによる紹介サイトも見聞できます。
今でも毎日、町外からの訪問者があるといいますが、最初の建立からすでに80年が経過し、傷みも大きくなっています。
こういうタイミングでの高鍋大師への再クローズアップで、高鍋町民の思いで高鍋大師を蘇らせたいものです。
小澤町長の挨拶です。県からの宮崎県観光遺産の指定を受けて、宗教施設ではなく観光施設としての行政支援が可能となってきました。
今井祝雄教授による「へたっぴんの美学」を通じての基調講演で高鍋大師の魅力を熱く語られました。
来場者の多さに、高鍋町民の高鍋大師への関心の高さが伺えます。
関係者によるディスカッションです。
左から、持田地域まちづくり協議会会長・北村和義氏、高鍋大師の会会長・黒岩正春氏、今井教授、小澤町長、そしてコーディネーターの黒木商工会議所会頭。
維持管理等についての具体的な提案が示されていきました。
維持管理の監修には専門業者ではなく、地元の彫刻家などの表現者が関わるべきだという今井教授の進言で、私もいやおうなく高鍋大師に積極的に関わっていかざるを得ないようです。
ディスカッションの後に会場との質疑応答があり、私も私の立場での冒頭に記述したことの報告等を述べさせてもらいました。
とても具体的な提案、方向性が提言された会議であったと思います。
彫刻家として密接な関わりを求められることになったので、夜の懇親会にもお招きいただきました。
私はもっぱら、家床地区や坂本地区の地域の方たちと、持田古墳群の例の石舟塚の石棺のことに話が及びました。
これまで機会あるごとに述べて来ていますが、あの石棺こそが私の制作の原点であり、1年間の借用という名目で西都原資料館へ略奪され、屋根のある資料館を作らない限り持田古墳には返却しないという文化庁(?)の手前勝手なエゴに地域の方たちも怒りを露にされています。
あの古墳の上に雨晒しになって樹下にひそかに横たわっていた風情こそがもっとも美しかったのです。施設の中に収容されている石棺の中のベンガラからは、私の”再生”シリーズの誕生はなかったでしょう。
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