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朝のうちは上天気でしたが次第に雲行きが怪しくなり、ソウルに着くころには小雨が降り始めました。
5回目の訪韓にして初めてのソウルです。
貸切バスでの移動でした。
お昼は仁寺洞のギャラリー地下の安東麺の店で。日本人の味にあったとても美味しい店でした。
ものすごい数のギャラリーがひしめく仁寺洞です。そして実に多くの人が各ギャラリーを巡り歩きます。
このギャラリーはINSAというアートセンターで5階建てのビルでみんなエレベーターと階段で移動します。各階にこのような大きな空間のギャラリーとこじんまりしたギャラリーがあります。
この個展は日本での発表の機会の多いHwang Yea-sookさん(女性)の陶オブジェ。
ご主人が金教授と友人だと言うことでした。
右の男性の頭の真上にぽっかりと「たまゆら」が・・・・
この個展はLee, chang soo氏の紙を使った作品。
金教授の大学の後輩と言うことでした。
ここでも挨拶を交わしている人たちの右下に小さな明るい「たまゆら」が。
今回の韓国滞在では見るべき彫刻作品には出会えませんでした。
その中でこの展覧会は人体を針金で巻いてリアルに表現すると言う驚異的な技法を使った作家の大きな個展でびっくりさせられました。
余りにもリアルなので、直接人体から型を取ってそれに針金を充てて行ったのではないかと思われるのですが、それだと型の中に入ってやらないと出来ない作業なので、どうして作るのか摩訶不思議でした。
金教授の話では韓国の超売れっ子作家だと言うことです。
ここでも「たまゆら」が写っていました。
右から3番目の方が作家です。中国の作家たちがとてもびっくりして一緒に写真を撮ってもらっていたところへ便乗しました。
すごく驚異的な作品なのですが、余りにも韓国人韓国人しているしファッション造型的なところも感じられて、彫刻作品としては私の心に残るものではなかったようです。
でもすごい作家には間違いないでしょう。
道筋にずらりと画廊が並びます。
新しいギャラリーも次々に出来ています。
これだけのギャラリーが林立する背景にはそれだけ美術作品が韓国では売れているということなのでしょう。
通訳の申さんの話では、清州市のアートスタジオのような行政による積極的な作家支援も、美術作品が売れるようになったことが行政の考え方を一変させることになった背景なのだそうです。
ただし、この日のソウルのギャラリーでの作品には、これといった作品にめぐり合えなかった気がします。
現代美術に詳しい田中教授の話では、ソウルのほとんどの現代アート作品が海外作家の模倣であり、彼等には社会を見る目がまったく欠如していると言われました。
それよりも清州のアートスタジオの作家たちの存在が本物で強烈で、田中教授は一昨夜はショックで眠れなかったと言うことでした。
田中教授は今日の沖縄便が早かったので、このままソウルに滞在し、中国の作家たちも数日のソウル観光のためソウルに残りました。
入れ替わりに吉岡まさみ氏が遅れてやって来られ、ソウルで合流しました。
ホテルには日本作家だけが帰ってきて、ロビーで軽く吉岡氏の歓迎のビールを泡立てました。
私たちは今朝のインチョン直行バスで清州を発ちます。
☆昨日24日の報告です。
山荘は雨上がりの素晴らしい爽やかな朝となりました。オンドルの暖かさが気持ちよかったです。
下山は前日とは異なった川沿いの道筋で、とても楽でした。これならハイキング客も気楽に立ち寄れます。
金教授、洪教授と一緒に。
門前村の入り口にある有名な伝説の松。その昔(15世紀)世祖王がこの松の下を通りかかったときに、松が自ら枝を上げて王様の邪魔にならないようにしました。王はそれでこの松に「正二品松」という位を与えたと言うことです。
国立公園(俗離山は国立公園)の管理事務所に乗馬クラブがありました。
スロバキアではMilanの乗馬クラブで馬に乗り損ねたので、この日は率先して乗せてもらいました。
王様になった気分でした。
トレーナーの女性は韓国の乗馬大会で2度優勝の経験のある方でした。
清州へ戻り、昼食は陣教授(下右)のアトリエの隣のレストランでした。
まかないのオバチャンが”あんた、どこかで会ったことがあるよね”と言いました。
山荘では金教授が親戚に私とそっくりな人が居ると言いました。
どこへ行っても私はこんなふうに言われます。
素晴らしい環境の陣教授のアトリエです。
陣教授はニューヨークに16年間滞在され、ネイチャー英語を話されるダンディーな作家です。
アトリエはものの見事にきちんと整理されていました。
高校の教科書に載っている作品がさりげなく壁に掛かっていました。
こんな素晴らしいアトリエで制作できるなんて・・・一同、感動しきりでした。
☆夜はホテルで「未来都市研究院」主催の晩餐会が開かれました。
中央の韓流スターのようなナイスガイは法人組織でスタジオを運営されている金先生。
彼等は清州市からの補助金でレジデンススタジオを運営されていて、韓国の作家だけではなく海外からの作家も受け入れておられます。今、日本からも2人の方が制作滞在されています。
金先生の行政による芸術文化活動への支援の話は、この夜にこれから起きる一大カルチャーショックの始まりでした。
☆晩餐会の後、金教授の建設中の制作スタジオと自宅を見に行きました。
体育館のような巨大なスタジオに圧倒されて私たちは立ちすくみました。
左がスタジオ、右が自宅兼金教授個人のアトリエ。
(この縮小画面ではわかりづらいですが、ここで予想だにしなかった「たまゆら」が写っています。
金教授の周りにも「たまゆら」が。金教授はこのスタジオを滞在創作アトリエとギャリーを併設した美術館組織にして学芸員を置き、清州の若い作家たちを育てたいということです。
金教授は韓国一の超売れっ子作家だそうです。
個人の作家がこれほどの経済力を持てる韓国の凄さ!
☆引き続いて清州市が運営しているアートスタジオを見学に行きました。
このアートスタジオは清州市近辺の作家に限って開放された滞在創作スタジオです。
短期滞在と1年の長期滞在があり、厳格な審査によって滞在を許可された作家たちには広いスタジオを貸し与えられ、アトリエには寝泊りできる施設が備えられ、24時間制作に没頭することが出来ます。
外観には「たまゆら」がかすかに写っていて、快適な空間であることを感じさせます。
施設の中には広いギャラリーもありここで創作の成果発表をすることになっています。
各作家はきちんとしたカタログを作っています。
各作家のスタジオを見学させてもらいました。
このスタジオはLee Eun Jeongさんのアトリエです。とても表現力のある作家の力量に驚きました。
各作家がしっかり自分のテーマを持っていてかなりレベルの高い技量を持った人たちばかりであるのに驚きました。
大学出たての新人作家のレベルの低いレジデンススタジオだろうという先入観を持っていた私と田中教授にはものすごいカウンターパンチでした。
このスタジオにはキュレーターが2名居ます。
話をお伺いすると、この創作スタジオの作家たちは、韓国の美術世界で常識である大学とのつながりは一切無く、滞在認可の審査陣も大学との密着を排して毎年入れ替わり、韓国国内ではなく海外での創作活動に力点を置いた作家構成になっているといいます。
しかもそれは清州市の方針なのだというのです。
日本では考えられない行政の美術活動への支援体制に私たちは度肝を抜かれてしまいました。
この創作スタジオから必ず韓国を代表する作家が出てきます。
しかもこうしたスタジオは清州市だけではなく韓国内の主要都市にあるというのです。
つまり韓国の行政の芸術活動への支援体制がまるで日本とは違うのです。
これでは日本の文化は滅びます。
そう強く実感した夜でした。
子供たちも教会へ遊びに来ています。
☆今日の午前に近くの「のゆり保育園」で4年前に引き続いて園児たちへの粘土によるアートセラピーを行いました。
自己紹介は英語で。「のゆり」の子供たちはみんな英語で自分の名前が言えます。
Slavaは粘土を使って園児たちと心のキャッチボールを行っていきます。
みんなでハートの輪を作っていきます。
園児たちから”もう一度やりたい!”との熱烈なアンコールを受けて、23日に今度はピクチャーでのアートセラピーを行うことになりました。
昼食を園児たちと一緒に摂らせていただきました。
高校生相手のアートセラピーも是非実現させたくて、高鍋高校の谷口先生にもレクチャーを見学していただきました。
英語堪能な保育士の稲村君の通訳を通じて打診の結果、谷口先生の授業の中でのアートセラピー授業が実現できることになりました。
そしてSlavaがこの友愛社の地に特別なものを感じて(彼女の表現によれば心が磁石で引きつけられるように)、引き寄せられるように再度やってきたこと、この地はとてもスピリッチュアルな特別な場所で、石井十次もここに引き寄せられ、今も多くの人がこの地に引き寄せられて来るのでしょう、という説明に園長先生はとても大感激されました。
”それじゃあ、稲村君が10月1日付けでここに来たのも、Slavaさんたちのために来たということですね。”
きっとそうでしょう。
まさかこの明るいアートセラピーの会場の武道場で「たまゆら」が写るとは思いもしませんでしたが、稲村君のそばにくっきりと「たまゆら」が写っています。
(ここしばらく「たまゆら」騒動が続いてそれが日常になってきたので、当分は”すごい!”という画像以外は控えます。月曜からまた韓国なので、平常心が保てるか心配ではありますが。)