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☆午前に石材店の霊標の仕事で町内の西平原の墓地へ行きました。
墓地の入り口にはじめて見る立派な地蔵があり、びっくりしました。
そしてひょっとして・・・と思って、帰宅して「高鍋の野仏」(高鍋町教育委員会発行)をめくると、やはりそうでした。
あの有名な”いぼとり地蔵”でした。
いぼを取るのに霊験あらたかで参詣が絶えないし、造形的にも優れていると聞いてはいましたが、恥ずかしながら今日の今日までどこにあるのかまったく知りませんでした。そういえば今日の墓の主のT家の隣にあると聞いていたことを思い出しましたが、T家のあった敷地はもう単なる藪となっており、周囲も墓地以外はまったく景観が変わってしまっています。
「高鍋の野仏」によると、この地蔵の正式名称は西迎院(せごいん)地蔵。ここの墓地が西迎院墓地と言います。由来によると、かつて龍雲寺にあったものだそうです。高鍋藩のほとんどのお寺は廃仏毀釈でなくなってしまいました。
建立年月日は不明ですが、台座には宝暦五(1755年)と彫られています。
石は桜御影石です。このあたりの野仏には多く使われています。隣町の木城町仁君谷に桜御影石の丁場がありましたので、おそらくそこの石ではないかと思います。
それにしても町内にこんなに大きなゆったりした地蔵があったことに非常に驚きました。
そしてこんなに有名な地蔵を、私がまったく今日まで知らなかったというのも仰天です。
☆今日の制作画像です。