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☆仕事をしながらFMラジオから流れてくる嘉門達夫の「明るい未来」を聞いていたらたまらない気持ちになった。
これまで何度か聞いたことはあるが、じっくりと聞くと私たちの未来が明るかった昭和の時代の情景がまざまざとよみがえってくる。いつもはギャグや替え歌ばかりの嘉門達夫だが、この歌の内容は余りにも切ない。
かってこれほど”昔は良かった”という歌が本当にそう思えてくる歌があっただろうか。
人類が生まれてからずっと、今の若いものは、昔は良かった、という思いが繰り返されてきたのだが、いまの状況はこれまでのどの時代ともまったく状況が違う。
これほどの電化生活、IT生活はこれまでの時代にはまったく無かったし、電化による便利な社会は昭和の時代には本当に明るい未来の世界だったのである。
ゆり戻し、という言葉がある。つまり方向性がおかしくなったものを一度逆戻りさせて正常な姿に保つ、たとえば現代の新建材による建造物などを昔の木造建造物のほうが良かったという回顧趣味によって木造住宅の建造が増えるような時に使うことが多い。人によっては余り意味の無い、単なる”昔は良かった”という懐古趣味の問題だと片付ける人も居る。
しかし、携帯やインターネットの出現した今の時代は、人類がかって経験したことの無い社会なのである。
そして、これから先の未来は決して明るいものには感じられず、多くの人々がこれ以上便利になる必要は無いと感じている。
確実に昔の手段のほうが良かったというものがいくつも明らかになってきている。
なんともいやな時代に生きてしまったな、とつくづく思う。
石油の大量消費による地球温暖化は、いやおう無く石油に頼りすぎてきた現代の人類に生活手段の見直しを迫ってきている。
いまの狂ってきた世のありようから考えると、3,40年で石油が枯渇して生活水準が後退してしまう未来は、むしろ人類の健全な社会へのゆり戻しになるのではないだろうか。
パソコンも携帯も無かった時代がどれほど人間的な社会であったか。
☆今日の制作です。
なかなか傷が取れません。
傷を取りながら、バランスも高さを下げてみました。