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☆明日から3日間、延岡大師祭が始まります。
私の仕事場の向いの円福寺も先日から「四国八十八箇所霊場」の幟が立っています。
私が小さいころはこの右の山手の中腹に日当たりの好い小さな大師祠があって、今の時期の「おだいしさん」祭りのときはそこへ登っては、お接待のおにぎりなどいただいていました。美味しかった散らし寿司のおにぎりの味は今でも記憶にあります。その後、何回かこの山腹はがけ崩れにあい、いまでは鬱蒼と木々の茂ったままになり、昔の面影はありません。
この円福寺は四国出身の人たちのよりどころであったようです。
赤い幟の寄進者の名前をみると、やはり先祖が明治時代に四国から移住してきた方たちのようです。
先日の高鍋大師の未来を語るシンポジウムの中で、町民が集まる「大師祭り」を開催したら、という意見がありました。昔はこの円福寺と、町中の下月火(あこづき)川の袂の小さな大師堂と高鍋大師で「おだいっさん」のお接待があって私たちはそれらを巡っていましたので,高鍋大師での「大師祭り」は復興ということになります。緑の瑞々しい今の時期が「大師祭り」だったのですね。
私たちの知らない遺跡のようです。
「今回は素晴らしい遺跡(ワクラプカラ)を訪れましたので、その報告をさせて頂きます。
☆県の商工会議所連合会が設置を進めているひむか神話街道モニュメント像事業で、先日、西都市のあいそめ広場にニニギノミコトとコノハナサクヤヒメが設置されたと言うので見に行ってみました。
設置された場所は、先日訪れたまちなかギャラリーの入り口の真前でした。
制作費は台座やプレートを含めてFRP樹脂製で一体100万円です。
ですから普通にやっていたんではあまり利益のない仕事です。
したがってあまり手をかけてはいられません。
(携帯で撮ったので画像はよくありません)
これが絶世の美女のコノハナサクヤヒメの顔でしょうか?
そのあたりのスーパーで買い物をしている贅肉たっぷりの中年のおばちゃんにしか見えません。
(私の高千穂のコノハナサクヤヒメの顔も鋳造が悪くて醜悪になっているので、あまり人のことは言えませんが)
サインを見るとh.kuboとあるので制作したのは延岡のK氏だとわかりました。(面識はまったくありません。もっぱら造形の仕事をしている人のようです。)
これまでに県内に設置された像の画像を新聞で見る限り、作りがみんな同じなので、すべてK氏が作ったもののようです。
高鍋商工会議所の担当の方の話では、ひむか神話街道沿いのモニュメントはその地域の作家に発注する、と言うことでしたが、そうではなくすべてK氏が作っているようです。
今回のテーマは「高鍋大師」。
「へたっぴんの美学」(1993年出版)の著者・今井祝雄氏(美術家・成安造形大学教授)を招いての基調講演と、高鍋大師に関わる関係者による高鍋大師の未来についてのパネルディスカッション。
高鍋大師に関しては、たびたびこのブログやHP日記でも触れてきましたが、美術評論家の故・田中幸人氏を初め美術の世界でも熱烈なファンが多く、日向現代彫刻展と空港展の参加作家もこの高鍋大師を訪ねた作家は多いのです。造形的な云々ではなく、故・岩岡氏の底抜けたエネルギーに圧倒されるのです。
この3月には宮崎県から宮崎県観光遺産に認定されましたし、藤田観龍氏も次の企画本の日本の石像仏の中で高鍋大師を掲載される予定です。ネット検索すると、やはり熱狂的なファンによる紹介サイトも見聞できます。
今でも毎日、町外からの訪問者があるといいますが、最初の建立からすでに80年が経過し、傷みも大きくなっています。
こういうタイミングでの高鍋大師への再クローズアップで、高鍋町民の思いで高鍋大師を蘇らせたいものです。
小澤町長の挨拶です。県からの宮崎県観光遺産の指定を受けて、宗教施設ではなく観光施設としての行政支援が可能となってきました。
今井祝雄教授による「へたっぴんの美学」を通じての基調講演で高鍋大師の魅力を熱く語られました。
来場者の多さに、高鍋町民の高鍋大師への関心の高さが伺えます。
関係者によるディスカッションです。
左から、持田地域まちづくり協議会会長・北村和義氏、高鍋大師の会会長・黒岩正春氏、今井教授、小澤町長、そしてコーディネーターの黒木商工会議所会頭。
維持管理等についての具体的な提案が示されていきました。
維持管理の監修には専門業者ではなく、地元の彫刻家などの表現者が関わるべきだという今井教授の進言で、私もいやおうなく高鍋大師に積極的に関わっていかざるを得ないようです。
ディスカッションの後に会場との質疑応答があり、私も私の立場での冒頭に記述したことの報告等を述べさせてもらいました。
とても具体的な提案、方向性が提言された会議であったと思います。
彫刻家として密接な関わりを求められることになったので、夜の懇親会にもお招きいただきました。
私はもっぱら、家床地区や坂本地区の地域の方たちと、持田古墳群の例の石舟塚の石棺のことに話が及びました。
これまで機会あるごとに述べて来ていますが、あの石棺こそが私の制作の原点であり、1年間の借用という名目で西都原資料館へ略奪され、屋根のある資料館を作らない限り持田古墳には返却しないという文化庁(?)の手前勝手なエゴに地域の方たちも怒りを露にされています。
あの古墳の上に雨晒しになって樹下にひそかに横たわっていた風情こそがもっとも美しかったのです。施設の中に収容されている石棺の中のベンガラからは、私の”再生”シリーズの誕生はなかったでしょう。
ずっと気になりながら、半分破損しかけた(鉄部が外れていた)まま長年放置したままで、関係者にはご迷惑をおかけしました。
これで作家名、作品名もわかって(問い合わせが多かったそうです)、ホテル側も安心した感じです。
私も便秘が解消した気持ちです。
プレートも台座もすべて私の手出しのボランティアです。
私の町の環境空間が良くなるのですから、彫刻家としてのお手伝いです。
他の商店街の設置状況の良くないものも、随時こうして手をかけていこうと思います。
いったん仕事場に持って帰って補修の作業をしました。
パレットトラックを使えば一人でも設置作業が出来ます。
玄関右手に再設置しました。
岩崎議員はちゃんとFAXを見て画像を撮り、ブログにUPしてくれています。岩崎議員のブログには中町ポケットパークの彫刻の作者である尾崎慎氏からの書き込みもあり、中町ポケットパークと彫刻家はとても連絡が上手く取れていることがわかります。
青空未来通信記
一方、今朝のこと、新聞を読んでいた妻が、コノハナサクヤヒメのことが載っているよ、と言います。
どれどれ、と新聞を覗き込むと、”救出”されたコノハナサクヤヒメ像は建立主旨の銘板のはめ込んであった台座石が引き上げられなかったので、高千穂地域おこしの会「智鋪の郷」が木柱の案内板を設置したというものでした。除幕式は盛大に行われたようです。
こちらは”お隠れ”になったときにも新聞社と設置に関係した方から連絡があっただけでした。
そして今回のことも新聞で初めて知った次第です。
地域おこしの関係者にとっては像の作者は何の関係もない、ということでしょう。
こうして新聞記事になったりするので、木花開耶姫像が地域の人たちに町のシンボルとして大事にされていることを知ることが出来ますが、中町ポケットパークの中町の人たちと作家との関係がクローズアップされたタイミングと重なってしまい、何か複雑な思いです。
新聞記事のコピーです。
☆HP日記にも書きましたが、NHK宮崎放送局の放映している「いっちゃがテレビ」が今年で10周年を迎えます。それで新企画で「キラリ!商店街を発掘(仮)」を立ち上げることになり、県内の元気な商店街の取り組みや他にない特徴、名物店主など商店街の話題を紹介していきたいということです。
その第1回の放送に高鍋町の商店街連合会の取り組みを紹介していただくことになりました。その中で各商店街独自の取り組みも紹介したいということで、中町名店会ではおそらく全国的にも例のないだろう南九州大学造園学科と一緒に作ったポケットパークを紹介していただくことになりました。
今日VTR取材に来られるということで、今朝あわててポケットパークを清掃しました。
もちろん、設置されている尾崎慎氏の作品も丁寧に汚れを落としました。地区住民の人たちにこんなに大切にされている彫刻はあまりないでしょうね。
ポケットパークの桜はまだ3,4分咲きです。
汚れが落ちてすっきりした尾崎作品です。
お昼前にNHKのディレクター・安藤陽子さんが独りでVTRカメラで撮影されていました。
このポケットパークを作ったときの名店会の会長は岩崎議員でした。
美女の取材に顔もほころびます。
岩崎議員は、ついでにベンチに座っているポーズもとらされました。一緒に写っているのはたまたま通りかかった同じ名店会のYONEDAの奥さんです。そういえば私を含めて3人ともに高鍋高校の美術部OBです。
放送は4月6日(月)です。夕刻6時半前後に、VTRと生出演(中町名店会からはおざわ商店の小澤正隆君が登場します。)による構成で約22分間の生放送です。
どうかご覧になってください。
岩崎議員のブログもどうぞ 青空未来通信記