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☆視察研修2日目は境港市・水木しげるロードと出雲大社商店街でした。
前夜から降り出した雨が、朝のうちはからりと晴れてとても爽やかな暖かい陽気となりました。
天気予報は外れたな、と思っていると、ホテルを出るころからにわかに暗雲立ちこめて、あっという間に激しい雨と風になってしまいました。
強風は夕刻まで続きました。
午前10時から境港市役所にて担当課の浜田課長の楽しい語りで、水木しげるロード事業の経過について研修させていただきました。
この事業を行政が導入するまでは境港市は”犬猫通り”と呼ばれるゴーストタウンで、そこへ”妖怪”を置くなんてさらにお化け通りになると商店街が猛反対したという経過についてはよく知られています。
今日のゲゲゲのブームで、もはや空き店舗は一店もなくなったということです。
今日も多くの視察が訪れる中を、時間を割いて対応していただきました。
☆また、中村・境港市長が小澤・高鍋町長の大学時代の野球部先輩ということで、市長さんにも対応していただきました。
さらに、中村市長は学生時代に野球キャンプで3週間高鍋に滞在したことがあるという縁も判明しました。
☆市役所を出て、水木しげる記念館の庄司館長に、境港駅前から水木しげる記念館までを案内していただきました。
私は境港市も10年ぶりです。
やはり10年の間にブロンズもずいぶん増えましたし、商店街もずいぶん様変わりして活気付いています。
やはり新しいおしゃれな店が増えたのがこの10年間の大きな違いです。
こちらの”妖怪饅頭”さんは、ゲゲゲの女房で飛躍的売り上げが伸び、年商○憶に達したとか。
4店舗あるうち開いているのは2店舗。理由は売れすぎて生産が間に合わず、店を閉めざるを得ない、ということだそうです。
マスコミの影響、あな怖ろしや!
この小便小僧の衣装は全国に公募しているものだということです。
絶えず色んなアイデアを出してマスコミを利用して人々の関心をひきつける努力をされています。
☆水木しげるロードを後にして、午後は出雲大社のある出雲市大社町へ。
かつての出雲大社の玄関口であった大社駅です。
かつての国鉄の駅はこんなに美しかったのですね。
交通機構の変遷により、大社線が廃止になり、それで観光客の流れが変わり、商店街も寂れていったということです。
☆遅い昼食を、島根ワイナリーで摂りました。
ここも10年ぶりです。
当時よりお客が少なくなった気がします。
☆風はまだ吹き荒れていますが、ようやく雨のほうは落ち着いたようで、神話の里らしい雲模様となりました。
☆3時半過ぎて出雲商工会議所にて、神門通り甦りの会の事業研修でした。
神門通り甦りの会会長で日本ぜんざい学会会長(”ぜんざい”は出雲の神在が起源、とのこと)の田邊達也氏から出雲大社商店街の取り組みについての報告がありました。
毎日5,6千人の観光客が訪れるにもかかわらず、商店街が衰退していった原因は上述しましたが、それに対する取り組みや分析はどの商店街にも共通するもので、私たちや周囲の商店街が悪戦苦闘している取り組みとほぼ似通ったものでした。
ほとんど自己資金の無い状態での模索は、やろうとしていることも高鍋とよく似ています。
こんな法被を私たちの散策の旅にも着用したいと思っているのですが、予算がありません。
そしてここでも事情は同じで、すべて自腹なのだそうです。
☆研修が終わったのはもう夕暮れの5時前でした。
肝心の出雲大社が5時には閉まるのでは、とみんな息せき切って急ぎます。
案の定、売店はもう店を閉じていましたし、本殿も平成の大遷宮の工事中でした。
床の円は2000年に発掘された心御柱の跡。直径1,35mの杉柱を金輪で3本束ねた柱が9本という古代巨大神殿の造営差図通りのものが発掘されて、古代の出雲大社が50メートルの高さがあったというのは誇張伝説ではないことが実証されました。
10年前に私が来たときは発掘直後だったので、まだ発掘された状態の柱を見ることが出来、多くの見学者が群がっていました。
神楽殿のほうはまだ売店が開いていて、まちなか事務局の独身マキちゃんは目当ての縁結びのお守りが買えて喜んでいました。
みんな”ご縁”の五円玉を大注連縄に差し込ませようと必死で投げ上げていました。
☆夜はみんなとは別行動で、石見銀山の彫刻家・吉田正純さんから自宅に招いていただきました。
吉田さんの自宅は世界遺産の町並みの只中にあり、建物は築240年の江戸中期のものだということでいた。
街灯の全く無い江戸時代のたたずまいそのままの町並みを通ると、まるで江戸時代にタイムスリップした感じでした。
吉田さんの奥さんのおいしい手料理をいただきながら、盃を傾けて話を聞いていると、10年前まではこの町並みもほとんど幽霊屋敷状態だったというのです。
そして街並み再生の手本が美々津町の町並み保存をお手本にしたものだと聞き、驚きました。
そういえば、吉田さんとの出会いは日向現代彫刻展の立役者、黒木・元課長と石見銀山の方たちとの交流から生まれたものでした。
そして今夜は思いがけない展開になったのです。
吉田さんの仲間でこの町並み再生の中心となっている方から、御呼ばれがかかっているので一緒に行きましょう、ということになり、料理の残りを抱えてそのお宅へお邪魔しました。
そこも古民家を改装した趣のある建物で、多くの人たちがテーブルを囲んでいました。
座主は松場大吉さんという、この石見銀山のまちなみ再生の中心となって活動されている方で、今夜は奥さんの誕生パーティーだということでした。
(実はこの奥さんが大変な方だったのです。今夜は知るヨシもありませんでした)
日向市の黒木・元課長の話、日向現代彫刻展の成り行きの話、松場さんとの話がとても気持ちが通じてぐんぐん展開していくのです。
石見銀山の方たちにとって、日向市美々津は第2のふるさとなのだそうです。
松場さんはとてもゆったりした方で、ゆったりしながらも揺るぎの無い強い信念を持っておられる方です。
そのうち、明日の協議会の観光ボランティアガイドによる石見銀山視察の話になると、このまちなみを再生しそのなかで生きている私たちに話を聞かなければ何にもならない、明日の観光ボランティアはキャンセルしなさい、ということになりました。
会議所の担当者に電話すると、キャンセルは出来ないということだったので、それならガイドと一緒に話を聞きなさい、ということになりました。
私の向かって右が松場さん。一番奥で左手にワイングラスを持っておられるのが奥さん、右側のメガネをかけた坊主頭が吉田さん。(カメラマンは吉田さんの奥さん)