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☆昨日の強風雨がウソのように、よく晴れた暖かい研修3日目。
最終日の今日は、午前一杯を世界遺産・石見銀山と大森町のまちなみの視察です。
視察の前に、昨夜お世話になった吉田さん宅へ、小澤会長と一緒にお礼に伺いました。
8時半という早朝でしたので吉田さんはまだ寝ぼけ眼です。
障子を開くと小さなギャラリーになっていました。
☆最初に観光ボランティアガイドの案内で石見銀山を案内していただきました。
本当に今では急傾斜の山間ですが、銀山最盛期にはこの狭い山間に20万人もの人たちが住んでいたのだそうです。
唯一、観光で入れる”龍源寺間歩(まぶ)”(坑道)です。
多くの間歩はやっと人間一人が通れるくらいの狭さでした。
小さなロウソクを燈しての手彫り作業はどんなに困難だったことでしょう。
一日30cmほどしか掘り進むことは出来なかったということです。
☆石見銀山の遺構の観光の後は大森町のまちなみ視察でした。
昨夜約束した松場大吉さんとの連絡は、まちなみに入ってからにしようと思っていました。
そこへ、ボランティアガイドさんが、ここには是非店の中にはいって見たほうがよい、と”群言堂”という店に案内してくれました。
店内を見ると吉田さんの彫刻があちこちにおいてあります。
ひょっとして・・・・
店長にお伺いすると、やはりこの店のオーナーが松場さんでした。
さっそく松場さんに電話を入れてガイドさんも一緒にまちなみを案内していただくことになりました。
群言堂前のこの店舗が松場さんの実家です。
松場さんご夫妻は、この呉服・雑貨の店を継ぐために1981年にUターンされました。
ショーウインドウはそのまま愛猫・キムチの棲家となっています。
この少し先に電気の無い、ろうそくの灯りだけで過ごす空間の民家があります。
もともとはこの民家が文明を排した”群言堂”だったようです。
その後、”群言堂”はブランド名となったということです。
そういえばこの空間のことを日向市の黒木・元課長から何度となく聞かされたことがありますし、
この空間で使う吉田さん制作のロウソク立てと和ろうそくをもらったことがあります。
テーブルはもちろん吉田さんの作品です。
☆ここは築230年の朽ち果てていた武家屋敷を再生させた”他郷阿部家”という宿泊施設です。
玄関の作品も吉田さんの作品です。
いたるところ吉田さんの作品が空間を構成しています。
松場さんご夫妻は、大吉さんは実家に、奥さんの登美さんはこの阿部家に住んで別居生活をされています。
お客をおもてなしするにはその家の住人でなければ心遣いが出来ない、という理由で奥さんは阿部家に住んでおられます。
そして宿泊客はこの台所で、薪で焚いたご飯と地元の食材で松場さんご夫妻と一緒に食事を摂るのだということです。
土蔵を再生したシアタールームでは、この武家屋敷の廃屋のときから再生までの姿をボレロの音楽とともに見ることが出来ます。
松場さんご夫妻は広島県からの藁葺き民家の移築を含め6軒の民家を長い時間をかけて再生してこられています。
松場さんはそれらの民家再生も紹介されたかったようですが、残念ながら昼食の予約が入れてあり時間を延ばせませんでした。
松場さんご夫妻ともお知り合いになれたし、ぜひまた石見銀山を訪れたいと思います。
松場さんご夫妻、吉田さんご夫妻、ほんとうにありがとうございました。
☆ネットでは松場さんご夫妻の紹介が多くあります。
石見銀山生活文化研究所
種を蒔く人々ー空と土プロジェクト
松場登美ー観光カリスマ
Amazon 「起業は山間から」
「群言堂」デザイナー 松場 登美
☆大森町まちなみの次に世界遺産センターを見学して今回の視察研修は終了しました。
午後1時半に世界遺産センターを出発して、午後11時に高鍋町商工会議所に無事戻ってきました。
この3日間、よく歩きました。
足がパンパンです。
思いがけない出会いもあり、とても有意義な視察研修でした。