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彫刻家・田中等の日々雑感・最新情報
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☆朝のうちはどんよりと曇り空でしたが次第に晴れてよい天気となりました。
今日は中町公民館で祭礼を行っている”お仙稲荷神社”の秋の祭礼です。
南の高台の小さな杜の中の小さな稲荷神社で午前11時から祭礼。
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”お仙稲荷”の由来

”お仙”とはキツネの名前。その昔、佐土原藩から高鍋秋月城下町へ通じる参勤交代路に沿った森に一匹の老いた女狐が棲んでいて、森の小径を通って城下町へ物売りに行く人々の前にカスリの着物を着た娘に化身して現れ物をねだっていた。その乞いを入れて物を恵んだ者の品物は早く売り切れたが、断った者の品物は一向に売れず又いろいろな災難に逢ったりして、人々はその霊験のあらたかなことに驚き何時かお仙稲荷として敬った。そうして大正のころに小さな祠が出来てお仙稲荷大明神と呼ばれて信仰の対象として敬まれてきた、というのがお仙稲荷の由来。
今ではこのお仙稲荷の祭礼は中町だけが行っている。
お仙稲荷の信仰篤かった中町の先先代T氏が一家を成すに及んで小社を献じて毎年初午に祭礼と直会を執り行っていた。先先代T氏没後は祭りが途絶えていたところ、戦中のある夜に町内名士2名の夢枕にお仙狐が現れて祭りの再開を乞い、終戦後まではこの2名士を中心に祭礼が行われていた。戦後に復員して帰郷した先代T氏が2名士の訪問を受けてお仙稲荷のいきさつを聞き祭礼に参加することになり、中町有志および花柳界関係者(中町は当時は非常に繁栄していてみな名うての粋な遊び人ばかりであった)も参加して盛大に賑やかな祭礼が執り行われた。その後、祭礼は2名士の手を離れT家で執り行うことに成ったが、中町有志も次第に多くなり、近年は中町公民館で祭りを執り行うようになったと言うのが祭主が中町である由来。

祭事の後はお稲荷さんを食べながら座を囲んでまず一献、秋日の柔らかな陽射しを浴びていい気持ち、というのが従来のスタイルでしたが(昔は完全な宴会だったようです)、飲酒運転撲滅の今日は、お茶とお稲荷さんだけの簡素な座となりました。
昔のスタイルが良かった・・・・とつくづく思うのであります。
しかし今夜は”なおらい”で宴会です。
公民館員の親睦を深めます。
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☆お昼に帰宅してHPを開くとカウントが55,556!
私が開く一つ前の訪問者が記念すべき55,555をカウントされたようです。
ありがとうございます。
今後とも、よろしくお願いします。

☆夜の”お仙稲荷”なおらいです。”たかなべギョーザ”にて。
一番奥の白いTシャツは小澤高鍋町長。ここでは町長といえども同じ中町の一公民館員。
無礼講の楽しい酒宴です。
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田中 等
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職業:
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自己紹介:
宮崎県在住の彫刻家。
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