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☆今朝は梅雨の晴れ間のよいお天気の中、中町の名店会が中心となって春のフラワーポットの花の植え替えとポケットパークの清掃作業をしました。
皆さん手馴れたもので作業がてきぱきと進みます。
岩崎町議が、資材を用意するのに私の昨年のHP掲載画像を見てフラワーポットの数を計算したということで、意外なところで役に立っているものだと思いました。
それで今日の作業での資材使用量を今日の私のブログに書いておけば、次回の的確な判断材料になると言われて、記載することにしました。(本当は会計の仕事領域なのですが)
フラワーポット 60個
ボラ フラワーポット5個で1袋
土 フラワーポット1個に1袋(10ℓ)+α (フラワーポット60個に70袋)
花の植え替えの次はポケットパークの清掃作業です。
尾崎慎氏の彫刻の周りの剪定を岩崎議員が率先して行います。
☆今年度から門前朝市が奇数月の第2日曜日に定期開催されることになりました。
今日は定期開催になっての初めての門前市でしたが、残念なことに出店数が前回の半数近くに減少し、お客さんも10分の一くらいに激減しました。
その理由は、5月は気候も良く県内各地でイベントが盛りだくさんで人の出の多いところへ出店する店が多くなったこと、あるいは今日は母の日で店舗のある出店者は店舗での対応で手一杯であったこと、また町内では小学校がPTA総会・参観日と重なったこと、また各スポーツ少年団の新年度の活動が一斉に始まって、ほとんど町内に親子ともいないことなど、様々な状況が重なってしまいました。
今後は出来るだけ町内の小規模の出店を多くするなど工夫が必要なようです。
昨夜までの雨も上がって後半は青空も広がってきたのですが、青空が広がるに連れお客さんはほとんどいなくなってしまいました。
それでも食べ物関係は売り切れたところが多かったようです。
画像をいくつか紹介します。
役場による振る舞い、”ポン菓子”。
奔走する白石・門前市会長。
なんとかポツポツ人の出が。
地元の生産者の店が品質も安心です。えんどう豆は完売でした。
私はカラスグチ(カラス貝)を買いました。味噌汁にしてもフライパンで蒸し焼きにしてもおいしい。
宮崎ならではのマンゴーも朝市価格の安さ。
マンゴーもスイカも良く売れました。
☆こちらも宮崎ならではの木工芸品。
今回の出し物はフラダンスでした。
第1回目より出店数も増えました。
いくつか完売の店もあったようです。
唐木戸陶苑の発案・制作による朝市の入り口の装飾。城下町の朝市らしい風情が出て好評でした。
唐木戸陶苑の看板も自前です。
出店には店名の表示のないところが多かったので、こうした統一看板を作れば良いのではという意見が多く聞かれました。
高鍋名産の牡蠣も出ました。こういう品が出るのが地元の朝市の良いところです。
町内有志によるエイサーが場を盛り上げてくれます。
まだ本場のエイサーに比べると気迫と切れが足りませんが徐々に上達してゆくでしょう。
小さい商店街ですが、それでも高鍋町のメインストリート。ふだんの日曜日は猫一匹歩いていません。それだけに朝市で定期的にこんなに人々で賑わうのは大切なことでしょう。
これは一番街のとある居酒屋の店先。あの灯篭を店の外装に合わせてグレーに着色してあります。
第1回の朝市のときに黒木商工会会頭とこの灯篭を見て、こういう使い方があるのだと感心したものです。
会頭はピンクや黄色に塗っても面白いかもと言っていました。税金で購入した灯篭ですので破棄するわけには行きませんから、こうした有効利用法を考えていけば良いのです。
居酒屋のオーナーのZ氏は勝手に色を塗ってしまって・・・・と恐縮されていましたが、いえいえ、こうして使って欲しいのです。
☆昨夜は私たち中町公民館の庚申講が行われました。高鍋町内でも庚申講を今も行っているのは我が中町だけのようです。
毎年、初庚申を目処に祭り日を決めて、各戸持ち回りで講宿となります。
まず近くの火産霊神社境内に祭ってある庚申碑でお参りをして、次に講宿の家で庚申碑にお神酒を注いで会食をします。以前は講宿で豪華な料理を用意して腰を据えて呑むのが習いであったようですが、家人への負担も大きいので、今では庚申講の料理3品のみを出すという決まりを定めて、2次会で会費制でゆっくり呑むようになりました。
今の時代の流れで、最初の講宿での会食も負担が大きいという意見も出てきて、今回もちょっとどうするかもめました。
しかし今夜の講宿での従来の形式がやはり一番いいというみんなの感想でした。
やはりこういう風習は一種の文化的遊戯ですので、ルールを定めて守っていくのがよいと思います。
節分の日に豆をまく行事を、ほかの3月や4月に他のものを撒いたって意味が無いように、庚申講も初庚申の日を目処に定型の行事を持続していくのがよいのではないでしょうか。あくまでも私個人の考えですが。
講宿では私の作った庚申碑にお神酒を注いで、みんなで回し呑みをします。こうした文化レベルの高い遊戯こそが、こうした祭礼の要ではないでしょうか。中町公民館が消滅するまで、みんなでこの風習を維持していってくれたらよいと思います。
これが中町の庚申宿での料理3品です。刺身、なます、煮豆の3品です。
講宿での会食を終えて、2次会会場へ場を移し、楽しく歓談です。会場は同じ中町の”たかなべギョウザ”です。
☆今日の流行語大賞の選考で、東国原知事の”(宮崎を)どげんかせんといかん”が大賞に選ばれました。今や宮崎は全国区となり、宮崎県民が明るく胸を張って生きていけるようになった功績は多大なものがあります。
ただ文化行政に関してはこれといっためぼしい動きもないのが私としては不満なのですが、宮崎における東国原知事の存在は神代以来の救世主と言っても過言ではないでしょう。
☆その東国原知事の作詞した「てげてげ音頭」という曲が、いま大ブレークしそうな気配であることをご存知でしょうか?
歌っているのは、わが高鍋町の生んだ演歌歌手・水木大介。
実は水木大介は私の家のまん前に住んでいたのです。そして彼はわが中町公民館が夏祭りの催事で開催していた”カラオケ大会”で腕を磨いたスターなのです。
その水木大介の「てげてげ音頭」が、東国原知事のおかげで、地鶏、マンゴーに次いで全国的に大ブレークしそうな勢いだということです。
☆実を言うと、昨日、高鍋商工会議所60周年の”感謝のつどい”が催され、祝賀会の最後に私たちはこの「てげてげ音頭」を踊ったばかりなのです。
本当は記念講演の中山恭子さんの講演が感銘を受けることが多かったので、ブログは感謝のつどいを主に書こうと思っていたのですが、今日の流行語大賞を受けて、「てげてげ音頭」の紹介に変更しました。
中山恭子さんの件はHP日記のほうに書かせてもらいます。
この「てげてげ音頭」は乗りもよく、踊りも簡単で、みんなで楽しく踊り、まるで台湾・花蓮のパーティーを彷彿とさせられました。
歌詞の中に、”宮崎はてげてげで(いい加減で)いい”と宮崎ののんきな鷹揚さを全面肯定したところが在って、そこが酒が入って陽気に踊っていると、そうだ!そうだ!と気持ちよいのです。
☆ところが今日の流行語大賞の”どげんかせんといかん”は、てげてげな宮崎をどげんかせんといかん(いい加減に済ます宮崎県民の性根をどうにかしなければならない)ということらしい。
つまり宮崎県民の”てげてげ根性”に檄を飛ばしての言い様なのです。
しかし、その知事自身が作詞した「てげてげ音頭」では、この矯正すべき「てげてげ根性」を愛すべき県民性として歌い上げているのです。
なんだかな・・・・・?
という感じですが、でもどちらも正解なのですよね。
叱責すべき”てげてげ”根性は行政と業者の政治的癒着に対して。
肯定すべき”てげてげ”は明るい風土としての宮崎県民のこだわりのなさ。
昨日の商工会議所60周年の画像です。
黒木会頭(黒木本店社長)も積極的に愉快に「てげてげ音頭」を踊ります。
まるで台湾・花蓮のパーティーでのダンスみたい。
☆もう4日になってしまいましたが、このブログを書いていたのは3日です。
天候にも恵まれ、人の出もまずまずで、商品完売の出店もいくつかありまずまずの成果でした。
私たちは朝7時から準備でした。
朝市の準備の間に、称専寺の住職から大変興味のある話を聞かせていただきました。
山門をやり替えたときに鐘楼も鐘楼台と鐘楼の土台部分をやり替えられたのですが、なんとその鐘楼の柱の土台石は私の父が20歳のときに作ったもので、曽祖父の指導の下での父の処女作だったというのです。
それで住職が破棄せずにこうして残してあるというのです。
右の丸い4つの石がそれです。
左の4つの円柱が乗っていた柱です。
この鐘楼の土台に使われていました。
朝市の風景です。
まだ朝市開始のころの画像なのでお客はまばらです。
私はこのおばちゃんの一夜干しのイカを買いました。すごくおいしかったですよ。
画面真ん中の山積みのキャベツもあっという間に完売。
”唐木戸陶苑”も思いのほか売れました。
なんとか商店街の風物詩として定着させたいものです。
今日は中町公民館で祭礼を行っている”お仙稲荷神社”の秋の祭礼です。
南の高台の小さな杜の中の小さな稲荷神社で午前11時から祭礼。
”お仙稲荷”の由来
”お仙”とはキツネの名前。その昔、佐土原藩から高鍋秋月城下町へ通じる参勤交代路に沿った森に一匹の老いた女狐が棲んでいて、森の小径を通って城下町へ物売りに行く人々の前にカスリの着物を着た娘に化身して現れ物をねだっていた。その乞いを入れて物を恵んだ者の品物は早く売り切れたが、断った者の品物は一向に売れず又いろいろな災難に逢ったりして、人々はその霊験のあらたかなことに驚き何時かお仙稲荷として敬った。そうして大正のころに小さな祠が出来てお仙稲荷大明神と呼ばれて信仰の対象として敬まれてきた、というのがお仙稲荷の由来。
今ではこのお仙稲荷の祭礼は中町だけが行っている。
お仙稲荷の信仰篤かった中町の先先代T氏が一家を成すに及んで小社を献じて毎年初午に祭礼と直会を執り行っていた。先先代T氏没後は祭りが途絶えていたところ、戦中のある夜に町内名士2名の夢枕にお仙狐が現れて祭りの再開を乞い、終戦後まではこの2名士を中心に祭礼が行われていた。戦後に復員して帰郷した先代T氏が2名士の訪問を受けてお仙稲荷のいきさつを聞き祭礼に参加することになり、中町有志および花柳界関係者(中町は当時は非常に繁栄していてみな名うての粋な遊び人ばかりであった)も参加して盛大に賑やかな祭礼が執り行われた。その後、祭礼は2名士の手を離れT家で執り行うことに成ったが、中町有志も次第に多くなり、近年は中町公民館で祭りを執り行うようになったと言うのが祭主が中町である由来。
祭事の後はお稲荷さんを食べながら座を囲んでまず一献、秋日の柔らかな陽射しを浴びていい気持ち、というのが従来のスタイルでしたが(昔は完全な宴会だったようです)、飲酒運転撲滅の今日は、お茶とお稲荷さんだけの簡素な座となりました。
昔のスタイルが良かった・・・・とつくづく思うのであります。
しかし今夜は”なおらい”で宴会です。
公民館員の親睦を深めます。
☆お昼に帰宅してHPを開くとカウントが55,556!
私が開く一つ前の訪問者が記念すべき55,555をカウントされたようです。
ありがとうございます。
今後とも、よろしくお願いします。
☆夜の”お仙稲荷”なおらいです。”たかなべギョーザ”にて。
一番奥の白いTシャツは小澤高鍋町長。ここでは町長といえども同じ中町の一公民館員。
無礼講の楽しい酒宴です。
☆秋本番の昨日今日でした。
昨日は初冬かと思えるほどに冷え込みましたが、雲ひとつない快晴でした。
午前のうちに妻と宮崎市内へ出ました。
妻が、パブリックアートのブロンズ像の隣に同じ服同じポーズで座った写真を年賀状に使いたいというのでまずはパブリックアートの設置場所へ。まだ午前の陽がブロンズにも周囲の景観にも差していなかったので、明暗のコントラストがなく懸念したブロンズの表情もうまく撮れました。汚された塗料の跡はほとんどわからなくなっていました。
次に宮崎県立美術館で一昨日から開催されていた”アルフォンス・ミュシャ展”へ。
これまでにも何度もミュシャ展は開かれていますが、私は展覧会で見るのは初めてでした。
細かいところまで実に見飽きることがなく、長居したい展覧会でした。あの古きよき時代のアールヌーボ-特有の装飾形態と潤いを帯びた色彩、特にブルー系の色彩には魂が揺さぶられますね。
☆午後には更新がストップしていましたHP日記のほうも更新できましたので、そちらも見てください。
☆今日は朝一番に中町名店会で商店街のプランターの花の植え替えとポケットパークの清掃作業をしました。
来週は”散策の旅”で町外からのお客さんがこの通りを歩かれます。
ポケットパークには尾崎慎氏の作品があります。私たちできちんと管理していますよ。
☆そしてお昼からは従兄弟の息子の結婚披露宴。
私の兄妹、従兄姉も私の台湾滞在中のHP日記を見てくれていたようです。