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早朝8時から境内の掃除、10時から神事でした。
その後はいつも私の石材店仕事場の上にある金毘羅神社の祭事を行います。
☆火産霊神社の神事を終えて金毘羅神社へ向かおうとしているときに、参道沿いのアパートから救急車が発進しました。
実はそのアパートの最も神社寄りの部屋に住んでおられた独居老人が亡くなっていたのが見つかったのです。
毎日弁当を配達する業者の方が朝の10時の配達で来られたときに呼吸の止まっている老人を発見されたのだそうです。
呼吸は停止していましたが、まだ体温は暖かかったということです。
左奥が火産霊神社で参道沿いのアパートの一番奥が独居老人の部屋です。
つまり私たちが早朝から境内の掃除をしている前後に、すぐそばで独居老人が何らかの状況で息を引き取られたことになります。
こういう場合は警察の調べが入りますので、私たちが金毘羅神社から戻ってきたときは火産霊神社の入り口にはパトカーが止まって物々しい雰囲気でした。
気を取り直して火産霊神社境内で直会(なおらい)でした。
先日、岩崎議員の事務所開きの時に倒れられていた神官さんは、今日はいつもと全く変わらない元気さで神事を執り行っていただきました。
そういえば1年前の今夜に私たちが高松の研修旅行から帰ってきた晩に、神社総代のIさんが神隠しのように行方不明になられたのでした。
今年は口蹄疫で夏祭りも中止となり、いろんなことが起きた一年でした。
☆昨日は中町公民館の庚申講を行いました。
庚申講を行っているのは町内では中町公民館だけになりました。
以前は周囲の公民館でも行っていましたし、庚申塚もたくさん残っていますのでかつては盛んに祀られていたようです。
まずは火産霊神社境内の庚申塚にお参りをします。
続いて今年の講宿で庚申講を行います。
お仙稲荷でもそうでしたが、私たちはこうした伝統行事をその意義や歴史を理解して次代に引き継いでいかなければなりません。
それで庚申講の日取りを初庚申の日にではなく講宿の都合に合わせて設定するように変更した以外は、必ず講宿で庚申講を行い、3種の肴(中町公民館では刺身、酢の物、煮豆)を摂って酒を飲み交わすようにしています。
そこへさらに先輩方から、以前はきちんとした背広姿で神事を行っていたのでそのスタイルも復活したらと提案があり、今回から全員背広姿で庚申講へ参加することになりました。
背広姿での神事もなかなか好いものです。
公民館戸数わずか14戸の極少公民館ですが、現職の県議・町長・町議・まちなか活性協議会会長といった地域のリーダーたちや彫刻家・画家・デザイナー・ジャズメンという才能が混合在住する精鋭部隊です。
昨秋の祭から若志会のメンバーも参加です。
天気予報ではカサマークでしたが、あにはからんや、見事な青空となりました。
中町の皆さんと若志会の皆さんの人徳、そしてお仙稲荷の霊験あらたかなご利益の高さの顕れでしょう。
そして何より、由来碑の建立にお仙稲荷さんが最高の感激を表明していただいたということでしょう。
素晴らしい晴天のポカポカ陽気の初午祭となりました。
はじめに、今回設置したお仙稲荷大明神由来の石碑を除幕しました。
由来碑は白御影石にステンレス・エッチングプレート取り付けでの半永久碑です。
公民館の皆さんのささやかな浄財で建立しました。
(宮日記事より)
引き続き祭礼神事です。
神事の後は”おいなりさん”でささやかな直行(なおらい)です。
この時期は寒風の吹き荒れるとても寒い祭礼となるのですが、今日は風もなくとても暑い陽気となりました。
本格的な直行は、今夜執り行います。
出店数は新規が多くよかったのですが、寒さのせいか人出がもう一つだったのが残念でした。
☆今日は十日えびすも一緒に開催されました。
私が制作したえびす像のお披露目も行われました。
関連ブログ 四季亭ブログ
えびす像のUP画像です。
その中に、「高鍋町写真集」というサイトがありましたので開いてみると町内のいくつかの観光地の鮮明な画像がありました。
これは、高鍋を離れている人たちにとっては嬉しい画像だな、と思ってみていると、舞鶴公園の桜まつりの時の画像に妙なものが写っていることに気が付きました。
シャッターを押すときにたまたま桜がカメラの上に舞い降りてきたのか、UFO型の雲が浮かんでいたのか・・・・
なんとも気になって仕舞いました。
単なる雲なのかもしれませんが。