彫刻家・田中等の日々雑感・最新情報
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
☆HP日記にも記していますが、今月末からテヘラン(イラン)のシンポジウムに作家指名を受けて参加の予定です。
イランはもちろん行ったことはありませんし、どこにあるのかも定かではありませんでした。
それで地球儀を廻してみると、今年行ったばかりのトルコの隣、そして若いころに旅したパキスタン、アフガニスタンにも隣接していることがわかりました。
私が若いころの貧乏バックパッカーは、インドから酷暑の中近東を抜けてイスタンブールからヨーロッパへ行くのが大道でした。
私は砂漠の余りの厳しさにイランへ抜けることは断念して、インドへ引き返しました。
その後、ソ連軍のアフガン侵攻によりアフガニスタンへはもう入れなくなり、その後のタリバンとアメリカとの戦いでかの地は荒れ果ててしまっています。
今回、思いがけずにイランに招待され、37年前に私の果たせなかった中近東ルートは、ここに貫通することになりました。
それで37年前のスライドをスキャンして、1974年当時のかの地の画像をしばらくUPしていこうと思います。
かなりスライドも劣化しカビだらけですが、今となっては貴重な画像でしょう。
☆アフガニスタンの地図です。

☆まずはあの有名なバーミヤンです。

タリバンによって大石仏が破壊されてしまったことは記憶に新しいところです。
1300年も前に玄奘三蔵法師も見上げたあの石仏はもう見ることが出来ません。

石仏は2つあり、この大きい石仏は53メートルありました。
かつては金色に輝いていました。

イスラム圏にある仏像は、偶像崇拝否定のイスラム教徒によってほとんど顔を失っています。
タリバンは、それでは気がすまなかったのですね。

仏頭部の周囲には鮮やかな仏画が多数残っていました。


石仏を見上げる位置にあったシルクロードの面影の濃いキャラバンサライ。


バーミアン渓谷はとても穏やかで平和な美しいオアシスでした。
いまはどうなっているのでしょう。

イランはもちろん行ったことはありませんし、どこにあるのかも定かではありませんでした。
それで地球儀を廻してみると、今年行ったばかりのトルコの隣、そして若いころに旅したパキスタン、アフガニスタンにも隣接していることがわかりました。
私が若いころの貧乏バックパッカーは、インドから酷暑の中近東を抜けてイスタンブールからヨーロッパへ行くのが大道でした。
私は砂漠の余りの厳しさにイランへ抜けることは断念して、インドへ引き返しました。
その後、ソ連軍のアフガン侵攻によりアフガニスタンへはもう入れなくなり、その後のタリバンとアメリカとの戦いでかの地は荒れ果ててしまっています。
今回、思いがけずにイランに招待され、37年前に私の果たせなかった中近東ルートは、ここに貫通することになりました。
それで37年前のスライドをスキャンして、1974年当時のかの地の画像をしばらくUPしていこうと思います。
かなりスライドも劣化しカビだらけですが、今となっては貴重な画像でしょう。
☆アフガニスタンの地図です。
☆まずはあの有名なバーミヤンです。
タリバンによって大石仏が破壊されてしまったことは記憶に新しいところです。
1300年も前に玄奘三蔵法師も見上げたあの石仏はもう見ることが出来ません。
石仏は2つあり、この大きい石仏は53メートルありました。
かつては金色に輝いていました。
イスラム圏にある仏像は、偶像崇拝否定のイスラム教徒によってほとんど顔を失っています。
タリバンは、それでは気がすまなかったのですね。
仏頭部の周囲には鮮やかな仏画が多数残っていました。
石仏を見上げる位置にあったシルクロードの面影の濃いキャラバンサライ。
バーミアン渓谷はとても穏やかで平和な美しいオアシスでした。
いまはどうなっているのでしょう。
PR
この記事にコメントする