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彫刻家・田中等の日々雑感・最新情報
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☆今日の午前は”せきぶっちゃん”ウォーキング大会というものに参加してきました。

”せきぶっちゃん”とは石仏のこと、要するに町内の石仏を巡る散策、と言うことです。

東児湯五町連携協議会が高鍋大師を盛り上げるために東児湯郡管内の石仏を調査する”特命石仏調査班”と言うものを立ち上げて、石仏データ作成を行っていることの一環イベントです。

私の専門分野上、路傍の石仏には大変興味がありますし、いつも車で通って”あっ、こんなところに”と思うばかりでじっくり見て廻ったこともなかったので、ぜひゆっくり歩いて見たかったのです。
私の知らない石仏にもいっぱい会えると言う期待感で最長距離の7キロコースに申し込みました。

しかし期待は全くの肩透かしでした。
7キロ歩いて案内されたのはたった4つの石像のみ。それも私のよく知っているものばかり。
逆に担当者が知らない場所へ私が案内したりという内容でした。

☆中央公民館に集合してウォーキングの始まりです。
私の7キロコースは9名の参加で、宮崎市から来られた夫妻や、新富町、木城町という町外から来られた方も居られました。
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☆最初は舞鶴公園の寒山拾得像
もと串間にあったものを江戸の秋月藩邸に移し、明治になって湘南の秋月別邸に、その後に高鍋城内に移されたもの。
江戸の秋月藩邸に在った時に、夜な夜な妖変が起き、庭に現れた異物を切ったところ、翌朝この寒山拾徳像に刀傷があったという伝説があります。
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☆舞鶴公園内では、丁度”木もれび・クラフト市”が開かれていて大変賑わっていました。
高鍋でもこんな素敵な催しを開いてくれる人たちが出てきました。
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☆次の目的地までは延々と宮田川沿いを歩くだけです。
今日はお天気が好かったので、ただ歩いているだけでも気持ちよかったから愚痴は出ませんでしたが、石仏散策にしては中身が薄すぎます。
円福寺を通り過ぎようとしますので”ここには石仏がたくさんありますよ!”と立ち寄ってもらいました。
案内の担当者の見落としているポイントでした。
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☆次の案内先は元・南九州大学への登り口坂にある岩岡翁の大師像です。
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☆次の案内先はホームワイドの裏手にある毛比呂計(もひろげ)神社脇にある大師像です。
これだけは私も初見でした。
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☆丁度毛比呂計神社では祭礼が行われていました。
余談ですが、この毛比呂計神社は百済伝説で重要な史跡なのですが、境内には由来案内が一切ありません。
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☆次は最後の案内所、八坂神社の六地蔵です。
建立は1713年。
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☆後はひたすら商店街を抜けて中央公民館へ帰るだけです。
それではあまりにもあっけないので、ルートを変更して一番街の私のえびす像へ立ち寄ってもらいました。
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☆中央公民館へ戻ってからは鍋のふるまい(先日の鍋合戦の鍋)をいただいたり、粘土フラワーの手ほどきがあったりしました。
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☆今日の参加者の撮られた画像データは協議会ですべて保存活用されるようです。

☆今日のウォーキングはあまりにも内容の無いものだったのですが、こうした取り組みは高鍋では初めてのことですので、もっと内容を練り直して継続して行って欲しいものです。

参加された方たちからも、今後、今日の参加者のネットワークで石仏めぐりが出来たらよいですね、という声もありました。

☆特命石仏調査班は、HPでも東児湯郡管内の石仏のデータを公表されています。
まだ一部しか詳細はUPされていませんが、完成するとすべての石仏がグーグルの衛星画像でポイント表示されます。
協議会の方たちの任務は来年3月末までの年度内任務です。
それまでにこのデータ整理を完璧に仕上げると言うことですが、とても大変な作業です。
こんなことを宮崎ではまだ誰もやっていません。
ぜひ、完成させていただきたいと思います。

特命石仏調査班(ブログ)

石仏ルートマップ

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☆午後から高鍋町美術館で開催された”みやざき~景観・地域(まち)づくり講演会”に行ってきました。

まちなか商業活性化協議会の町屋プロジェクトでもお世話になっている宮崎県建築士会の主催で、協議会のメンバーに声を掛けていただきました。

中身を何も知らずに出かけて行ったのですが、講演をされた堀繁氏(東京大学アジア生物資源環境研究センター教授)のお話が、強烈に面白くて、とても勉強になりました。

景観とは何か?という大学の教授らしいもったいぶった導入で始まり、ナンナンダロウとあまり期待もしていなかったのですが、しかし展開が実に明快な分析による景観整備、そして具体的なまちづくりの話になり、これまで聞いてきたどのまちづくりの話ともまったく角度の違った実践理論に圧倒されました。

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景観とは見ることであり、モノではないということ。
好い景観とは見たいものが見やすい状態にあるということ。
景観整備とは、見てもらいたいものが見やすい角度で見えるようにすること。
観光地のスライドで繰り返し、景観とは何かを分析していただきました。
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そして各地のまちづくりの好い例、悪い例を実に具体的に分析していただきました。
人々が見たいと思わないものをまちづくりでやっても意味が無いこと。
町の評価は景観の評価であり、いくら建物がよくても景観が好くなければダメだということ。
まちづくりで一番大切なことは丁寧さ。
人は自己中心的だから、私を楽しませてくれるか、私を迎えてくれるか、私を大切にしてくれるかで町を評価するということ。
お客をもてなさない店のある商店街はかならず衰退するということ。
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そしてそのまちづくりの実践理論は、私たちの取り掛かっている各プロジェクトの有効性をきっちり理論武装させていただいたと思いました。

まるで私たちのためにお話に来ていただいたようだ、と協議会のメンバーはみんな思ったことでしょう。
☆ベトナムのSON BUI(昨年の空港展作家)から個展の案内が届きました。

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☆先日の境港市役所での研修のお土産です。

視察の方たちだけに配られる限定品です。

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☆昨日の強風雨がウソのように、よく晴れた暖かい研修3日目。

最終日の今日は、午前一杯を世界遺産・石見銀山と大森町のまちなみの視察です。

視察の前に、昨夜お世話になった吉田さん宅へ、小澤会長と一緒にお礼に伺いました。
8時半という早朝でしたので吉田さんはまだ寝ぼけ眼です。
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障子を開くと小さなギャラリーになっていました。
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☆最初に観光ボランティアガイドの案内で石見銀山を案内していただきました。
本当に今では急傾斜の山間ですが、銀山最盛期にはこの狭い山間に20万人もの人たちが住んでいたのだそうです。
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唯一、観光で入れる”龍源寺間歩(まぶ)”(坑道)です。
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多くの間歩はやっと人間一人が通れるくらいの狭さでした。
小さなロウソクを燈しての手彫り作業はどんなに困難だったことでしょう。
一日30cmほどしか掘り進むことは出来なかったということです。
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☆石見銀山の遺構の観光の後は大森町のまちなみ視察でした。
昨夜約束した松場大吉さんとの連絡は、まちなみに入ってからにしようと思っていました。
そこへ、ボランティアガイドさんが、ここには是非店の中にはいって見たほうがよい、と”群言堂”という店に案内してくれました。
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店内を見ると吉田さんの彫刻があちこちにおいてあります。
ひょっとして・・・・
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店長にお伺いすると、やはりこの店のオーナーが松場さんでした。
さっそく松場さんに電話を入れてガイドさんも一緒にまちなみを案内していただくことになりました。
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群言堂前のこの店舗が松場さんの実家です。
松場さんご夫妻は、この呉服・雑貨の店を継ぐために1981年にUターンされました。
ショーウインドウはそのまま愛猫・キムチの棲家となっています。
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この少し先に電気の無い、ろうそくの灯りだけで過ごす空間の民家があります。
もともとはこの民家が文明を排した”群言堂”だったようです。
その後、”群言堂”はブランド名となったということです。
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そういえばこの空間のことを日向市の黒木・元課長から何度となく聞かされたことがありますし、
この空間で使う吉田さん制作のロウソク立てと和ろうそくをもらったことがあります。
テーブルはもちろん吉田さんの作品です。
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☆ここは築230年の朽ち果てていた武家屋敷を再生させた”他郷阿部家”という宿泊施設です。
玄関の作品も吉田さんの作品です。
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いたるところ吉田さんの作品が空間を構成しています。
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松場さんご夫妻は、大吉さんは実家に、奥さんの登美さんはこの阿部家に住んで別居生活をされています。
お客をおもてなしするにはその家の住人でなければ心遣いが出来ない、という理由で奥さんは阿部家に住んでおられます。
そして宿泊客はこの台所で、薪で焚いたご飯と地元の食材で松場さんご夫妻と一緒に食事を摂るのだということです。
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土蔵を再生したシアタールームでは、この武家屋敷の廃屋のときから再生までの姿をボレロの音楽とともに見ることが出来ます。
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松場さんご夫妻は広島県からの藁葺き民家の移築を含め6軒の民家を長い時間をかけて再生してこられています。
松場さんはそれらの民家再生も紹介されたかったようですが、残念ながら昼食の予約が入れてあり時間を延ばせませんでした。

松場さんご夫妻ともお知り合いになれたし、ぜひまた石見銀山を訪れたいと思います。

松場さんご夫妻、吉田さんご夫妻、ほんとうにありがとうございました。

☆ネットでは松場さんご夫妻の紹介が多くあります。

石見銀山生活文化研究所

種を蒔く人々ー空と土プロジェクト

松場登美ー観光カリスマ

Amazon 「起業は山間から」

「群言堂」デザイナー 松場 登美

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☆大森町まちなみの次に世界遺産センターを見学して今回の視察研修は終了しました。

午後1時半に世界遺産センターを出発して、午後11時に高鍋町商工会議所に無事戻ってきました。

この3日間、よく歩きました。
足がパンパンです。

思いがけない出会いもあり、とても有意義な視察研修でした。

☆視察研修2日目は境港市・水木しげるロードと出雲大社商店街でした。

前夜から降り出した雨が、朝のうちはからりと晴れてとても爽やかな暖かい陽気となりました。
天気予報は外れたな、と思っていると、ホテルを出るころからにわかに暗雲立ちこめて、あっという間に激しい雨と風になってしまいました。

強風は夕刻まで続きました。

午前10時から境港市役所にて担当課の浜田課長の楽しい語りで、水木しげるロード事業の経過について研修させていただきました。

この事業を行政が導入するまでは境港市は”犬猫通り”と呼ばれるゴーストタウンで、そこへ”妖怪”を置くなんてさらにお化け通りになると商店街が猛反対したという経過についてはよく知られています。

今日のゲゲゲのブームで、もはや空き店舗は一店もなくなったということです。

今日も多くの視察が訪れる中を、時間を割いて対応していただきました。

☆また、中村・境港市長が小澤・高鍋町長の大学時代の野球部先輩ということで、市長さんにも対応していただきました。

さらに、中村市長は学生時代に野球キャンプで3週間高鍋に滞在したことがあるという縁も判明しました。
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☆市役所を出て、水木しげる記念館の庄司館長に、境港駅前から水木しげる記念館までを案内していただきました。
私は境港市も10年ぶりです。
やはり10年の間にブロンズもずいぶん増えましたし、商店街もずいぶん様変わりして活気付いています。
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やはり新しいおしゃれな店が増えたのがこの10年間の大きな違いです。
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こちらの”妖怪饅頭”さんは、ゲゲゲの女房で飛躍的売り上げが伸び、年商○憶に達したとか。
4店舗あるうち開いているのは2店舗。理由は売れすぎて生産が間に合わず、店を閉めざるを得ない、ということだそうです。
マスコミの影響、あな怖ろしや!
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この小便小僧の衣装は全国に公募しているものだということです。
絶えず色んなアイデアを出してマスコミを利用して人々の関心をひきつける努力をされています。
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☆水木しげるロードを後にして、午後は出雲大社のある出雲市大社町へ。

かつての出雲大社の玄関口であった大社駅です。
かつての国鉄の駅はこんなに美しかったのですね。
交通機構の変遷により、大社線が廃止になり、それで観光客の流れが変わり、商店街も寂れていったということです。
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☆遅い昼食を、島根ワイナリーで摂りました。
ここも10年ぶりです。
当時よりお客が少なくなった気がします。
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☆風はまだ吹き荒れていますが、ようやく雨のほうは落ち着いたようで、神話の里らしい雲模様となりました。
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☆3時半過ぎて出雲商工会議所にて、神門通り甦りの会の事業研修でした。
神門通り甦りの会会長で日本ぜんざい学会会長(”ぜんざい”は出雲の神在が起源、とのこと)の田邊達也氏から出雲大社商店街の取り組みについての報告がありました。

毎日5,6千人の観光客が訪れるにもかかわらず、商店街が衰退していった原因は上述しましたが、それに対する取り組みや分析はどの商店街にも共通するもので、私たちや周囲の商店街が悪戦苦闘している取り組みとほぼ似通ったものでした。
ほとんど自己資金の無い状態での模索は、やろうとしていることも高鍋とよく似ています。
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こんな法被を私たちの散策の旅にも着用したいと思っているのですが、予算がありません。
そしてここでも事情は同じで、すべて自腹なのだそうです。
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☆研修が終わったのはもう夕暮れの5時前でした。

肝心の出雲大社が5時には閉まるのでは、とみんな息せき切って急ぎます。
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案の定、売店はもう店を閉じていましたし、本殿も平成の大遷宮の工事中でした。
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床の円は2000年に発掘された心御柱の跡。直径1,35mの杉柱を金輪で3本束ねた柱が9本という古代巨大神殿の造営差図通りのものが発掘されて、古代の出雲大社が50メートルの高さがあったというのは誇張伝説ではないことが実証されました。
10年前に私が来たときは発掘直後だったので、まだ発掘された状態の柱を見ることが出来、多くの見学者が群がっていました。
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神楽殿のほうはまだ売店が開いていて、まちなか事務局の独身マキちゃんは目当ての縁結びのお守りが買えて喜んでいました。
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みんな”ご縁”の五円玉を大注連縄に差し込ませようと必死で投げ上げていました。
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☆夜はみんなとは別行動で、石見銀山の彫刻家・吉田正純さんから自宅に招いていただきました。

吉田さんの自宅は世界遺産の町並みの只中にあり、建物は築240年の江戸中期のものだということでいた。

街灯の全く無い江戸時代のたたずまいそのままの町並みを通ると、まるで江戸時代にタイムスリップした感じでした。

吉田さんの奥さんのおいしい手料理をいただきながら、盃を傾けて話を聞いていると、10年前まではこの町並みもほとんど幽霊屋敷状態だったというのです。
そして街並み再生の手本が美々津町の町並み保存をお手本にしたものだと聞き、驚きました。

そういえば、吉田さんとの出会いは日向現代彫刻展の立役者、黒木・元課長と石見銀山の方たちとの交流から生まれたものでした。

そして今夜は思いがけない展開になったのです。

吉田さんの仲間でこの町並み再生の中心となっている方から、御呼ばれがかかっているので一緒に行きましょう、ということになり、料理の残りを抱えてそのお宅へお邪魔しました。

そこも古民家を改装した趣のある建物で、多くの人たちがテーブルを囲んでいました。

座主は松場大吉さんという、この石見銀山のまちなみ再生の中心となって活動されている方で、今夜は奥さんの誕生パーティーだということでした。
実はこの奥さんが大変な方だったのです。今夜は知るヨシもありませんでした)

日向市の黒木・元課長の話、日向現代彫刻展の成り行きの話、松場さんとの話がとても気持ちが通じてぐんぐん展開していくのです。
石見銀山の方たちにとって、日向市美々津は第2のふるさとなのだそうです。

松場さんはとてもゆったりした方で、ゆったりしながらも揺るぎの無い強い信念を持っておられる方です。

そのうち、明日の協議会の観光ボランティアガイドによる石見銀山視察の話になると、このまちなみを再生しそのなかで生きている私たちに話を聞かなければ何にもならない、明日の観光ボランティアはキャンセルしなさい、ということになりました。

会議所の担当者に電話すると、キャンセルは出来ないということだったので、それならガイドと一緒に話を聞きなさい、ということになりました。

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私の向かって右が松場さん。一番奥で左手にワイングラスを持っておられるのが奥さん、右側のメガネをかけた坊主頭が吉田さん。(カメラマンは吉田さんの奥さん)
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☆12月1日の夜から、まちなか商業活性化協議会の視察研修へ出かけました。

昨年の高松以来の2回目となる今年度の先進地視察旅行です。

メインはオブジェ設置の先進地である境港市の水木しげるロードだったのですが、結果的には次年度のメイン事業である町屋プロジェクトへの豊富で貴重な視察研修になりました。

このブログでは3回に分けて画像主体で報告させていただきます。

☆翌12月2日の朝に山陰へ入り、初日はじめの視察は安来市の足立美術館でした。

開館時間に到着したのにすでに多くの観光バスが留まり、大変な観光客の数でした。
10年前には来たときには手前の2つの新館はありませんでした。
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足立美術館は庭園の美しさでも8年連続日本一に輝いているということでした。
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正面の山から落ちている滝と手前の築山との間には幹線道路が走っています。
見事な借景です。
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☆足立美術館を出て、米子市経由で境港へ入り、おさかなセンターで昼食を摂りました。
おさかなセンターも10年ぶりです。
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☆境港市の水木しげるロードは明日の視察になっていますので、午後は再び米子市へ引き返しました。
米子商工会議所での研修までの小一時間を利用して、米子彫刻シンポジウムの作品の設置してある加茂川沿いの彫刻ロードを歩きました。
私としては水木しげるロードよりもこちらを見て欲しかったのでした。
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私の作品と10年ぶりの再会です。
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あかりモニュメント公開制作に参加する林氏の作品も見ることが出来ました。
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☆4時から米子商工会議所にて研修でした。
米子市も米子市中心街地活性化協議会を設置され、街中の再生に取り組んでおられます。
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☆会議所での事業説明の後、担当者の案内で市内を案内していただきましたが、案内していただいた地域は私が米子シンポジウムの滞在中に毎日自転車でゆらゆらと通っていた界隈でした。
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この旧加茂川沿いは廻船問屋の白壁の土蔵が残るとても風情のあるところで、私の大好きな区域でした。
この笑い地蔵を中心とした一角が「笑い庵」という地域交流センターとして再生されています。
画像は土蔵を再生したショットバーです。
(笑い庵進化再生事業)
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こちらは水木しげる氏の祖母の生家「住田家」を再生した店舗です。
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外観は今風ですが内部は昔の構造をそのまま利用してあります。
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☆こちらは四日市町にあるスカイショップという空きビルの再生複合施設の中のヘアサロン。
屋上には無料開放の「スカイ公園」もあり、統一されたデザインのおしゃれな複合施設です。
(四日市町大型店舗再活用事業)

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ビルの一角にはこの四日市町の各店舗が発行している情報誌やカードが並んで、積極的な情報発信をしています。
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☆こちらは銀行を再利用した飲食店舗。
金庫がそのまま個室になっています。
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☆こちらも銀行を再生させた法勝寺町のDARAZ CREATE BOX。
新規起業者をサポートするインキューベーション(起業支援)複合商業施設です。
(地域情報拠点施設運営事業)
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こちらも金庫室を再利用。
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店内にはDARAZコミュニティー放送のFMスタジオもあり、地域の情報発信基地として機能しています。
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☆そしてこちらは築120年の白壁土蔵を再利用した複合商業施設の「善五郎蔵」。
しゃぶしゃぶ店舗、地元クリエーターの表現スペース、日替わりシェフ、多目的スペースなどの個性的な店が集まっています。
(三連蔵ショップ&ギャラリー事業)
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今日の視察の内容については、米子商工会議所・大野原氏のブログに詳細があります。

”みどりのかえるのつぶやき”  高鍋町まちなか商業活性化協議会様ご訪問

☆そして夕食は、冬の山陰といえば”松葉ガニ”。
みんな負担金に上積み支出をして、松葉ガニの”焼きガニ”を堪能しました。
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☆12月12日からバーレンで開催される"Birds"展の案内が届きました。

アラブ圏以外からは私とフランスの作家だけです。

もっと出品作家は多いのかと思っていたのですが、10名による展覧会のようです。

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☆昨夜は都城市へ移転した南九州大学本館ホールで開催された佐藤達男さんのギターコンサートへ行ってきました。
佐藤さんのことと何故南九州大学でという由来については、私のHP日記(11月9日)に書いたのでここでは省略します。
高鍋町からは高鍋町美術館長の兄夫妻と佐々木美術との4人で出かけました。

佐藤さんを招待された人間発達学部子ども教育学科教授の古賀隆一氏(自由美術協会・木彫彫刻家)にもお会いして、空港展の今年のカタログと20周年記念誌をお渡ししました。

やはり佐藤さんはあの夢のように美しかった茶臼原の教会での演奏のことを思い出されて言葉に詰まって泣かれました。
佐藤さんのギターは本当に一音一音が心の奥に美しく哀しく響いてきます。

私も一人深夜に佐藤さんの演奏が脳裏に甦って号泣したことを思い出しました。

まさかこんなところで佐藤さんに再会するとは、お互いに考えもしないことでした。

佐藤さんを紹介される古賀教授。
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佐藤さんとツーショット。
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(こちらからもどうぞ  アートがあっと!

☆ところが再会話はこれでは終わらなかったのです。

今日の午前に兄から電話があり、開催中の兄の個展に佐藤さんが来られるというのです。

やがて古賀教授夫妻と一緒に佐藤さんが見えられ、思いがけずに兄の個展会場で、そして1年半ぶりの高鍋町でのミニコンサートとなったのです。
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☆佐藤さんと私との不思議な縁は、昨年秋のあさご芸術の森大賞展授賞式のときの芸術の森美術館館長と佐藤さんが長年の親しい友人であったという驚きや、何か目に見えないところでの響きあいを感じたりしています。

そこへあらたに古賀教授と高鍋町との深い縁が判明しました。
古賀氏が高鍋町を訪れたのは昨年春に、まだ高鍋町に事務局があった南九州大学との打ち合わせに来られてから2度目ということです。

ところが実は古賀氏のお父さんが戦時中に高鍋へ作業要員として派遣されていて、高鍋で終戦を迎えられ、古賀氏はずーっとご両親から高鍋への思いを聞いて育ったので、古賀氏にとって高鍋という町は特別の思いがあり、南九州大学の話があったときはとても驚かれたのだということです。

古賀氏と佐藤さんとは30年来の友人だということですが、こうして私たちが今日出会ったのは私たちが生まれる以前からの糸でつながれていたのだと感じてしまいます。

本当に人のつながりは不思議ですね。

☆今日の午前は火産霊神社の秋祭りが執り行われました。

早朝8時から境内の掃除、10時から神事でした。

その後はいつも私の石材店仕事場の上にある金毘羅神社の祭事を行います。
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☆火産霊神社の神事を終えて金毘羅神社へ向かおうとしているときに、参道沿いのアパートから救急車が発進しました。
実はそのアパートの最も神社寄りの部屋に住んでおられた独居老人が亡くなっていたのが見つかったのです。
毎日弁当を配達する業者の方が朝の10時の配達で来られたときに呼吸の止まっている老人を発見されたのだそうです。
呼吸は停止していましたが、まだ体温は暖かかったということです。
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左奥が火産霊神社で参道沿いのアパートの一番奥が独居老人の部屋です。
つまり私たちが早朝から境内の掃除をしている前後に、すぐそばで独居老人が何らかの状況で息を引き取られたことになります。
こういう場合は警察の調べが入りますので、私たちが金毘羅神社から戻ってきたときは火産霊神社の入り口にはパトカーが止まって物々しい雰囲気でした。
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気を取り直して火産霊神社境内で直会(なおらい)でした。
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先日、岩崎議員の事務所開きの時に倒れられていた神官さんは、今日はいつもと全く変わらない元気さで神事を執り行っていただきました。
そういえば1年前の今夜に私たちが高松の研修旅行から帰ってきた晩に、神社総代のIさんが神隠しのように行方不明になられたのでした。

今年は口蹄疫で夏祭りも中止となり、いろんなことが起きた一年でした。
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