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彫刻家・田中等の日々雑感・最新情報
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☆今日はお昼過ぎまで高鍋町美術協会展の受付当番でした。
もう一人の当番は陶芸の甲斐氏。
美術協会の花見の話になりました。いつも甲斐氏の工房である唐木戸陶苑で屋外で花見やそうめん流しを行って来ましたが、今回は場所を変えて趣向を替えてみたらという甲斐氏の提案。実際、準備や片付けも大変なのでしょう。
高鍋町有形文化財の高鍋藩家老屋敷・黒水家住宅で食事が出来、飲酒も構わないので、一度そこでみんなと呑みたいというのです。
実は私は高鍋町散策の旅で、昼食をこの黒水家住宅で摂ったらどうかという提案をしているのですが、食事をどう準備するのかといったことなどで、商店街連合会の面々がまったく乗り気になってくれず、地団太を踏んでいるところなのです。
ところが甲斐氏の話だと、昨年秋にモニターツアーが在って、黒水家住宅で食事を摂り、食事はホテル四季亭から立派なお膳が運ばれ、しかも商工会議所の企画だったというのです。
えっ!散策の旅も商工会議所が窓口ではありませんか。どうして会議所のモニターツアーでは私の願っているプランを実行し、散策の旅では何の手立ても打ってくれなかったのでしょうか。まるで私のプランがパクられたようで、すっきりしませんし、やりきれない思いです。私の提案のほうが早かったのですよ!(ネットで検索すると、黒木会頭になってからの”ひがしこゆ観光ネットワーク”のモニターツアーで、10月11日に行われたようです。「商工会議所ブログ」)

それで黒水家住宅を実地検分して、花見が可能かどうか下見をしましょう、ということで、受付終了後に2人で黒水家住宅へ向かいました。
恥ずかしながら、私はまだ一度も黒水家住宅には足を踏み入れたことは無かったのです。近くに在るといつでも行けるという思いから、意外と地元の人は地元のことを知らないものです。
管理人さん(現在は民間の老人クラブ?への委託)に事情を話し、家の中を見て回りました。
眺めるような立派な庭はありませんが、やはり歴史の町・高鍋に来て、家老屋敷でお昼を摂るというのは散策の旅の参加者にとっては、願っても無いことでしょう。
(しかし、散策の旅で実現したとしても、もう世間的にはモニターツアーの真似事にしかなりません。実に悔しいです。でも商工会議所には文句は言えません。散策の旅の企画主体は商店街連合会ですので、取り合ってくれなかった商店街連合会の理事会が不甲斐ないのです。)
以下、黒水家住宅の画像です。
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左手の建物は、西南戦争の時に西郷軍への参戦に慎重な高鍋きっての識者たち「九烈士」が監禁された籾蔵が移設保存されているもの。
1階には投獄事件の様々な資料がある。
この2階の小部屋が手すりがあって回顧的空間で雰囲気があってよいのでは、という甲斐氏。
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☆このブログに美術協会の石井さんからコメントをいただいていましたが、返信コメントの仕方が分からないので、この場でお礼を述べさせていただきます。
(なぜ、コメントがこのブログのスタート時の最初のページに書かれるのか、私自身が設定のことが良く分からないのです)

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☆今日は火産霊神社の秋祭り。
昨日に引き続き、早朝からお出かけです。
午前8時から神社境内の清掃。
10時から祭典。11時から金毘羅神社祭典。おひるに直会(なおらい)という日程。
今日はとても暖かく、日中の陽射しは暑い!
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金毘羅神社は私の仕事場の向かいの山の頂にあります。
もともとは金毘羅神社はこの火産霊神社の敷地にあったものだそうです。
そこへ火伏せのため(町場は大火が多かった)、近くの八坂神社にあった火産霊神社を今の場所へ移し、元からあった金毘羅神社を見晴らしの良い場所へ移したということです。ですから町から離れた山中にある金毘羅神社は町場の人たちが祭典をしなければならないのだそうです。
ここからは高鍋町内が見渡せます。
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社の後ろにある大きな木は椎の木です。私たちは少年時代にこのあたりに椎の実を拾いに上がってきたものです。
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この椎の木の根元に見慣れない石塔が置いてありました。
神官さんの話では、町場の旧家のT氏宅が古くなったので解体撤去し(私は先日から解体撤去されているこのT家を目のあたりにして、また貴重な文化財が失われていくと心を痛めていました。)、更地にして建売住宅地にされるということ。この石塔はT氏宅にあった氏神様で、撤去時には一応お祭りはしたのだが、捨てるわけにも行かず安置場所を相談されてこの場所に一緒に祭ってもらうようにしたとのこと。初めて見る形の石塔でした。
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再び火産霊神社に戻って、境内で直会(なおらい)です。
太陽がぎらぎらとまばゆくて暑い陽射しでした。一献傾けて昼寝をしたら最高でしょうに。
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神社の隣の旧家K家の建物です。こうした古い建物たちが日々朽ち果て、消えていく運命にあります。
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☆今日は第15回高鍋町散策の旅でした。雲ひとつない快晴に恵まれた絶好の行楽日和でした。
今日は高鍋町美術館で開催中の「竹久夢二展」をメインとした企画です。
商店街連合会の会長が急遽欠席となったので、私が挨拶をさせていただきました。
今日も遠くは都城からもおいでいただきました。

☆まず始めは高鍋町美術館で「竹久夢二展」の鑑賞です。
やはり「竹久夢二展」は人気なようで、一般の来場者も開館時から多く訪れていました。

☆美術館を出るといつものように城堀公園沿いに歩いていきます。
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城堀公園の石灯篭は間引きしているということでしたが、ちっとも減っているようには見えません。
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高鍋町立図書館付近。右の側溝には蜆がいます。山から流れてくる水で私たちの小さいころはこの側溝で皆さん食器を洗ったりしていました。道にはチリひとつなくとても清清しく歩いて気持ちのよい道筋でした。

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次に前回に引き続き小澤治三郎生家を訪ねました。
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これは散策の旅のときにしか出ない青木落花生謹製のピーナツ入りの饅頭。毎回大好評なのですが青木さんがかたくなに一般販売を拒まれています。
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次は私たち商店街連合会の商店街を歩きます。日に日に空き店舗空き地が増えていき、猫一匹歩いていない商店街は本当にさびしいものです。
この左側のテナントビルは今井電器のあったところ。そうです、今井美樹が生まれ育ったところです。
今日も散策の旅が終わって車のキーを回すと、FMで今井美樹がゲストで出産のことを話していました。
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今井美樹の生まれ育ったところの少し斜め前が、昨日永代法要で訪れた称専寺です。これが新しい総檜の山門です。
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この山門の左手のお寺の駐車場に初めて見る石碑がありました。このお寺の真後ろに製糖所があったのだそうです。そしてこの碑文の文字はなんと秋月種樹公によるものでした。
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そして午前の部の最終地点がいつものように黒木本店です。
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今日は幸いなことに黒木社長が在社していて、直接皆さんに軽妙な挨拶をしていただきました。
皆さんが工場見学をしている間に、次期高鍋商工会議所会頭に決まった黒木社長とまちづくりについて意見交換しました。
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黒木本店を出て役場のバスで高鍋温泉”めいりんの湯”へ移動。ここでお昼でした。食事はなかなかの味でした。
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松花堂弁当のお膳でした。
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午後は石井記念友愛社の資料館へ。
私は児島理事長へ台湾土産を届けに行きましたが不在でした。
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秋花に囲まれた石井十次胸像。
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友愛社を出ると、散策の旅では初めての企画で石井十次の生家を訪ねました。
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敷地内にある碑の文字は徳富蘇峰です。
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石井十次の生家は現在は品子夫人の系列の館野氏の一般住居となっているので、内部は見学できません。
ところが挨拶に出向くと、なんと館野さんが玄関を開いて十次の生活した当時のままの玄関部屋を公開して見せていただきました。
左上の書状は徳富蘇峰からのもの。
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最後は再び高鍋町美術館へ戻って解散。
以上が今日の散策の旅の全容でした。
次回の散策の旅は私の高鍋町美術館での個展の時になります。

☆朝一番に石材店の霊標の仕事で、隣町の木城町石河内まで行く。石河内は武者小路実篤の新しき村のあったところで有名です。
村の入り口、ダム湖湖畔の交差点角で兄が車を止め山の上を見上げています。
どこにも墓地らしきものは見えません。
兄が様子を伺っているところに、獣道のような細い急峻な山道が山の上へ向かっています。
まさか・・・でした。
キャタピラーさえ足元を取られて横転しそうな道を延々と登っていくと墓地がありました。
背後に大きな道でもあるのかと思いきや、道はこの獣道一本でした。父や兄たちはどんな苦労をして墓石一式を担ぎ上げたのでしょうか。
田舎の墓地はほんとうにこんなところが多いのです。
無事、霊標を車に積み込めましたが、明日はまた設置に登らなければなりません。

帰路に木城町のポケットパークに先日建ったばかりの、武者小路実篤の文学碑を見に立ち寄りました。私がレリーフ彫りをした例の石碑です。

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気がつくと、木城町や木城町よりの高鍋での新築の家の石垣に、この石河内の玉石が使われているのです。
山から出てきた玉石と言うことですので、九州電力の揚水発電所工事でたくさん出てきたのでしょうか。
とても魅力的な石なので、石垣にはあまりにももったいない!使っている人たちはこの石の価値にまったく気づいていないはずだ!

☆仕事の行き帰りに舞鶴公園の前を通って、ぎょっ!となる。

2007_0925_069.jpgこれって、何だと思います?
実は来月の中旬に開催予定されている、灯篭祭りのために、
町内の木工好きのボランティアさんたちが建てた”舞鶴城”なんです。
昨日の新聞に載っていたが、
こんな大きいものだとは・・・!
しかもこれ、実際の舞鶴城の復元模型でもなんでもなく、単なるお城のイメージなんです。
最近、このグループの作る造形物が町内いたるところに設置されています。ご本人たちは町のために一生懸命奉仕されているのでしょうが、新たな景観破壊になっています。いくら良かれと思っておられても、モノがレベルが低ければ、逆に高鍋の景観を破壊してしまうのです。
高鍋には景観条例なるものはないのだろうか。

ちなみに次の画像が問題の灯篭祭りの主役の”とうろう”です。
しかも場所は高鍋町美術館裏の城堀公園。歴史的美観地区なのです。
はたしてこんなものが、歴史的美観地区にふさわしいものだと、だれが心から思うのでしょうか。
灯篭祭りのポスターには、昨年に引き続いて、今年もこの中国製の石灯篭は載っていません。
灯篭保存会の人たちが意識してポスターに載せないようにしているということです。

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☆次は余禄1です。
先日、台風で倒壊した樹齢500年の大楠がこのように展示してあります。
まるで息絶えた恐竜のようです。樹医に空洞を金網でふさがれ非常に哀れです・・・・

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2007_0925_072.jpg後ろの軽自動車のそばで作業しているのが、お城の模型を設置した人たち。
この日も何か木の灯篭を設置していました。
見苦しいのがお分かりにならないのか?!














2007_0925_071.jpgこれが倒壊した大楠の内部。




















☆余禄2
亡き父の25回忌法事の打ち合わせで訪れたお寺の裏門の屋根。正面山門を新しくした際に、どこからか出てきたのだろう。骨董品やから持ってきて洗って載せた、と言う感じだが、稚拙ながらも手作りの感じがとてもよい。大好きです。大正時代のものらしい。

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☆今夜は15夜です。残念ながら今年は月見団子を作る時間がありませんでした。

☆携帯のデータをPCにUSBケーブルで接続転送する方法、ソフトのカスタマーで簡単に原因がわかりました。転送はこれでOKです。

でもよ、と思い当たってしまいました。
このブログってやつは、ずっとインターネット接続していないといけませんよね。それに画像もあらかじめアップロードしておいて、画像挿入のたびに呼びださなくてはなりませんよね。つまり、海外のローミング接続ではブログは膨大な接続料金がかかるってことですよね。
やっと通信料のかからない画像転送方法がうまく行ったのに、肝心のブログ更新にずっとネット接続しなければならないと言うのでは・・・・!
やはり台湾からはHPからだけの更新になりそうです。
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