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☆視察研修3日目です。
高松市内のホテルを出て最初に”道の駅 源平の里 むれ”に向かい、高松トリエンナーレの私の作品を見てもらいました。
☆道の駅を出て、雲ひとつ無い快晴の美しい瀬戸内の海を見てもらいたくて、志度湾沿いに庵治町へ向かいました。
流政之氏のアトリエ前でバスを止め、”太鼓の鼻”の眺望の素晴らしさを見てもらいました。
☆2度目の庵治町入りです。24日の研修初日は休館日だった庵治文化館を訪ねました。
☆続いてこちらも再び牟礼町を訪れ、10時からの見学を予約してあったイサム・ノグチ庭園美術館へ行きました。
美術館のエリアは撮影禁止でした。
約1時間の見学コースでした。
美術館を出て、近くのうどんの山田屋で早めの昼食を摂りました。
☆お昼に山田屋を出て一路宮崎へ。
夜の9時半に高鍋町へ帰ってきました。
今回の視察研修はかなりハードスケジュールでしたが、視察先ではいずこもとても丁寧な対応をしていただきました。
とても内容の濃い充実した視察であったと思います。
これから、今回の視察を私たちの町のまちなか再生にどう生かしていくか、が大きな緊急の課題となります。
皆さん、お疲れ様でした。
前夜の雨はあがったものの午前はまだ重い雲が覆っていましたが、昼前からは青空となり暖かい快適な視察となりました。
直島では本村ラウンジ&アーカイブにて、ベネッセハウス総支配人・笠原氏にのれんプロジェクトと家プロジェクトについての大まかな経過をお話いただき、引き続いて両プロジェクトの実行委員長・水野氏と観光ボランティアガイドの会会長・高橋氏に詳しいお話をしていただき、お忙しい時間を割いて本村地区を案内していただきました。
本村地区を出てベネッセハウスへ向かいます。
ベネッセハウスの敷地内へは一般の車は入れないので、つつじ荘にバスを止めて海岸沿いに歩きます。
お昼はベネッセミュージアムのカフェで摂りました。
ヨーロッパの美術館ではお酒をたしなみながら作品を鑑賞するのです、という私のアドバイスで美味しいビールをいただきました。
午後に美術館を出て、天候の回復した素晴らしい海景色の中を屋外の作品を鑑賞しながらバスへ戻りました。
☆午後はフェリーで高松市へ戻り、丸亀商店街の視察でした。
商店街では丸亀商店街振興組合専務理事・熊氏に丸亀商店街の再生事業についてとても明快な視点での熱心なお話をしていただきました。
(つい話に惹き込まれて、その画像を撮るのを忘れてしまいました)
これほど、今の日本の商店街の衰退の原因と再生法についての明確な論旨は初めてでした。
つまり丸亀商店街での問題点は、高鍋町の商店街再生への指針でもあるということです。
☆次に港の古い倉庫の再生でスポットを浴びている、北浜アリーへ向かいました。
☆夕食は、今、香川で人気上昇中の”骨付き鳥”を食べに”一鶴”へ出かけました。
宮崎の地鶏とはまたまったく別の味わいがあり、こうしてかぶりつくのが”一鶴”の食べ方とか。
ガーリック味がよく効いたなかなかのうまい鳥でした。
アーケード街を歩いていると、黒木本店の銘柄を取り揃えて店の一番手前にしつらえている店が多いのに驚きました。
店によって価格には大きな開きがありました。
もちろん正規価格ではなく、プレミア価格です。
☆この後、夜の視察交流が遅くまで続きました。
☆24日から、高鍋町まちなか商業活性化協議会の視察研修で高松市へ来ています。
初日の24日は早朝5時に高鍋町を出発し、臼杵港から八幡浜へ渡り、まず牟礼町の石あかりロードを視察しました。
視察の前に、高速を下りてすぐ、セルフのうどんを食べました。香川県へ来たらさぬきうどんを経験してもらわなければなりません。しかし牟礼、庵治のうどん店は午後2時には閉店になるので、視察の前にまず高松市内でセルフうどんを体験してもらいました。初めて食べる”釜たま”にみなさん感激でした。
牟礼町では石あかりの常設展示をしている讃岐石材加工協同組合を訪問し、実行委員長の松山さんにお話をおうかがいしました。
石あかりロードは夏の2ヶ月間のイベントですが、個人所有の石あかりが常設してあるので、あいにくの雨の中を松山さんに案内していただきました。
石あかりロードは源平合戦の古跡が散在しています。
ここは那須与一が弓を射る前に祈ったとされる祈り岩です。
駒たて岩は残念ながら満潮で水没していました。
初日の宿泊は庵治国際観光ホテルでした。
宴席に牟礼の私の友人の太田氏(アキホ・タタ)に参加していただき、石あかりロードや彫刻によるまちづくりの話をしていただきました。
私は今回、初めて鍋合戦に出かけました。
東児湯郡5町による地場産素材による鍋合戦は昨年に引き続いて2度目でしょうか。
最初は高鍋町が川南町からの挑戦を受けて、2町間の鍋対決を舞鶴公園の桜祭会場で開催したのが始まりで、それで春の陣、秋の陣と呼ばれるようです。
最初の鍋対決は川南町に軍杯が上がり、その雪辱を果たすために昨年からひがしこゆ観光ネットワーク主催として東児湯5町による鍋合戦になったようです。(私は関係者ではないので、間違っていたらご容赦。)
昨年は見事、高鍋町が雪辱を果たし、今年は小澤・商店街連合会会長が高鍋町の鍋将軍となって連覇を目指していました。
木城町のブース。地場産素材を詰め込んだきんちゃく鍋。
川南町のブース。山海の幸を使った10マイル海のコラーゲン鍋。
新富町のブース。地場産のそばを使った今昔そば鍋。
高鍋町のブース。高鍋農業高校の牛乳(農高のミルク=濃厚ミルク)と高鍋牡蠣、地場産キャベツを使った濃厚ミルクのあったか鍋。
都農町のブース。金ふぐと落花生の黄金坦々鍋。
お客さんは3食600円の通しチケットを買い、気に入った鍋に投票して、優勝チームが決まります。
出口調査では、高鍋と都農が競り合っていました。
小澤会長は連日、NHKの集中取材を受けています。
7月4日夜の九州特番でこの鍋合戦にかける姿をドキュメントで放映されるようです。
小澤会長としては、このドキュメント取材を通して、まちなか再生活性化事業をアピールしていきたいようです。
そして、いよいよ鍋合戦の結果発表で、見事高鍋町は連覇を果たしました。
この結果発表の直前に、高鍋高校ラグビー部が花園の切符を手に入れる吉報が入ったばかりでした。
ひがしこゆ観光ネットワーク会長(黒木高鍋商工会議所会頭)から優勝鍋盃が授与されました。
昨年はこの鍋盃で祝い酒の回し呑みをしたようです。
この勢いで、たかなべまちなか再生活性化事業への取り組みにも弾みをつけたいものです。
☆今日は第19回高鍋町散策の旅が行われました。
今回も宮崎市、西都市、諸塚村、都城市と県内各地から多数の応募・参加がありました。
天気はなんとか雨も降らずに幸いでした。
今回のメインは高鍋町美術館で開催中の、高鍋町美術館開館10周年特別展「池田満寿夫の世界展」でした。
前回から集合場所を高鍋温泉”めいりんの湯”に設定しています。
”めいりんの湯”から高鍋町美術館へ移動し、特別展を鑑賞しました。
☆続いて、いつものように石井正敏氏の案内で、城堀公園を経ての歴史的町なみの散策です。
☆今回も古民家再生の”久米酒店”さんで小休止です。
☆久米酒店では、これから歩いていただく寂れた商店街を、今年から県指定第1号のまちなか再生活性化事業で活性化していく取り組みがはじまったので、客観的なよそ者の目で見て行っていただき、忌憚ないご意見をいただけたら、と商店街連合会・小澤会長と私とでお話ししました。
☆午前はいつものように、黒木本店の見学で終了です。
これは、いま行っている”まちなかギャラリー”の小学生の絵です。
参加者の皆さんです。
☆昼食はシーズンが始まった蚊口浜”秋山商店”の牡蠣料理でした。
メニューは、牡蠣フライ、牡蠣の味噌ぬたあえ、牡蠣ご飯、焼き牡蠣、味噌汁、そして秋山さんのご好意によるお頭付きの刺身でした。
☆午後のコースはまず持田古墳でした。
高鍋は古墳時代から文化レベルの高い地域だったと言うことを、町外の方たちに強くアピールできる空間です。
持田古墳群からは、女性用の純金製靴を初め銅鏡など多くの貴重な副葬品が出土しています。
悲しいことに、そのほとんどは金目当てに盗掘され、いまは多くは関西地方の資産家のコレクションとなり、警察に捕まった分が県の博物館に収容され、高鍋には何も残っていません。
(この中で25号墳から出土し、広島県耕三寺に所蔵されている「変形四獣鏡」は国の重要文化財に指定されています。)
下の画像の左にある前方後円墳の「船塚」の樹下にあった石棺は、近年になって西都原資料館に”略奪”され、返却されません。
この内側にベンガラを塗られた石棺こそが、私の”再生シリーズ”の原点なので、悔しい限りです。
この盗掘された古墳の霊を祭るために岩岡保吉という男が私財を投げ打って八十八ヶ所の霊場を作ったのが、高鍋大師の始まりです。
高鍋大師の石像は何度か紹介しましたので、今回はお堂の中を紹介します。
高鍋大師が地域の方たちとのかかわりでどう出来上がっていったのか、貴重な写真が多数掲げてあります。
☆今回も密度の濃い散策の旅となりました。
四国汽船フェリーで8時12分に高松港を出発し、直島の宮浦港へ向かいました。
宮浦港では草間彌生のかぼちゃが出迎えてくれます。
女の子たちに大人気です。
宮浦港からは町営バスで移動しますが、レンタル自転車で移動する人も多く、私は歩いて目的の本村地区まで30分ほどをのんびり歩きました。
不意に写真で見たことのある”はいしゃ”の前を通りかかりました。
建物自体が大竹伸朗の作品になっていて感心しました。
これが本村地区の家プロジェクトなのですね。
これは杉本博司の護王神社です。
ガラスの階段は地下の石室から伸びています。
☆家プロジェクトは作品なのでほとんど撮影禁止でほかの画像はありません。
でも居住する人のいなくなった優れた建物の再生法として、とても惹かれるものがありました。
さてこれからが今回私が直島の本村地区を訪れた最大の目的です。
家プロジェクトもそうですが、高鍋町のまちなか再生事業の一つのモデル事業として、のれんプロジェクトなどの事業の下調べが目的でした。
来月末にはまちなか再生事業でこの直島を私たちは訪れます。
護王神社の背後に高原城址があり、本村地区が立派な城下町であったことを知りました。
つまり城下町である高鍋町とも共通項があったのです。
これは統一した屋号表札や地番案内です。
そしてこれからが”のれんプロジェクト”です。
私は商店にかけられているのかと思っていましたら、ほとんどが一般の民家でした。
さらに統一された城下町の重厚な白壁、黒壁が、実はこのまちなみ再生のために多くが焼き板で再生されたまちなみだということもわかってきました。
☆午後はバスでベネッセ美術館へ移動しました。
ここでは安田侃の”天秘”が一番人気で、みんな作品の上に寝転がって四角く切り取られた青空を見あげていました。
ここも撮影禁止ですので、これからは周辺の画像です。
このジョージ・リッキーの風で動く作品の真下にはこんな空間がありました。
多くの人は存在に気がつきません。
地中美術館にあるウオルター・デ・マリアの作品のヴァージョンです。
この桟橋を振り返った山の上にベネッセ美術館はあります。
海の家”つつじ荘”へ海岸沿いに歩いて引き返すと、草間彌生の”南瓜”が見えてきます。
直島のシンボルでもある南瓜は、ここでも大人気です。
宮浦港へ帰るバスの中でも、幼い女の子が”かぼちゃ、かぼちゃ”と言い続けていました。
☆この後は宮浦港へ戻り、午後2時20分のフェリーで高松へ戻りました。
とても気持ちの良い楽しい充実した一日でした。
☆高松に着いた23日まで、牟礼町では”石あかりロード”が開催されていましたので、最終夜を友人の太田氏に案内していただきました。
この”石あかりーロード”は、昨年にテレビで紹介されていて、高鍋町の石灯篭の今後のことも考えていたので、是非一度見てみたいと思っていたものでした。
今年で5年目の取り組みになるようです。
1,5kmの旧道に約200基の石あかりが並び、週末は大変な人出で賑わうそうです。
県外からのバスツアーも来ると言うことです。
ここはコンクールの展示場。
(あかりよりも”たまゆら”のほうが飛び交ってますが・・・・)
期間中はこうした屋台がたくさん出るそうです。
石あかりは、こんな風に各家の玄関や空き地に設置されます。
(電気代は設置された各家の負担だそうです)
全体的に感じたのは、昨年テレビで見た内容より落ちていること。
(5年目で中だるみだそうです)
やはり石やさんの仕事なので、画一的であること。
あかりがほとんど電気で情緒に乏しいこと。やはりろうそくの揺らめきがよいですね。
しかし、夜の催し物で県内外からのお客さんが大量に呼べること。
高鍋町の商店街の石灯籠(商店街の石灯籠は個人で買われた個人所有物が多いので、お堀の一斉撤去のようには行かないということ)の活用の、おおきなヒントがあるように思います。
中央通会の方たちとは枕崎市の彫刻ロードの視察に一緒に行きました。
そしてオブジェ設置等の色んなプランを描かれましたが、いざ拡張工事にかかると、道路幅に対する歩道幅が決められており、植栽も何もできないとわかりました。
それではあんまりだ、ということで個人の力でこうして自分の店舗敷地内に彫刻を設置していただきました。
この作品はいま私がもっとも気に入っている作品です。
キャンセルしたトルコ・ANTALYAはこの作品プランでエントリーして、51カ国・275プロジェクトの中から選ばれたものです。
午前中はよく日が当たります。プレートは私が高松に出発する直前に届く予定です。
プレートが取り付けられた時点で、日の当たった状態を再UPします。