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私はこの旅の主催者である商店街連合会の副会長でもあるので、私の個展を見ていただいた後はお昼まで散策の旅の案内役を務めました。
参加者の皆さんには30度を越す真夏日の陽射しの中を歩いていただきました。
城堀では昨日から蓮の花が咲き始めました。
ここ最近の定番の小澤治三郎生家。
私が肝心の個展会場を留守にして散策の旅を先導したのには理由があります。
私の彫刻を見ていただいた後、この千手さんのポケットーパークまでに置かれた彫刻たちを見ていただき、高鍋でしかできない文教の町らしいまちづくりを体感していただきたかったからです。
説明をしながら、私自身、まったく予算のない状況ながら高鍋町ならではのまちづくりを行っている意を強くしました。
そして黒木本店へ。黒木本店前の彫刻たちも見ていただき、次は千手さんのポケットパークから黒木本店までの間に彫刻が並べば、美術館から黒木本店までの彫刻に触れながらの散策ロードが完成する旨を説明しました。
黒木本店を見学した後はいつものように”うを長”さんで昼食です。
いつもながらのすごいヴォリュームです。
私はこの後は美術館へ戻りました。
散策の旅の午後のコースは、高鍋湿原の後に今回初めて黒水家(家老)住宅、舞鶴公園内の萬歳亭での茶席を組み入れました。
私たちの予想をはるかに超える230名ほどの町民の方が来られ、ホールはほぼ満員でした。いかに高鍋町民が自分たちの町の在り方に高い関心を持っているか、ということでしょう。
私も何とか灯篭についての考えを公的な場で表明できたかな、と思います。
確実に何かが変わっていくでしょう。
久保昌也先輩による基調講演。
私たちパネラーによるパネルディスカション。
打ち上げも大いに盛り上がりました。
みなさん、このブログを毎日見ていてくださっているということ。
それで睡眠不足ですが、急ぎ、画像のみUPします。
黒木会頭も張さんたちと歓談。
若い人たちが張さん、黄さんと片言英語、筆談で盛り上がっていました。
2次会はカラオケへ。帰宅したのは午前2時。
☆昨日は枕崎市のアートストリートフェスタへ行ってきました。
このフェスタは市役所前の通りに彫刻を設置していた事業が完了したのを記念して、昨年暮れにポケットパークに設置された私の作品と寺田武弘氏の作品の除幕式、およびポケットパークの愛称発表をメインにしたイベントでした。
私が枕崎市へ着いたのはお昼を少し回ったころでした。
通りは大変な賑わいでした。
ポケットパークの私の作品です。
こちらは寺田武弘氏の作品です。
お昼は”かつおラーメン”なるものを食べました。
午後からも色んな催し物が行われました。
こちらは鹿児島市内の玉江小学校のジャズバンド。
連続5回の全国優勝という素晴らしい実績を持ち国内外で演奏活動を展開しているリトルチェリーズ玉江2007。
その演奏の素晴らしさに度肝を抜かれてしまいました。
そしてメインステージでは、地元のバンド、"RENS"によるアートストリートのイメージソングの発表演奏。
このイメージソング、”ART STREET~風からの伝言~”はCDとなって発売されました。
このCDのジャケット写真は設置された彫刻たちの魚眼レンズによる画像です。
中のCD自体には私の作品が使われています。
通りのポスターにも私の作品が使われていました。
フィナーレは全出場者による”風からの伝言”の演奏でした。
最後に私の作品画像です。
小澤治三郎生家のとなりにある建物で、傷みも激しく、最近までの居住者は壊したがっていました。
私たち野次馬は、なんとか小澤治三郎生家のように復元できないものか、と気を病んでいたものです。
ところが工事が始まったので聞いてみると、所有者が替わって、道向かいのクリーニング引き受け店とプロパン業を営むTさんが倉庫として使うようになったということ。
復元工事ではありませんが、となりの小澤治三郎生家に呼応してレトロな在来工法の木造壁で修復してくださったようです。やりかえるなら今はやりの新建材を使えば安くて早くできたはずなのに、工期の長く掛かる手間の要る木造壁で修復してくださったTさんの心意気を素晴らしく感じました。
筋向いのK酒店も古い家屋を見事にリサイクルして使っておられます。
こうして地域の住民が行政に頼らず、自分たちの力で町並み景観を大切にされようとする姿に、感銘を抱きます。
右の建物が小澤治三郎生家です。
☆今日の制作画像です。
この暖かさで遅れがちだった桜の開花が一気に進むでしょうか。
今朝仕事に行きがけに中町のポケットパークを覗いてみたら、ようやく桜の花が見ごろになっていました。
デジカメで撮った画像を彫刻の作者・尾崎慎氏へ送る約束をしていたので、デジカメを持って出かけましたが、どうしたことかデジカメがスマートメディアを読み込めません。カードを替えても同じです。どうやらデジカメが故障してしまったらしいのです。
それで携帯での画像になってしまいました。
右手下にあるのが尾崎氏の作品。
桜はまだ5分咲きくらいです。
先日2作品を設置したポケットパークはここから100メートルくらいの近距離です。
今日は雲ひとつない良い天気です。
恵まれた気持ちの良い朝に日向まで走り、”お船出の湯”とケーキ屋さんで預かってもらっていた彫刻を取りに行きました。2作品ともそこにあって当然という感じですっかり馴染んでいました。特にケーキ屋さんでは子供たちからとても愛されていたそうで、店長さんはとても悲しげでした。私も辛い気持ちでしたが、いづれにしろ出来るだけ早急に預かり問題を解決しなければなりませんでしたので仕方ありません。
10時半過ぎに新しい移転先の高鍋町のポケットパークに到着しました。
設置してみると、いや断然こちらのほうが作品が生き生きとしてきました。ポケットパークの雰囲気も一気によくなりました。2作品ともこのポケットパークによく合います。
”いい作品が残ってくれていましたね。”
本当にそうですね。
右端の方がオーナーの千手さん。これだけの一等地の敷地を町民の皆さんのために解放してくださいました。
真ん中に居るのはこのポケットパークの造作を担当してくれた清水緑苑の清水君。同窓生です。
早速、千手さんのお孫さんが彫刻と遊んでくれました。これからは高鍋町の子供たちがたくさん遊んでくれるでしょう。
周りの状態です。東向かいは居酒屋とスナックです。
南面は幹線道路、町の中心部です。ここからすぐ近くには尾崎慎氏の作品も設置してあります。
岩崎町議も視察に来てくれました。
ブログに載せてくれると思います。
お披露目にこのポケットパークで何かイヴェントを打ちたいな、という話も出ています。
作家の渡辺さん、長澤さん、ご協力ありがとうございます。大事に預からせていただきます。
☆夕刻に少し制作を。
午前の作業も暖かく順調に進みました。
☆昼に帰宅すると、我が家と隣の消防機庫との間の排水溝がきれいにさらってありました。
今朝は早くから消防団の人たちが動いていましたのでこうした作業をされていたのでしょう。年に1度は私の知らない間にこうして排水溝がきれいになっています。頭が下がります。
HP日記のほうには何度か書いたかと思いますが、実はこの排水溝の底板は松の木です。
私自身も昔の家を壊すまでまったく知りませんでした。我が家のブロック塀と隣の塀(昔は宮崎日日新聞の高鍋支局であった)の間に雑草に覆われた異臭のするどぶだと思っていました。
家を壊して排水溝に工事の水を流し始めるとそこにきれいな松板が現れてびっくりしました。
近所の先輩たちに聞くと、昔は家庭排水もきれいでしたので今のような汚泥は無く、常に澄んだ水が流れていたということです。
これはきっと高鍋藩時代のものだろう(防火のための用水路整備は第四代藩主種政公の時にすでに整備されて今に活きている。)と思って、社会教育課に調査を依頼しましたが、とうとう何の報告もありませんでした。そのころ延岡市美術展の審査で延岡市の教育委員の方とお話したときに、それは江戸時代のものに間違いないですということでした。
ところが先年、先輩の久保昌也氏と話をしていたら、実は初代高鍋町長を務めた久保氏の祖父が整備したものだと分かりました。つまり明治初期のものであり、しかもきちんとした見識を持って整備されていたのです。この排水路はまた蓋をされて、生活通路としても使われていたのです。
次の画像の左側の側石には蓋をはめる切込みがあります。
そういえば私たちが小さいころはこうした排水溝の上が日常の通り道だったことを思い出します。
今はそれにコンクリートの蓋がされ、結果的に遺構が活きていることを知らない人々が途中から新築工事で埋めてしまうようになってしまいました。
こうしてまだ生活排水路として使われ、松板を見せているのは私の近所だけです。
なんとかこの排水路を文化遺産として活用できないものかと考えるのですが、うまく行きません。下水道が完備してしまうと排水が雨水だけになり、松板は枯れてしまいます。松板が保たれるのには常に水の中に浸かっていなければなりません。一度町政座談会の時にお話しし、会後に役場の方が見にこられましたがそれきりでした。
個人で水を流し続けるのは不可能です。
このままではいずれ忘れ去られてしまうでしょう。
目の前にある文化遺産が活かしきれない無念さ、です。
☆午後は仕事場へ戻ると冷たいつむじ風が吹き荒れはじめました。
工場の中へ場所を移して作業しました。
夕刻までにはほぼまとまりました。
仕上げは余り細かくすると肌が美しすぎるので、砥石の細めで止めました。
カッティング部は先日黒御影石の作品で試みたように目の細かいビシャンを当てたら落ち着きました。
しかし私にはちょうどいい屋外作品の持ち合わせがありません。
そこで考えたのが、日向市に仮置きしている日向現代彫刻展の作品を、このポケットパークに持って来れないか、ということでした。
なぜ日向の作品を移動しなければならないか、そして今日のオーナーと作家たちのやり取りについてはHP日記を読んでください。
結果的に次の2作品が高鍋の街中の新しいポケットパークに移設されます。
本当に街中ですので多くの町民から愛されることになるでしょう。
わずか50メートルくらいしか離れていないところには、我が中町のポケットパークに尾崎慎氏の作品があります。
(そうしたら、なんと今日、よだきんぼママさんが尾崎氏の個展に足を運んで彼と会っているではありませんか。なんとも意識は連動するものですね。ブログはこちらへ)
21日には移設の予定です。
ポケットパークの画像です。
長澤裕子さんの作品です。
渡辺一宏氏の作品です。
2点とも親しみやすい柔らかな作品です。
☆「核となるもの」
舞鶴城
舞鶴城は、「歴史と伝統の町」のシンボルとして、近隣の市町村にはない、優位性を持った、独自の個性、特徴を表すものであり、他の市町村では真似のできない、城下町としての気風を今に伝えています。
この気風こそが、高鍋町を文教の町とまで言わしめ、世に多くの優秀な先哲を数多く輩出させてきました。
また、舞鶴城跡の石垣の風景と水をたたえたお堀の風情は、高鍋町に住む人にとって、心和む「原風景」でもあります。
まさに舞鶴城こそは、高鍋町民の「心のふるさと」であり、高鍋町のビジョンを考える上で、揺ぎ無い柱、核となるものであります。
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実は以上の文章は、現高鍋商工会議所会頭の黒木氏が、副会頭時代に委員長を務めた地域再生プロジェクト委員会がまとめた「高鍋町のビジョン 地域再生へ提言」の中で、高鍋町のビジョンの核について述べられたものです。
今の高鍋町の現状を知っておられる方々で、このビジョンについて全面的に賛同される方がおられるでしょうか?
考えが間違っていると言いたいのではありません。
むしろ高鍋町民、高鍋出身者はみな同じ熱い思いでしょう。
問題は、こういう熱い思いを持っている人たちが行っている高鍋町の景観づくりが、まったく逆のことではないかという町民の苛立ちなのです。
”舞鶴城跡の石垣の風景と水をたたえたお堀の風情は、高鍋町に住む人にとって、心和む「原風景」でもあります。”
その「原風景」を、醜悪な石灯篭を設置してぶち壊したのはあなたたちではありませんか。
町民があれほど嫌がっているのに、一向に撤去しないあなたたちではありませんか。
さらに、その高鍋町のビジョンの核である舞鶴城の正面に、灯篭以上にみっともない木製のお城を置いて、観光客を迎えているではありませんか。
高鍋町の原風景を打ち壊し、核となる舞鶴城公園にオテモヤンのような醜い仮面をかぶせて、何が地域再生への提言でしょうか?!
(もっとも黒木会頭と私は旧来からの友人です。黒木会頭は私にとってもっとも信頼すべき友人です。したがって私の思いは黒木会頭に常に伝えてあります。ここで述べているのは黒木会頭への個人的な攻撃では在りません。)
先日の美術協会での懇親会でも、石灯篭以上に許せないこの木製のお城のことでみんなの憤りが沸騰しました。
高鍋出身の方々は、もっと卒倒するような憤りを感じられるのではないでしょうか。
こんな風景が「高鍋町のビジョン 地域再生へ提言」の中身と一致すると思われますか?!
画像は今日の画像です。