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☆昨日の報告です。
風邪はなんとか朝には少しよくなりました。
朝食後に作業用の防寒着を買いに出ました。大通りはまだ店が開いていませんでしたが、裏通りへ足を踏み入れるとダウンタウンの韓国らしい情景が広がっていました。10000ウオンのヤッケを買いました。
☆今日から制作だというので作業着に着替えて道具箱を持ってホテルのロビーで待っていましたが、指定の時間になっても誰も現れません。
11時過ぎてAlberとShim Jung-Sooがやってきました。
しかし誰も迎えに来ません。
ようやくオルガナイザーのHeung Sub Yunがやってきて、今日は予定変更で午後からFolk Villageへ行って夜は市長との晩餐会だといいます。
訳のわからないまま、作業着のままで工具箱を抱えてシンポジウム会場へ行きました。
そしてそのまま午後にFolk Villageへ向かってそこで昼食となりました。
縁台に座ってマッコリを呑んでの昼食です。
なんでもこの民俗村一体はオルガナイザーのHeungのお母さん方の土地で、彼は大金持ちの息子だということでした。
もちをつかされました。
☆まだマッコリやチヂミがお腹に残っているというのに、民俗村から近くの韓国式料亭へ向かいました。
市長との約束時間にまだ時間があったので、待合廟で待っていると女将と楽人たちが歌と演奏を披露してくれました。
市長代理のカンさんが来て宴会が始まりました。カンさんはショジュ(焼酎)とビールを割ったものを全員に一気飲みさせます。それが1周するとまた廻ってきて何度も一気飲みさせられてみんなハイテンションになりました。
そして又も踊りが始まりました。
このシンポジウムではまだ何も仕事をしていません。
そういえば韓国の大学の彫刻家たちは自分では制作をしないと聞いたことがあります。
だから作品はアシスタント(学生)たちに作らせて、シンポジウムは作家同志が集まって呑んで食べて歌って踊ってが中心なのだと言うことなのでしょう。
みんな私の個展のリーフレットを見て、大作の制作にアシスタントを使わないということに非常に驚いていました。
韓国式のシンポジウムと思えばよいのでしょうか。
上の写真にものすごい数の丸い玉が写っています。この舞台方面を撮った写真にはほとんど同じような丸いものが写っていました。(一つ前の踊っている写真にももう写り始めています)
友愛社でのSicko夫妻の時の”たまゆら”と同じものなのでしょうか?
デジカメはこちらで買ったものだし、フラッシュの影響であれば他のフラッシュを使った写真にも写りそうですが、この舞台方面の画像にしか写っていません。
とまれ、風邪気味のことは忘れて楽しい宴となりました。