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☆今日はあいにくのお天気です。昼前から本格的な雨です。
☆夕刻にHPの10月22日の阿美族文化に触れる旅を更新しましたので、ブログでも追補画像をUPします。
台湾は日本軍が統治していたこともあり日本の文化の影響の濃い国柄です。その中で花蓮懸は特に大正時代に国の移民政策で四国の吉野川沿いの住民や北海道からの移住が多いところです。花蓮懸の地名には彼ら移民のふるさとの名前に変更されたところが多くあります。花蓮では日本人への対応はとても好いです。
当日の観光旅行はそうした日本からの移民の地域、日本統治の面影、そして原住民の阿美族の文化に触れる一日でした。
旅程はつぎのようなものでした。
1 森田造園
日本の移住地域にある花蓮で一番大きい造園屋。
お茶を入れてくださる森田さん。
2 日本からの移住者たちの作った煙草工場跡。
移住者たちは生活のために、医療、教育、製造業、警察組織など日本からのシステムを移入し、それが今の台湾の基幹となっているということ。
移入した一つに煙草工場がある。
床の表情も趣がある。
3 やはり日本によって開発された台湾ヒノキの伐採地・林田山。日本統治時代に樹齢2000年以上のほとんどのヒノキが伐採され、日本の寺社仏閣に使われた。 画像はその林田山の映画館(地域は日本式の社宅が立ち並ぶ町並みを作っていた)を改修した資料館・中山堂への上り口。
コブラも出ます。
そして観光客のための林田山社区珈琲館・摩里沙ソウ(上と下が合体した文字。)木造のとても落ち着いた瀟洒な喫茶店。京都にでもありそうな店である。外観はHPで。
ここであの10月11日のブログに書いた、私の作品がUPされた藝術季のパンフレットを発見。
やはり文化局の制作でした。
4 次に阿美族の文化資料村、馬太鞍でガイドの話を聞く。ガイドの蔡さんが阿美族の嫁取りの儀式をそのための衣装を着ながら面白おかしく説明してくれました。また彼らの生活の主な糧である魚捕りの技術についても実演を加えて説明。阿美族には文字がありません。そのためにか歌と踊りが大切な表現手段になってきたのでしょうね。蔡さんの説明の中でとても興味を引かれる部分がありました。日本と同じ名詞発音があるのです。尻、うなぎ、えびはともにシリ、ウナギ、エビなのです。
5 昼食は少し離れたは欣緑農園にて阿美族の民族料理。先日は馬英九氏も立ち寄って食事をされたということです。阿美族の住んでいるこの一帯は山のすぐふもとになるので(いまはほとんどの原住民は山から降りてこうして街場で暮らしている)、水が澄んでいて、無農薬無添加の自然食品が売りだということ。
6 午後には食後のデザートで花蓮精糖会社内のアイスクリーム売り場でアイスクリームを食べました。
こんなに大きい。
向こうに何か見えますが・・・
なんとこれは池の鯉のえさ販売機!
7 午後に前回の参加時のBernardの作品の設置してある運動公園へ寄りました。
8 そして夕暮れて、今回の作品設置場所の一つである鯉魚潭へ。朝野氏、林さん、Carolineの設置場所を確認。ここにはすでに桜井壽人氏らのこれまでのシンポジウム作品がいくつか設置してあります。
9 締めは花蓮市街郊外にあるリゾートホテ”PROMISEDLAND”でのディナー。ここは広大な敷地の中を運河が流れ、ボートで移動する。
作りが、私たちがドバイで観光へ訪れたMADINAT JUMEIRAHに似ている。スケールの差でははるかにドバイのリゾート施設には及ばないが、リゾートホテルの範としているのだろう。
(画像の良いのがないのでHPのほうでホテルのURLへリンクしてみてください。)