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ホーリー祭とはこんなお祭りです。
(私が最初にインドへ行った時にお世話になった西遊企画のHPより)
その中の一つに川村カ子トアイヌ記念館がありました。(カ子トはカネトと読みます。)
旭川には近文アイヌと呼ばれる人たちがまだ住んでおられて、しかし純粋にアイヌの血統を保っておられるのは10人ほどだということです。この記念館は北海道では一番古いアイヌ資料館だということです。
現在はカ子ト氏の子息である川村兼一氏が館長を務めらておられます。
私たちが訪れたときはまだ開館前で、丁度、笹で出来たチセという家では、刃物供養が行われていました。工芸に携わっている方々が大事な道具である刃物の供養を毎年2月にチセの中で行っているということでした
荒井先生にお土産にムックリ(口琴)をいただきました。それを川村氏の娘さんが実技指導していただきましたが、娘さんはとても脚の長い非常にエキゾチックな風貌の美しい方でした。
その後に旭川博物館を訪れるとアイヌの資料が実に豊富に展示してあり、現代のアイヌの伝統文化、伝統工芸を引き継ぐ展示の中には、今お会いしたばかりの川村兼一氏や娘さんのものもありました。
アイヌの言い伝えとして、昔の人がやったとおりにやっていれば間違いは起きないという不文律があるのだそうです。つまりアイヌの人たちは生活のすべてを、儀式やものを作ったりすることをも、昔どおりに行っているということだそうです。アイヌの女の人は常に手を動かして何かを作っているそうです。そうしたことから昔どおりの物事をしっかり引き継いで行っているのだそうです。
すごく上質な生き方だと思わずには居られませんでした。
☆無事に名寄に着きました。
朝一番のANAで宮崎を発ち、羽田空港で土田一家と合流し、昼過ぎにAIRDOで旭川へ着きました。
旭川はとても好い天気で暖かく、やはりいつもより雪が少ない気がします。
旭川では氷の国際彫刻が毎年開かれています。
☆旭川からは特急サロベツで名寄へ向かいます。
車中の雪見酒が最高なのです。
やはり今年は屋根に雪が積もっていません。
私と一緒に写っているのは土田氏の愛息・甲人君。
☆3時過ぎに名寄駅に着きました。列車には馴染みのスイスチ-ムとドイツチームが乗っていました。
名寄は0℃でしたが、やはり雪がとても少なく溶けかかっています。
昨夜は吹雪いたそうですが。
☆ホテルにチェックインして会場へ下見に行きました。
やはり雪のブロックが溶けかかっています。
今夜、冷えると好いのですが。
まったく寒くありません。手袋もマフラーも帽子も要りません。
☆ほどなくして先に札幌に来ていた松村氏が到着しました。
私は今年が10回目で一区切りかと思っていたら、来年が10回大会だそうです。10回大会は盛大に開催したいということで、来年も名寄へ来ることになるのでしょうか・・・・
今夜は歓迎パーティーが開かれます。
また追ってご報告します。
☆一昨日(23日)は清州(チョンジュ)の観光地・俗離山(ソンニサン)へ観光に行きました。
俗離山は今、紅葉の見事な絶好の観光シーズンで多くのハイキング客で賑わっていましたが、前日の雨がまだ残っているあいにくの天気でした。幸い俗離山に着くころには雨も上がりましたが、一日重い曇天が続きました。
俗離山には多くのお寺があります。
門前村で昼食を摂り、今日のメインの法住寺を観光しました。
この法住寺の五重の塔は韓国唯一の五重の塔だそうで、法隆寺のモデルになったとされるものです。しかし1592年の文禄の役の秀吉軍によって一帯の寺はすべて消失し、1626年に残った残骸を元に再建され、1968年に完全に復元されたと言うことです。
法住寺からさらに登って福泉寺という韓国でもっとも美味しい水が湧く禅寺へ行きました。
禅室では一人の僧が座禅を組んでいて、特別に見学させてもらいました。
こういうことはほとんど前例のないことだそうです。
☆この福泉寺の裏山を登って今夜の山荘へ行くといいます。地元の食品会社の社長と洪教授の案内で険しい細い獣道のような登山道を登っていきます。みんな余りの急峻な山道に息も絶え絶えで、こんな奥深い山奥に本当に山荘があるのでしょうか。
ようやくたどり着いた山荘にはなんとハイキングのお客が居て、営業しています。
こんな山奥に客の来る山荘が営業しているなんて・・・・・
韓流ドラマによく出てくるオンドルの山荘です。
夕食は外で摂りましたが、とても寒くてAsanでもらったジャンパーを着込みます。
この山荘手作りのトンドン酒が出てきました。
洪教授の話では、俗離山は韓国の丁度真ん中に位置し、韓国中の気の集まるところだと言います。
また田中睦冶教授も韓国の野菜が美味しいのは韓国の土地のエネルギーがよいからだ、となにやらネイチャースピリッツの話を始めました。
ひょっとして?と尋ねると、やはり田中教授も「たまゆら」の写る人でした。
首里城では田中教授に「たまゆら」が集まってきたそうです。
私たちは出会うべくして同室になったのだとわかりました。
それでそれほど気の集まっている場所なら、と期待してフラッシュを焚くのですが、意識してカメラを向けると「たまゆら」は写らないようです。
ようやく中国の作家たちが歌っている頭上にはっきりした五角形のような「たまゆら」が写りました。
森教授は明日の朝早くにインチョン空港へ発たなければなりません。恐怖のあまり顔をこわばらせて、この山を降りていきました。
入れ替わりに金教授が元気に肉を持ってやってきました。
一段落して山荘のなかで、今後の3国交流展の展開に仕方について真剣な論議が続きました。
青空未来通信記
それはこのマグネットの正体についてです。
HP日記にも書き、画像もUPしてありますが首都・ブラチスラヴァの街中にはところどころにドッキリ彫刻が設置してあって、それが一つの観光名物になっていてみやげ物グッズにも多く登場しています。
上のマグネットは次の彫刻のマグネットメダルなのです。
隣ではこのドッキリ彫刻を模したパフォーマンスも行われていました。
このようなパパラッチ彫刻もあります。
街の散策が楽しくなります。
多分、津村宮崎市長が宮崎市のパブリックアート事業の骨格として考えているのはこうした市民や観光客が親しく楽しく接することの出来るパブリックアートスタイルなのでしょう。
昨夜のうちに関空に帰国し一泊、今日のお昼に自宅へ帰ってきました。
私のHP日記を読んでおられた方はお分かりのように、シンポジウム滞在中はネット環境が悪く、私の携帯もこのページへ入ることの出来ないタイプなので、ブログの更新が一切出来ませんでした。
まだ時差ボケでボーっとしていますが、とりあえず完成画像のみUPします。
HP日記も画像のUPが出来なかったので、これからおいおいUPしていきます。
制作したのは”MOON DANCE”。
使用石材はブルガリア大理石。かなり硬めの石でした。
設置場所はトッポチアンキー城という古城の広大な公園の一角。
一緒に写っているのは参加作家。
私の右がFilip Sicko(スロバキア)、その次がHeidi(オーストリア)、真ん中がIvan(ブルガリア)、右がSlava SickoとJan Sicko夫妻(スロバキア)。
Slavaが今回のオルガナイザーを務めました。