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私は今回、初めて鍋合戦に出かけました。
東児湯郡5町による地場産素材による鍋合戦は昨年に引き続いて2度目でしょうか。
最初は高鍋町が川南町からの挑戦を受けて、2町間の鍋対決を舞鶴公園の桜祭会場で開催したのが始まりで、それで春の陣、秋の陣と呼ばれるようです。
最初の鍋対決は川南町に軍杯が上がり、その雪辱を果たすために昨年からひがしこゆ観光ネットワーク主催として東児湯5町による鍋合戦になったようです。(私は関係者ではないので、間違っていたらご容赦。)
昨年は見事、高鍋町が雪辱を果たし、今年は小澤・商店街連合会会長が高鍋町の鍋将軍となって連覇を目指していました。
木城町のブース。地場産素材を詰め込んだきんちゃく鍋。
川南町のブース。山海の幸を使った10マイル海のコラーゲン鍋。
新富町のブース。地場産のそばを使った今昔そば鍋。
高鍋町のブース。高鍋農業高校の牛乳(農高のミルク=濃厚ミルク)と高鍋牡蠣、地場産キャベツを使った濃厚ミルクのあったか鍋。
都農町のブース。金ふぐと落花生の黄金坦々鍋。
お客さんは3食600円の通しチケットを買い、気に入った鍋に投票して、優勝チームが決まります。
出口調査では、高鍋と都農が競り合っていました。
小澤会長は連日、NHKの集中取材を受けています。
7月4日夜の九州特番でこの鍋合戦にかける姿をドキュメントで放映されるようです。
小澤会長としては、このドキュメント取材を通して、まちなか再生活性化事業をアピールしていきたいようです。
そして、いよいよ鍋合戦の結果発表で、見事高鍋町は連覇を果たしました。
この結果発表の直前に、高鍋高校ラグビー部が花園の切符を手に入れる吉報が入ったばかりでした。
ひがしこゆ観光ネットワーク会長(黒木高鍋商工会議所会頭)から優勝鍋盃が授与されました。
昨年はこの鍋盃で祝い酒の回し呑みをしたようです。
この勢いで、たかなべまちなか再生活性化事業への取り組みにも弾みをつけたいものです。
☆今日は第19回高鍋町散策の旅が行われました。
今回も宮崎市、西都市、諸塚村、都城市と県内各地から多数の応募・参加がありました。
天気はなんとか雨も降らずに幸いでした。
今回のメインは高鍋町美術館で開催中の、高鍋町美術館開館10周年特別展「池田満寿夫の世界展」でした。
前回から集合場所を高鍋温泉”めいりんの湯”に設定しています。
”めいりんの湯”から高鍋町美術館へ移動し、特別展を鑑賞しました。
☆続いて、いつものように石井正敏氏の案内で、城堀公園を経ての歴史的町なみの散策です。
☆今回も古民家再生の”久米酒店”さんで小休止です。
☆久米酒店では、これから歩いていただく寂れた商店街を、今年から県指定第1号のまちなか再生活性化事業で活性化していく取り組みがはじまったので、客観的なよそ者の目で見て行っていただき、忌憚ないご意見をいただけたら、と商店街連合会・小澤会長と私とでお話ししました。
☆午前はいつものように、黒木本店の見学で終了です。
これは、いま行っている”まちなかギャラリー”の小学生の絵です。
参加者の皆さんです。
☆昼食はシーズンが始まった蚊口浜”秋山商店”の牡蠣料理でした。
メニューは、牡蠣フライ、牡蠣の味噌ぬたあえ、牡蠣ご飯、焼き牡蠣、味噌汁、そして秋山さんのご好意によるお頭付きの刺身でした。
☆午後のコースはまず持田古墳でした。
高鍋は古墳時代から文化レベルの高い地域だったと言うことを、町外の方たちに強くアピールできる空間です。
持田古墳群からは、女性用の純金製靴を初め銅鏡など多くの貴重な副葬品が出土しています。
悲しいことに、そのほとんどは金目当てに盗掘され、いまは多くは関西地方の資産家のコレクションとなり、警察に捕まった分が県の博物館に収容され、高鍋には何も残っていません。
(この中で25号墳から出土し、広島県耕三寺に所蔵されている「変形四獣鏡」は国の重要文化財に指定されています。)
下の画像の左にある前方後円墳の「船塚」の樹下にあった石棺は、近年になって西都原資料館に”略奪”され、返却されません。
この内側にベンガラを塗られた石棺こそが、私の”再生シリーズ”の原点なので、悔しい限りです。
この盗掘された古墳の霊を祭るために岩岡保吉という男が私財を投げ打って八十八ヶ所の霊場を作ったのが、高鍋大師の始まりです。
高鍋大師の石像は何度か紹介しましたので、今回はお堂の中を紹介します。
高鍋大師が地域の方たちとのかかわりでどう出来上がっていったのか、貴重な写真が多数掲げてあります。
☆今回も密度の濃い散策の旅となりました。
昨日の強風も止み、いつもの穏やかな瀬戸内海が真っ青な空の下でキラキラと美しく輝いていました。
左に見える灯台のある島は”せかちゅう”に無人島の「夢島」として登場した稲毛島です。
素晴らしい景観に感動しながら走っていると、突如、要塞のようなお城のような建物の前に至りました。
直ぐに流政之氏のアトリエだとわかりました。
この場所は「太鼓の鼻」という景勝地で、アトリエの前はこんなに素晴らしい眺望が開けています。
さらに牟礼町の方に走って振り返ると、とても日本とは思えないような景色の中にアトリエはあります。
牟礼町へ戻って、石の民俗博物館の屋外作品を見ながら展望所へ登ると、最も美しく屋島の見渡せる場所との説明板がありました。
再び庵治へ戻り、うどんの”山”で高松最後の昼食を摂りました。
生醤油1玉、150円。醤油がとても美味しく、後味の良いうどんでした。
”山”からは、午前とは異なったルートで走り、志度湾へ出て、完成式の道の駅”源平の里 むれ”・房前公園へ向かいました。
帰路には、高速・高松自動車道からみる瀬戸内海の夕暮れのあまりにもの美しさに思わず叫んでしまったほど、本当に瀬戸内の美しさに囲まれた高松滞在でした。
☆昨日は午後から高松の完成式が行われました。
心配された強風も止み、空気は冷たかったものの、上天気で陽射しの強い穏やかな好条件となりました。
主催者の岡内・高松副市長のあいさつです。
文化に造詣の深い若い女性副市長でした。
審査にあたられた乾由明氏による審査講評がありました。
私の扉はこれまでの石彫に無い表現だと評価していただきました。
テープカットです。
招待作家・川島猛氏による作品解説です。
作品のタイトルは「門ーMUSE LOVE」
優秀賞作家・齋藤徹氏の作品解説。
作品タイトルは「天壌 ”循環2009”」
続いて奨励賞の私の作品解説。
作品は黒御影石では初めての拡大作品、「The door of the wind」
奨励賞作家・長沼克己氏の作品解説。
作品タイトルは「瀬戸の都(four-door)」
各作品のUP画像です。
全体の配置画像です。
☆私はこの後直ぐに高松を発ちました。
長い間お世話になりました。
高松トリエンナーレはこれからも永久に続く、と関係者のあいさつにありました。
起き抜けは上天気だったのですが、支所に着くころから大降りの雨になってしまいました。
支所で私のルーツ確認作業です。
私たちが聞いていたものとは違う人間関係があり、頭が混乱しましたが、いずれにせよ、私の血は確かに土成町がルーツだと言うことが確認できました。
午前は昨日に続いて霊場めぐりをしました。
☆まず上板町との境にある第7番十楽寺へ。
こんなもの作ったらダメですね。
☆さらに板野町の第6番安楽寺へ。
☆続いてひなびた山間部の山あいに開けた広大な第5番地蔵寺へ。
間違って背後の五百羅漢へ先に行ってしまいましたが、参拝者は誰も居ず、しかしとても重厚な趣のある古刹で、珍しく拝観料を取っていたので拝観しませんでしたが、ホテルへ帰ってネットで調べると、等身大の木造の五百羅漢像が並んでいるとのこと、次回は是非機会を得て拝観すべきと後悔しました。
こちらが地蔵寺本院。
と、本院の廊下に雨晒しの気になる赤い木造が。
何者なのかは、後述しますが、なんとも迫力があります。
☆さらに山奥に入ると、第4番大日寺がありました。
ここにも雨晒しの赤い木造が。
こういう由来の像でした。
取り立てて何も見るべきものは無いか、と思っていたら、回廊のガラスの中にこんなものが。
かなりしっかりした江戸時代明和年間の西国三十三観音像と言うことでした。
☆土成町へ戻って、吉本家のあったらしい地域を探してみましたが、土成は大字で、小字名がわからないので、どのあたりに先祖が居たのかはわかりません。
土成町は今でも中心街でも田畑が多く、藁葺きの家も多いほんとに長閑な雰囲気の田舎町です。
小さな町なのに素晴らしい古刹が散在し、とても精神文化的に豊かな環境です。
三木武夫元首相も土成出身なのです。
どうしてこんな素晴らしい土地から、高鍋へ移住したのでしょうか。
☆午後には高松へ帰りました。
寺竹石材にあいさつに出向き、「世界の中心で、愛をさけぶ」のロケで使われた雨平写真館のある”庵治交流館”へ足を伸ばしました。
交流館の中では庵治の秋祭りのダンジリなどを展示したお祭フェスタが開催されていました。
11月30日までなので、うまく行けば高鍋町のまちなか再生事業の視察でも立ち寄れるかもしれません。
☆今日は日本中が低気圧で荒れています。
庵治の城岬公園もものすごい強風で歩けないほどでした。
天気の好い一昨日は直島観光に当てましたが、昨日今日の2日間は、あらかじめ決めていた予定は徳島に居る長男を訪ねるのを兼ねて、私の曽祖父の出身地・香川県大内郡丹生を訪ねるのと、私の血流の直接的なルーツである曾祖母の出身地・徳島県土成町へのルーツ探しの旅だけです。
それだけだと1日あれば充分です。
考えあぐねた結果、四国霊場巡りをしながらのんびり徳島への小旅行をすることにしました。
高速は使わず、一般国道で徳島へ向かいました。
昨日は午前のうちに雨になってしまいましたので、画像が暗く写りが好くありません。
☆まず出発して直ぐの第86番志度寺へ。志度湾沿いのお寺で、向かいには私たちの彫刻の設置してある房前公園が見えます。
立派な五重塔や重要文化財の仁王門、作りの重厚な本殿等見事なお寺でした。
しかし、平成の改修中で、境内は無残なほど乱雑な有様でした。
隣のお寺には平賀源内の墓がありました。
☆次に第87番長尾寺へ。吉野山で義経と別れた静御前が得度したと伝えられています。
☆国道11号線へ戻り、いよいよさぬき市の大内丹生(にぶ)へ至りました。
平成の合併によってさぬき市になったので、電話帳をめくっても丹生の番地はありませんでした。
丹生駅や農協大内丹生支店の所在を確認して、ここいらが田中のルーツなのだろうと確認。
田中の祖先の墓はあるらしいです。
☆さらに走ると、田中家の家紋・三階松の由来となった三本松を過ぎ、いよいよ養子であった祖父の出身地である白鳥町へ至りました。(ここまでの道筋は2年前に家族で通りました)
白鳥町と言えば、吉野で亡くなった日本武尊の神霊が白鶴となってこの地に飛来したと言う由来の白鳥神社があります。
田中家の祖先たちも何度もこの白鳥神社に参拝したことでしょう。
参拝して拍手を打つと、田中家を継いだ私が還暦の歳にこうして白鳥神社へ参拝するのも何かの縁かな、と感じ、思わず、”ただいま帰ってきました”と口にしてしまいました。
☆白鳥町からは山越えの318号線へ入り、徳島県の土成町へ入りました。15,6分も走ると徳島県へ入ってしまいました。やはり白鳥町の隣町は土成町でした。
あいにく雨の強くなってきた午後ですが、土成町の雰囲気を知りたく、ここでも四国霊場巡りをしました。
☆まず第8番熊谷寺へ向かいました。
堂々とした多宝塔などとても重厚で趣きと気品のあるお寺です。
そしてもっとも見事なのは畠の中に立つ大きな仁王門です。
高速から見下ろす位置にあり、私にとって私の血流のふるさとである土成町のイメージはこの山門がシンボルとなっていました。
私はどうしてもこの山門は訪ねてみたいものでした。
☆次に田園風景の中にある第9番法輪寺へ向かいました。
88箇所中、唯一、涅槃像が本尊となっていて、5年に1度だけの開帳とされています。
☆最後に雨の激しくなって夕暮れのように暗くなった、山深い第10番切幡寺へ。
土砂降りの中を、長い長い急な石段を喘ぎながら登っていきます。
どうしても見たい国指定文化財の美しい二重の層塔があるのです。
どうしてこんな美しいものが、こんな片田舎の山中にあるのでしょう!
☆昨日訪れたお寺はどれも素晴らしいものでした。
これほどの素晴らしい寺社建築文化が点在する恐るべき四国よ。
そしてこれほど小さな片田舎の土成町に国の宝のような寺社建築文化が散在することの凄さ!
雨が激しくまだ午後半ばなのに薄暗くなってきたので、土成町観光の後半は翌日の今日に回すことにして、早めに徳島市の長男のマンションへ向かいました。
四国汽船フェリーで8時12分に高松港を出発し、直島の宮浦港へ向かいました。
宮浦港では草間彌生のかぼちゃが出迎えてくれます。
女の子たちに大人気です。
宮浦港からは町営バスで移動しますが、レンタル自転車で移動する人も多く、私は歩いて目的の本村地区まで30分ほどをのんびり歩きました。
不意に写真で見たことのある”はいしゃ”の前を通りかかりました。
建物自体が大竹伸朗の作品になっていて感心しました。
これが本村地区の家プロジェクトなのですね。
これは杉本博司の護王神社です。
ガラスの階段は地下の石室から伸びています。
☆家プロジェクトは作品なのでほとんど撮影禁止でほかの画像はありません。
でも居住する人のいなくなった優れた建物の再生法として、とても惹かれるものがありました。
さてこれからが今回私が直島の本村地区を訪れた最大の目的です。
家プロジェクトもそうですが、高鍋町のまちなか再生事業の一つのモデル事業として、のれんプロジェクトなどの事業の下調べが目的でした。
来月末にはまちなか再生事業でこの直島を私たちは訪れます。
護王神社の背後に高原城址があり、本村地区が立派な城下町であったことを知りました。
つまり城下町である高鍋町とも共通項があったのです。
これは統一した屋号表札や地番案内です。
そしてこれからが”のれんプロジェクト”です。
私は商店にかけられているのかと思っていましたら、ほとんどが一般の民家でした。
さらに統一された城下町の重厚な白壁、黒壁が、実はこのまちなみ再生のために多くが焼き板で再生されたまちなみだということもわかってきました。
☆午後はバスでベネッセ美術館へ移動しました。
ここでは安田侃の”天秘”が一番人気で、みんな作品の上に寝転がって四角く切り取られた青空を見あげていました。
ここも撮影禁止ですので、これからは周辺の画像です。
このジョージ・リッキーの風で動く作品の真下にはこんな空間がありました。
多くの人は存在に気がつきません。
地中美術館にあるウオルター・デ・マリアの作品のヴァージョンです。
この桟橋を振り返った山の上にベネッセ美術館はあります。
海の家”つつじ荘”へ海岸沿いに歩いて引き返すと、草間彌生の”南瓜”が見えてきます。
直島のシンボルでもある南瓜は、ここでも大人気です。
宮浦港へ帰るバスの中でも、幼い女の子が”かぼちゃ、かぼちゃ”と言い続けていました。
☆この後は宮浦港へ戻り、午後2時20分のフェリーで高松へ戻りました。
とても気持ちの良い楽しい充実した一日でした。
トラブルもなく無事に午前中に設置が終わりました。
工場での積み込み作業。作品は立てたまま運びます。
道の駅”源平の里 むれ”の”房前公園”にいよいよ本設置です。
無事に設置完了。
この後、扉部の最終仕上げ作業を済ませました。
☆昼過ぎにはすべての作業が終わり、工場の道具類も朝のうちにすべて片付けて車に積み込んだので、思いがけず午後がぽっかり空いてしまいました。
それで滞在中にまだ足を運んでいなかった牟礼町内のいくつかの場所へ足を運びました。
そのなかから2箇所を紹介します。
一つ目は源平合戦であまりにも有名な、那須与一が扇を射抜いたときに荒れる海の中の岩上で駒を止めたという岩。
今は川の中でいつもは水の中ですが、今日は潮が引いて居たので姿を現していました。
右の石が駒立岩。
奥の水門に扇を持った女官が描かれています。
昔はここらはまだ海だったのです。
そしてもう一箇所が五剣山の真下にある八栗寺。85番札所です。
いつもケーブルを見上げながら、まだ昇ったことがありませんでした。
これは大根の彫刻。なんでも八栗寺の祭神・歓喜天の大好物なのだそうです。
こういうものも気になります。扁額には明治22年とありました。
そのほか、高松市役所牟礼支所(高鍋町のまちなか再生事業で11月末に直島、高松、庵治・牟礼に視察に来ることが本決まりになったので資料さがし)と収蔵展開催中のストーンミュージアムへ足を運びました。