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昨日から韓国は冬時刻になりアシアナの出発時刻が午後4時から2時50分に変更になっていました。
前夜に申さんがネットで調べて変更に気付き、私も昨日の朝にネットで調べて確認しました。
チケットを手配した旅行代理店からは何の連絡も無く、あわや乗り遅れるところでした。
飛行機に乗って座席に着こうとすると”アンニョンハセヨ!”と元気よく声をかけてくる2人のおばさんが居ました。最初はスチュワーデスかと思いましたが普通のおばさんです。なんと義姉(妻の姉)とその友人でした。
韓国旅行中だというのは知っていましたが、もう一人の友人が大阪から来るので福岡経由で合流すると妻から聞いていたので本当にびっくりしました。しかも座席が私の隣だったので、これまたびっくりでした。友人とはインチョン空港で合流だったと言うことです。
義姉たちには今日から冬時刻だと言う連絡が旅行代理店から入ったと言うことです。
☆さて今日から茶臼原の”祈りの丘ギャラリー”でJanとSlavaの二人展が始まりました。
Janはまだ石を彫っていました。
日本とは思えない情景です。
教会の中は素敵な会場になっていました。結構な数の作品を作ったようです。
私はSlavaの目的がアートセラピーのレクチャーなので、そのデータも一緒に展示すべきだと思っていたのですが、Janに強固に拒否されてしまいました。Janは主旨を勘違いしているようです。
またSlavaが次から次に作品を作ってくるので、しかも焼成しにくいものばかりで、乾燥の時間も無く、作品も大きな窯いっぱいになり、唐木戸陶苑の甲斐夫妻には相当な負担をかけてしまったようです。Slavaは甲斐夫妻に時間的にも経済的にも大変な負担をかけているのだと言うことをしっかり認識してもらわなければなりません。
Slavaは”展示会がたった3日間なんてとても哀しい”とぼやいていますが、この滞在期間で展覧会まで持っていけた周りの多大な協力にまず感謝すべきでしょう。
「たまゆら」が写っています。
展覧会としてはとてもいい空間なのでしょう。
是非多くの方たちに見ていただきたい展覧会です。
今夜はささやかにオープニングパーティーの予定です。
☆HP日記のほうが滞っていて申し訳ありません。
毎晩深夜の帰部屋だったり相部屋だったりでブログが精一杯でした。
朝のうちは上天気でしたが次第に雲行きが怪しくなり、ソウルに着くころには小雨が降り始めました。
5回目の訪韓にして初めてのソウルです。
貸切バスでの移動でした。
お昼は仁寺洞のギャラリー地下の安東麺の店で。日本人の味にあったとても美味しい店でした。
ものすごい数のギャラリーがひしめく仁寺洞です。そして実に多くの人が各ギャラリーを巡り歩きます。
このギャラリーはINSAというアートセンターで5階建てのビルでみんなエレベーターと階段で移動します。各階にこのような大きな空間のギャラリーとこじんまりしたギャラリーがあります。
この個展は日本での発表の機会の多いHwang Yea-sookさん(女性)の陶オブジェ。
ご主人が金教授と友人だと言うことでした。
右の男性の頭の真上にぽっかりと「たまゆら」が・・・・
この個展はLee, chang soo氏の紙を使った作品。
金教授の大学の後輩と言うことでした。
ここでも挨拶を交わしている人たちの右下に小さな明るい「たまゆら」が。
今回の韓国滞在では見るべき彫刻作品には出会えませんでした。
その中でこの展覧会は人体を針金で巻いてリアルに表現すると言う驚異的な技法を使った作家の大きな個展でびっくりさせられました。
余りにもリアルなので、直接人体から型を取ってそれに針金を充てて行ったのではないかと思われるのですが、それだと型の中に入ってやらないと出来ない作業なので、どうして作るのか摩訶不思議でした。
金教授の話では韓国の超売れっ子作家だと言うことです。
ここでも「たまゆら」が写っていました。
右から3番目の方が作家です。中国の作家たちがとてもびっくりして一緒に写真を撮ってもらっていたところへ便乗しました。
すごく驚異的な作品なのですが、余りにも韓国人韓国人しているしファッション造型的なところも感じられて、彫刻作品としては私の心に残るものではなかったようです。
でもすごい作家には間違いないでしょう。
道筋にずらりと画廊が並びます。
新しいギャラリーも次々に出来ています。
これだけのギャラリーが林立する背景にはそれだけ美術作品が韓国では売れているということなのでしょう。
通訳の申さんの話では、清州市のアートスタジオのような行政による積極的な作家支援も、美術作品が売れるようになったことが行政の考え方を一変させることになった背景なのだそうです。
ただし、この日のソウルのギャラリーでの作品には、これといった作品にめぐり合えなかった気がします。
現代美術に詳しい田中教授の話では、ソウルのほとんどの現代アート作品が海外作家の模倣であり、彼等には社会を見る目がまったく欠如していると言われました。
それよりも清州のアートスタジオの作家たちの存在が本物で強烈で、田中教授は一昨夜はショックで眠れなかったと言うことでした。
田中教授は今日の沖縄便が早かったので、このままソウルに滞在し、中国の作家たちも数日のソウル観光のためソウルに残りました。
入れ替わりに吉岡まさみ氏が遅れてやって来られ、ソウルで合流しました。
ホテルには日本作家だけが帰ってきて、ロビーで軽く吉岡氏の歓迎のビールを泡立てました。
私たちは今朝のインチョン直行バスで清州を発ちます。
☆昨日24日の報告です。
山荘は雨上がりの素晴らしい爽やかな朝となりました。オンドルの暖かさが気持ちよかったです。
下山は前日とは異なった川沿いの道筋で、とても楽でした。これならハイキング客も気楽に立ち寄れます。
金教授、洪教授と一緒に。
門前村の入り口にある有名な伝説の松。その昔(15世紀)世祖王がこの松の下を通りかかったときに、松が自ら枝を上げて王様の邪魔にならないようにしました。王はそれでこの松に「正二品松」という位を与えたと言うことです。
国立公園(俗離山は国立公園)の管理事務所に乗馬クラブがありました。
スロバキアではMilanの乗馬クラブで馬に乗り損ねたので、この日は率先して乗せてもらいました。
王様になった気分でした。
トレーナーの女性は韓国の乗馬大会で2度優勝の経験のある方でした。
清州へ戻り、昼食は陣教授(下右)のアトリエの隣のレストランでした。
まかないのオバチャンが”あんた、どこかで会ったことがあるよね”と言いました。
山荘では金教授が親戚に私とそっくりな人が居ると言いました。
どこへ行っても私はこんなふうに言われます。
素晴らしい環境の陣教授のアトリエです。
陣教授はニューヨークに16年間滞在され、ネイチャー英語を話されるダンディーな作家です。
アトリエはものの見事にきちんと整理されていました。
高校の教科書に載っている作品がさりげなく壁に掛かっていました。
こんな素晴らしいアトリエで制作できるなんて・・・一同、感動しきりでした。
☆夜はホテルで「未来都市研究院」主催の晩餐会が開かれました。
中央の韓流スターのようなナイスガイは法人組織でスタジオを運営されている金先生。
彼等は清州市からの補助金でレジデンススタジオを運営されていて、韓国の作家だけではなく海外からの作家も受け入れておられます。今、日本からも2人の方が制作滞在されています。
金先生の行政による芸術文化活動への支援の話は、この夜にこれから起きる一大カルチャーショックの始まりでした。
☆晩餐会の後、金教授の建設中の制作スタジオと自宅を見に行きました。
体育館のような巨大なスタジオに圧倒されて私たちは立ちすくみました。
左がスタジオ、右が自宅兼金教授個人のアトリエ。
(この縮小画面ではわかりづらいですが、ここで予想だにしなかった「たまゆら」が写っています。
金教授の周りにも「たまゆら」が。金教授はこのスタジオを滞在創作アトリエとギャリーを併設した美術館組織にして学芸員を置き、清州の若い作家たちを育てたいということです。
金教授は韓国一の超売れっ子作家だそうです。
個人の作家がこれほどの経済力を持てる韓国の凄さ!
☆引き続いて清州市が運営しているアートスタジオを見学に行きました。
このアートスタジオは清州市近辺の作家に限って開放された滞在創作スタジオです。
短期滞在と1年の長期滞在があり、厳格な審査によって滞在を許可された作家たちには広いスタジオを貸し与えられ、アトリエには寝泊りできる施設が備えられ、24時間制作に没頭することが出来ます。
外観には「たまゆら」がかすかに写っていて、快適な空間であることを感じさせます。
施設の中には広いギャラリーもありここで創作の成果発表をすることになっています。
各作家はきちんとしたカタログを作っています。
各作家のスタジオを見学させてもらいました。
このスタジオはLee Eun Jeongさんのアトリエです。とても表現力のある作家の力量に驚きました。
各作家がしっかり自分のテーマを持っていてかなりレベルの高い技量を持った人たちばかりであるのに驚きました。
大学出たての新人作家のレベルの低いレジデンススタジオだろうという先入観を持っていた私と田中教授にはものすごいカウンターパンチでした。
このスタジオにはキュレーターが2名居ます。
話をお伺いすると、この創作スタジオの作家たちは、韓国の美術世界で常識である大学とのつながりは一切無く、滞在認可の審査陣も大学との密着を排して毎年入れ替わり、韓国国内ではなく海外での創作活動に力点を置いた作家構成になっているといいます。
しかもそれは清州市の方針なのだというのです。
日本では考えられない行政の美術活動への支援体制に私たちは度肝を抜かれてしまいました。
この創作スタジオから必ず韓国を代表する作家が出てきます。
しかもこうしたスタジオは清州市だけではなく韓国内の主要都市にあるというのです。
つまり韓国の行政の芸術活動への支援体制がまるで日本とは違うのです。
これでは日本の文化は滅びます。
そう強く実感した夜でした。
☆一昨日(23日)は清州(チョンジュ)の観光地・俗離山(ソンニサン)へ観光に行きました。
俗離山は今、紅葉の見事な絶好の観光シーズンで多くのハイキング客で賑わっていましたが、前日の雨がまだ残っているあいにくの天気でした。幸い俗離山に着くころには雨も上がりましたが、一日重い曇天が続きました。
俗離山には多くのお寺があります。
門前村で昼食を摂り、今日のメインの法住寺を観光しました。
この法住寺の五重の塔は韓国唯一の五重の塔だそうで、法隆寺のモデルになったとされるものです。しかし1592年の文禄の役の秀吉軍によって一帯の寺はすべて消失し、1626年に残った残骸を元に再建され、1968年に完全に復元されたと言うことです。
法住寺からさらに登って福泉寺という韓国でもっとも美味しい水が湧く禅寺へ行きました。
禅室では一人の僧が座禅を組んでいて、特別に見学させてもらいました。
こういうことはほとんど前例のないことだそうです。
☆この福泉寺の裏山を登って今夜の山荘へ行くといいます。地元の食品会社の社長と洪教授の案内で険しい細い獣道のような登山道を登っていきます。みんな余りの急峻な山道に息も絶え絶えで、こんな奥深い山奥に本当に山荘があるのでしょうか。
ようやくたどり着いた山荘にはなんとハイキングのお客が居て、営業しています。
こんな山奥に客の来る山荘が営業しているなんて・・・・・
韓流ドラマによく出てくるオンドルの山荘です。
夕食は外で摂りましたが、とても寒くてAsanでもらったジャンパーを着込みます。
この山荘手作りのトンドン酒が出てきました。
洪教授の話では、俗離山は韓国の丁度真ん中に位置し、韓国中の気の集まるところだと言います。
また田中睦冶教授も韓国の野菜が美味しいのは韓国の土地のエネルギーがよいからだ、となにやらネイチャースピリッツの話を始めました。
ひょっとして?と尋ねると、やはり田中教授も「たまゆら」の写る人でした。
首里城では田中教授に「たまゆら」が集まってきたそうです。
私たちは出会うべくして同室になったのだとわかりました。
それでそれほど気の集まっている場所なら、と期待してフラッシュを焚くのですが、意識してカメラを向けると「たまゆら」は写らないようです。
ようやく中国の作家たちが歌っている頭上にはっきりした五角形のような「たまゆら」が写りました。
森教授は明日の朝早くにインチョン空港へ発たなければなりません。恐怖のあまり顔をこわばらせて、この山を降りていきました。
入れ替わりに金教授が元気に肉を持ってやってきました。
一段落して山荘のなかで、今後の3国交流展の展開に仕方について真剣な論議が続きました。
昨日は「東亜細亜3国現代美術家展ー清州2008」の搬入展示作業でした。
会場は大清湖湖畔に立つ大清湖美術館。
湖に沿った山並みには美術館をはじめ、韓国の民族村を再現した公園になっていて、非常によく手入れされた清冽な空気の漂う素晴らしいロケーションでした。
みんな展示作業はそっちのけにして観光してまわりました。
突き当りが大清湖美術館。配置された彫刻は地元の作家たちの作品で、感心した作品は余りありませんでした。
☆韓国の作家たちはみんな大学教授ですので搬入には多くの学生さんたちが手伝ってくれました。
☆この展覧会は忠北芸総創立50周年記念行事の一つとして開催されます。
夜は文化会館でそのセレモニーが行われ参加しました。
いきなり広島・長崎原爆投下による日本の敗戦によって韓国の独立が始まったと言うショッキングな映像スクリーンによって度肝を抜かれました。その中から忠北芸総の歩みが始まったと言う流れの紹介だったのですが、金在寛教授も私たちも冷や汗ものでした。(これが韓国の対日教育なのだと実感)
しかし記念セレモニーの舞台はとても素晴らしいものでした。
素晴らしい演奏、美しい舞子たちに「たまゆら」も出っ放しです。
チマチョゴリをこれまで美しいと思ったことはありませんが、今夜のバレーダンサーによる舞踊はその美しさを見直す見事なものでした。
観客からも興奮の余り待ちきれずに拍手や叫びが起こりました。
大きな「たまゆら」が出ていますね。
☆式典を途中で抜け出して金教授の教え子の店でようやくビールで乾杯でした。
長崎の[ima]展にも招待出品されたことのある作家のカラオケに合わせてのパフォーマンス。音楽が自然に血管の中に入ってきて体が動くのだそうです。
この宴会では彼女の回りだけ「たまゆら」が出ていました。
☆再びの韓国です。
今日は宮崎からの直行便が無いので福岡まで飛び、福岡で長崎大学の井川教授夫妻、沖縄県立芸術大学の田中睦冶教授と合流してソウルへ入りました。
今回は私のブロンズは個展リーフレットを持っていったので開梱されることはありませんでしたが、台座の重い石を持って行ったので、国内線、国際線ともに超過料金を取られました。EMSで送ることを考えると10分の一ですのでいたし方ありません。
インチョン空港では今回の実行委員長の金教授他が出迎えてくださり、先に着いていた中国作家5名とともに貸し切りバスで清州へ向かいました。
午後2時にインチョンを出発し、清州へ着いたのは5時半でした。
今日の韓国はとても暖かいです。
ホテルはこの清州で一番上等のラマダホテル。
私は田中睦冶教授と相部屋になりました。
このホテルは地下1階、2階が一大ショッピングモールになっています。
夕食はなんとその地下のセルフレストランでアルコールなし、というそっけなさ。
明晩はビアバーとなっているので、明日は飲めるのでしょう。
途中の高速パーキングエリア
えっ、韓国でこんなそっけない接待?!
☆しばらく「たまゆら」は避けようと思ったのですが・・・・・
一体いつから「たまゆら」が写るようになったのか辿っていきました。
そうしたらすでの個展の時のオープニングパーティー、初日の会場、講演会会場に「たまゆら」が写っています。
ということは・・・・・Slavaの影響ではない、と言うことになります。
さらに、名寄の真昼間の雪像の背後に黒い「たまゆら」がいくつも・・・・
もっと手繰って行ったら・・・なんと昨年の台湾・花蓮の歓迎会や開会式でもうかなりはっきりとした「たまゆら」が写っているではないですか。
まるでバレーダンサーたちの妖精と本物の妖精(たまゆら)との競演です。
日中は明日からの不在中の段取り等で多忙にすごし、ようやく夜になって大原館へSicko夫妻を訪ねることが出来ました。
私が26日まで不在ですし、27日からは教会で展覧会なのでそれまでの打ち合わせをしっかりしておかなければなりません。
丁度私が訪ねた時分は、Slavaがお世話になっている児嶋理事長や調律師の太田さんたちへスロヴァキアの料理を振舞って宴会が始まっているところでした。そして私や唐木戸陶苑の甲斐氏にも呼び出しが掛かっているところでした。
私は明日が早いのでお酒は飲まずに付き合い、27日までの段取りは今夜の皆さんにすべて丸投げでお願いしなければなりませんので、詳細な打ち合わせを行いました。
本当に皆さんは親切な方ばかりです。
Sicko夫妻もこれほど好くしていただいて感激でしょう。
”どうしてこんな一ヶ月と言う中途半端な期間ではなくて、1年間滞在しないのですか?きちんと日本語をマスターしてもう一度来なさい!”とSlavaは児嶋理事長にはっぱをかけられています。
Slavaは今日、買出しに理事長の奥さんと宮崎市のイオンへ出かけ、幼児用の50音のお遊びカードを買ってきていて、これで勉強するんだとみんなの大笑いを誘っていました。
子供たちも教会へ遊びに来ています。
☆今日の午前に近くの「のゆり保育園」で4年前に引き続いて園児たちへの粘土によるアートセラピーを行いました。
自己紹介は英語で。「のゆり」の子供たちはみんな英語で自分の名前が言えます。
Slavaは粘土を使って園児たちと心のキャッチボールを行っていきます。
みんなでハートの輪を作っていきます。
園児たちから”もう一度やりたい!”との熱烈なアンコールを受けて、23日に今度はピクチャーでのアートセラピーを行うことになりました。
昼食を園児たちと一緒に摂らせていただきました。
高校生相手のアートセラピーも是非実現させたくて、高鍋高校の谷口先生にもレクチャーを見学していただきました。
英語堪能な保育士の稲村君の通訳を通じて打診の結果、谷口先生の授業の中でのアートセラピー授業が実現できることになりました。
そしてSlavaがこの友愛社の地に特別なものを感じて(彼女の表現によれば心が磁石で引きつけられるように)、引き寄せられるように再度やってきたこと、この地はとてもスピリッチュアルな特別な場所で、石井十次もここに引き寄せられ、今も多くの人がこの地に引き寄せられて来るのでしょう、という説明に園長先生はとても大感激されました。
”それじゃあ、稲村君が10月1日付けでここに来たのも、Slavaさんたちのために来たということですね。”
きっとそうでしょう。
まさかこの明るいアートセラピーの会場の武道場で「たまゆら」が写るとは思いもしませんでしたが、稲村君のそばにくっきりと「たまゆら」が写っています。
(ここしばらく「たまゆら」騒動が続いてそれが日常になってきたので、当分は”すごい!”という画像以外は控えます。月曜からまた韓国なので、平常心が保てるか心配ではありますが。)
☆無事に帰国しました。
しかし宮崎空港の税関で荷物検査に引っかかり荷物を開けさせられました。先日のSicko夫妻と一緒です。
結局、私が最後の税関通過者となり、午後1時からの高校美術部会の教材研究授業の開始時間には間に合わなくなりました。
その旨担当の先生へ連絡し、何とか少し遅れの会場入りでレクチャーを始めることが出来ました。
高校の美術の先生たちへの立体造型の教材研究で、私は発泡スチロールを素材に選びました。
授業の中で、生徒たちにどう立体表現への導入・展開をしていくか、がテーマです。
石や木をいきなり彫らせるのもなかなか大変だし、発泡スチロールでの造型から様々な展開の仕方を考えていけば使ってみる価値のある素材です。
先生たちはこうした体験は初めてで、私が危惧した不安を打ち消すように、一所懸命に楽しんでやってもらえました。
あくまでも形を作って終わりではなく、どういう展開で立体に取り組ませるか、そして形になったものをどう先の展開に持っていくか、で取り組む楽しさが変わってきます。そのことをある程度伝えることが出来て、教材研究授業は成功したのではと思います。
ちなみに、私の作った参考作品です。
☆高校を出て、帰宅し荷物を片付けて友愛社へ向かいました。
Sicko夫妻は夕暮れてもまだ教会で作業をしていました。
なかなかよいはかどり方でした。
私の不在中は周囲の皆さんにとてもよくしてもらって、快適な毎日だったと言うことです。
大原館へ戻って、韓国での「たまゆら」の画像を見せました。
Slavaは自分のデジカメでも撮りたい、と言います。Slavaは私に自分のカメラのシャッターを切ってくれといいます。しかし教会や泉や大原館でも今日はたまゆらは現れなかったので、今日は無理だと言いました。
夫妻はSlavaのPCのトッポチアンキーの画像をチェックし始めました。
そうしたら、なんとあの忘れがたい一夜となった自然保護区でのパーティー画像にすごい数の「たまゆら」が写っているのです。それどころか、それ以前の古い家の中ですでに「たまゆら」が写っているし、先のMosanシンポジウムの画像にも「たまゆら」が写っているのです。
そして彼等がこの大原館で撮った写真にもいくつかの「たまゆら」が確認できます。
なんと言うことは無い、Slavaはすでに早くから「たまゆら」を写すことが出来ていたのです。本人はまったくそのことに気が付かなかっただけの話なのです。
私はSlavaの感度に影響されただけなのですね。
それからこの丸いのが「たまゆら」だと教えてくださった方も以前から「たまゆら」が写る人で、私はこの2人から影響をうけただけなのでしょう。
今日は友愛社でのフラッシュ画像には何も写らなかったので、今日の大原館はエネルギーが沈下してるのだと思いましたが、こうしてPCに取り入れてみるとそうではないのです。
この画像のSlavaの左手に「たまゆら」が写っていますし、庭にもかなりの「たまゆら」が写っていました。薄いのでデジカメのモニター画面では気が付かなかっただけなのです。
それで私自身も実は以前からそうと知らずに、「たまゆら」が写りこんでいたのではないか、とスロバキア滞在を限定してチェックしてみました。
そうしたらやはり「たまゆら」のことをまったく知らない時期だったので気がつかなかっただけで、色んなところにすでに写っているではないですか。
自然保護区でのパーティーはもちろん、石材店での台座石切削の場面、ホテルのレストラン、挙句には尾てい骨を痛めて最悪の状態だったMilenのサマーハウスでのHaideの周りなど・・・・
私はスロバキアへ行ったときから徐々に「たまゆら」が写るようになっていたのです。