彫刻家・田中等の日々雑感・最新情報
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☆今日も時折りにわか雨が降ったり遠雷のする不安定な気候でした。
特に午前中は、しばしば小雨が降りましたが、アンジェラスの森は樹木である程度の小雨はさえぎられて、制作には大きな支障はありませんでした。
今日も蒸し暑かったので、工場扇は外せませんでしたが、お昼に帰宅すると、平地の何と陽射しが強くて馬鹿暑いこと!
あらためてアンジェラスの森の涼しさを感じました。
☆お昼からはネットで甲子園の決勝戦を見ました。
残念な結果でしたが、凄まじい死闘でしたね。
ここまで良くやってくれました。
真紅の優勝旗は宮崎県にはいただけませんでしたが、この夏は宮崎県の皆さんに大きな夢と勇気を与えてくれた延岡学園だったと思います。
特に午前中は、しばしば小雨が降りましたが、アンジェラスの森は樹木である程度の小雨はさえぎられて、制作には大きな支障はありませんでした。
今日も蒸し暑かったので、工場扇は外せませんでしたが、お昼に帰宅すると、平地の何と陽射しが強くて馬鹿暑いこと!
あらためてアンジェラスの森の涼しさを感じました。
☆お昼からはネットで甲子園の決勝戦を見ました。
残念な結果でしたが、凄まじい死闘でしたね。
ここまで良くやってくれました。
真紅の優勝旗は宮崎県にはいただけませんでしたが、この夏は宮崎県の皆さんに大きな夢と勇気を与えてくれた延岡学園だったと思います。
☆神社の修築記念碑のサンドブラスト作業は午前の半ばまでかかりました。
ゴムを剥がしてみると・・・・、字彫り室から出す前に何度も彫りが浅いところをチェックしてやり直しをしたはずなのに、サンドの出が悪かった前半の部分は最低最悪の作業。
サンドブラストの吹き出しが順調だった後半の部分は、とても綺麗に上がりましたが・・・・
前半の仕事のでたらめさは、この写真でもはっきりわかってしまいますね。
文字に色を入れて表面の完成です。
表面の文字の塗料が乾くのを待って、夕刻に裏返して、裏面の文字原稿を貼り付けました。
☆今日は、この神社記念碑を最後に切削した門型ノコが引き取られていきました。
☆神社記念碑の表面の文字塗料を乾かしている間に、アンジェラスの森へ走って残っている道具を少し持ち帰り、作業場移転候補の小丸川堤防下の土地のリサーチに行きました。
土地に隣接している高校同窓のG君が在宅だったので、事情を話しました。
ところが、彼の説明では、私が使えそうだと思っていた部分は土地を使ってもよいと申し出てくださった方とは別の方の土地で、本来の土地は西寄りの土地で、すぐ近くに住宅が接近していることがわかりました。
また10号線からの進入口も、隣の土地の方の個人の進入路であり、正規の道路は小路で4トン車以上は進入できないということも判りました。
つまり、住宅への騒音はもっと大きな問題となりますし、何よりも大型トラックが入らないのでは使い物になりません。
したがって、この600坪の土地は使えない、という結論に至りました。
そうなると、私は何処にも行き場がなくなりました。
石も、リフトもコンプレーサーも持って行くところがありません。
初めて頭の中に、”石彫家廃業”という言葉が立ち上がって来ました。
今、まさに私は作業場を失って、石彫家としての環境を失ってしまう瀬戸際に立たされています。
ゴムを剥がしてみると・・・・、字彫り室から出す前に何度も彫りが浅いところをチェックしてやり直しをしたはずなのに、サンドの出が悪かった前半の部分は最低最悪の作業。
サンドブラストの吹き出しが順調だった後半の部分は、とても綺麗に上がりましたが・・・・
前半の仕事のでたらめさは、この写真でもはっきりわかってしまいますね。
文字に色を入れて表面の完成です。
表面の文字の塗料が乾くのを待って、夕刻に裏返して、裏面の文字原稿を貼り付けました。
☆今日は、この神社記念碑を最後に切削した門型ノコが引き取られていきました。
☆神社記念碑の表面の文字塗料を乾かしている間に、アンジェラスの森へ走って残っている道具を少し持ち帰り、作業場移転候補の小丸川堤防下の土地のリサーチに行きました。
土地に隣接している高校同窓のG君が在宅だったので、事情を話しました。
ところが、彼の説明では、私が使えそうだと思っていた部分は土地を使ってもよいと申し出てくださった方とは別の方の土地で、本来の土地は西寄りの土地で、すぐ近くに住宅が接近していることがわかりました。
また10号線からの進入口も、隣の土地の方の個人の進入路であり、正規の道路は小路で4トン車以上は進入できないということも判りました。
つまり、住宅への騒音はもっと大きな問題となりますし、何よりも大型トラックが入らないのでは使い物になりません。
したがって、この600坪の土地は使えない、という結論に至りました。
そうなると、私は何処にも行き場がなくなりました。
石も、リフトもコンプレーサーも持って行くところがありません。
初めて頭の中に、”石彫家廃業”という言葉が立ち上がって来ました。
今、まさに私は作業場を失って、石彫家としての環境を失ってしまう瀬戸際に立たされています。
☆石材店の兄の自宅に建ててあった石の看板が破棄されました。
看板の破棄は、まさに事業所の消滅をシンボライズするもの。
胸が痛みます。
☆今日から火産霊神社修築記念碑のサンドブラスト(文字彫り)作業にかかりました。
直筆原稿の文字配列が窮屈だったので、切り離してレイアウトしてゴム板に張り付けました。
ゴムの文字切り抜き作業は、夕刻までかかっても半分弱しか進みませんでした。
明日は空港展の搬入、明後日は空港展初日で作業はできません。
この調子では記念碑の表裏二面のサンドブラスト作業が終わるのは来週の半ばになります。
そうなると、来週中に新しい作業場の移転先を決めて、重量物の移動にかかることはほぼ不可能となります。
まったく耐え難い思いです。
看板の破棄は、まさに事業所の消滅をシンボライズするもの。
胸が痛みます。
☆今日から火産霊神社修築記念碑のサンドブラスト(文字彫り)作業にかかりました。
直筆原稿の文字配列が窮屈だったので、切り離してレイアウトしてゴム板に張り付けました。
ゴムの文字切り抜き作業は、夕刻までかかっても半分弱しか進みませんでした。
明日は空港展の搬入、明後日は空港展初日で作業はできません。
この調子では記念碑の表裏二面のサンドブラスト作業が終わるのは来週の半ばになります。
そうなると、来週中に新しい作業場の移転先を決めて、重量物の移動にかかることはほぼ不可能となります。
まったく耐え難い思いです。
☆作業場をどうするか、思案の毎日ですが、ここにきて石材店工場で最後の大口径切削作業をすることになりました。
修築工事もほぼ終わる火産霊神社の修築記念碑を作らなければ成らなくなりました。
道具はもうまったく石材店工場には残っていません。
工場の設備も半分は譲渡先に引き取られていきました。
数日遅れたら何もできなかったでしょう。
研磨機などが引き取られてがらんとした工場です。
☆気が滅入りがちな毎日ですが、夕刻に吉報が入りました。
中国・Wuhuの最終選考に残りました。
これで私の作品が中国に建ちます。
4メートル高の巨大な作品です。
実制作完成後の展覧会で賞が決まります。
制作するのは中国の職人ですが、私たち作家は作業指導と、展覧会のオープニング(表彰式)にWuhuへ行かなければなりません。
http://www.csin.org.cn/News.Detail.asp?ID=901
修築工事もほぼ終わる火産霊神社の修築記念碑を作らなければ成らなくなりました。
道具はもうまったく石材店工場には残っていません。
工場の設備も半分は譲渡先に引き取られていきました。
数日遅れたら何もできなかったでしょう。
研磨機などが引き取られてがらんとした工場です。
☆気が滅入りがちな毎日ですが、夕刻に吉報が入りました。
中国・Wuhuの最終選考に残りました。
これで私の作品が中国に建ちます。
4メートル高の巨大な作品です。
実制作完成後の展覧会で賞が決まります。
制作するのは中国の職人ですが、私たち作家は作業指導と、展覧会のオープニング(表彰式)にWuhuへ行かなければなりません。
http://www.csin.org.cn/News.Detail.asp?ID=901