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☆昨日は、昨年4月に亡くなった元読売巨人軍コーチ・故木村拓也氏の顕彰碑の設置と除幕式が、母校の宮崎南高校で行われました。
設置場所の事情で(耐震工事で13日まで入れなかった)、除幕式の当日に設置と言う異例の事態となりました。しかも、屋内設置で設置場所まで2箇所の段差があり、大変でした。
☆午後1時までには無事に設置が終わり、いったん高鍋町へ戻りレンタルのトラックを返却したりして慌しく午後4時半の除幕式に駆けつけました。
流石にすごい数の報道陣です。
私の斜め前は巨人軍の谷選手と内海選手でした。
谷選手、内海選手と故木村拓也氏の奥さんと子どもたちです。
レリーフの前に子供さんたちが並ぶとそっくりだったので、制作者の私はほっとしました。
引き続き、落成祝賀会が開かれました。
挨拶される読売巨人軍取締役球団代表・清武秀利氏(宮崎南高校OB)。
顕彰碑の”一生懸命”は清武氏の揮毫です。
挨拶される由美子夫人。
挨拶の中で、”レリーフを見た途端に、次男が「あっ、パパだ!」と言いました。”と紹介されたことが、制作者の私にとっても設置関係者にとっても最も嬉しいことでした。
よい仕事をさせていただき、ありがとうございました。
☆今日の朝刊から。
宮崎日日新聞 「歩廊」
スポーツニッポンです。
読売新聞です。
他の新聞にも使われたのが、次男君がレリーフの顔をなでる写真でした。
(ネット スポーツニッポン)
☆昨日の報告です。
バーレンの作品は午前に仕上げを終え、午後に画像を撮ってデータを作成し、ギャラリーへ送付しました。
テーマは
"A bird is born from the egg.
However, an egg is born from the bird."
タイトルも同じにしました。
アラブ圏の人たちにこの暗喩が理解してもらえるか心配しましたが、ギャラリーからは
"I love it"
と返事が返ってきました。
☆夜にまちなか商業活性化協議会の三役会とあかりプロジェクトチームの会合が開かれました。
私の方から、あかりモニュメント公開制作の応募状況を報告しました。
各作家ごとの顔写真、コンセプト、プラン図等の資料を作成していますので、どのような作家たちがどのようなプランで応募してきているのかを見てもらうことが出来ました。
会後に居酒屋”ひょうすん坊”で会食をしましたが、そこで次のようなものが出てきました。
竹の皮を開くと、牛、豚、鳥の3種類のおこわが入っています。
名づけて”もーぶーこっこ”です。
口蹄疫後の復興と地場産品の振興を願って、地元の食材で地元発信の特色ある食品を全国に売り出そうということで、試作を重ねてきたものだそうです。
販売するときには各おこわのしきりに青竹の皮を入れるそうです。
たっぷり満腹になります。
価格設定は800円前後を考えているようです。
今月9、10日に開催される灯籠祭で試作販売の予定だそうです。
また昨夜はサプライズが用意されていて、協議会会長とあかりプロジェクト副キャプテンの誕生祝が行われました。
私たちは”もーぶーこっこ”のおこわとケーキで満腹になってしまいました。
☆今日は午前に高松市牟礼町の石あかりが届きます。
今日のうちに各商店店舗にあかりオブジェを設置します。
朝一番に荷造りの続きとYap事務所へ渡す設置図面を作成し、午前7時半に2ヵ月半もの長い間滞在したホテルをチェックアウトしました。
そのままKintaly大理石へ向かいました。
☆昨夕移動した作品です。
ここでマレーシアで初めて蚊に刺されました。
☆2作目本体の仕上げはNasimがちゃんとやってくれていました。4時間かかったということでした。
Nasimは来年にはバングラデシュへ帰るそうですので、もう会えないでしょう。
右がChakra、左がNasimです。二人ともよく色々と手助けをしてくれました。
近くの商店街まで車で送ってあげた青年。一番最初に名前を聞いた従業員でしたが、車の中で聞いたのですぐに忘れてしまいました。
☆完成した2作目です。
☆そして2作目も外に出しましたが、このころから雨となり、次第に土砂降り状態となりました。
☆”設置に来たら飲みに行こう!”と工場長のエリック。
設置はイポーの業者がしますので、私がまた来ることはありません。
作品が完成したら一緒に飲みに行くぞ!とエリックと約束していたのですが、ここ数日はそれどころではありませんので、約束が果たせなかったのです。
実は報告していませんでしたが(エリックから硬く口止めされていましたので)、7月27日に風邪で体調が最も悪くお昼も食べれなかった夜に、私とエリックはジャスコ近くのスナックに飲みに行ったのです。
そこで彼は私の誕生会をしてくれたのです。
スナックの従業員全員が私のためにハッピーバースデーを歌ってくれました。
それ以来、エリックからは会うたびに”また飲みに行こう!”と誘われ続けていました。
エリックには本当によくしてもらいました。
呂社長の昨日の厳しさは私もよく理解できます。
昨日までよく我慢してくださったと感謝します。
☆土砂降りの中をみんなにあいさつしてKintalyを後にしました。
その足でYap事務所へ行き、クリスティーナに設置図面を渡し、職員にバスターミナルまで送ってもらいました。
雨は次第に激しくなり、雨の中のイポー発ちとなりました。
☆バスは座席のゆったりした高速バスで一番前の席でしたが、出発直前になって、私のチケットが昨日の日付になっていてこのままではお前はこのバスに乗れないと運転手に言われ、慌ててバス会社の窓口へ行って日付を書き換えてもらうハプニングもありました。
☆11時45分にイポーを発ち、中山氏からは所要時間2時間と聞いていましたが、一向にペナンへ着く気配がありません。
ペナンのギャラリーのSoo Kauからは頻繁に電話が入ります。
結局、土砂降りのもの凄く寒い風の吹き荒れるバスターミナルへ着いたのは3時間後の午後3時過ぎでした。
☆バスターミナルへ迎えに来てくれたSoo Kauの機嫌がよくありません。
今から銀行へ行ってお金を振り込まねばならないのに、銀行は3時半までで、もう時間が無い、どうしてお前は朝一番のバスに乗らなかったのだ!
Soo Kauが頻繁に電話してきた理由がわかりましたが、私はお金は振込みではなく現金で手渡すと連絡を受けていましたし、今朝はKintalyでの作品移動とYap事務所との打ち合わせでこのバスにしか乗れなかった旨を説明しました。
なんとかぎりぎりセーフで銀行へ着きましたが、営業時間は4時半までとわかり余裕を持って振込み送金の手続きをすることが出来ました。
☆その後簡単な遅い昼食を摂り、私の手持ちのマレーシアRMを両替商で日本円に両替し、Soo Kauのギャラリーへ立ち寄り、そのまま空港へという実に慌しい午後となりました。
☆Soo Kauのギャラリーです。
☆空港ではチェックインで半ば予想していたトラブルが起きました。
預け荷物が28kgで3kgの重量オーバーとなり、超過料金204RM(約5500円)を徴収されました。
こちらで買ったBOSCHをキャリーケースに入れたので重量オーバーだろうとは思っていましたが、日本を出るときは23kgだったので、5kgも荷物が増えているとは意外でした。
両替商で両替したときに土産物代のほかに余裕を持ってマレーシアRMを多めに残していて正解でした。
☆予定通りに21時15分にペナン国際空港を発ち、乗り継ぎのシンガポール・チャンギ空港へ22時40分着。
福岡への出発ゲートである第3ターミナルへ移動しました。
☆作品を設置せずに帰るのはやはりとても心残りです。
再びイポーを訪れて設置されたYapさん宅の作品を見ることがあるのでしょうか。
☆今日も昼前に曇った以外はほぼ晴天の一日でした。
夜は少し蒸し暑かったです。
☆本体は立てないままで帰りますので、立ったらどんな感じになるのか・・・・気になります。
そこで朝一番に上から写真を撮ってみました。
☆今日でマレーシア最後の制作となりました。どこまで出来るのか、が今日の前半の大きな鍵です。場合によっては帰国日の変更も頭に入れながら切削してもらった台座の修正作業を進めました。
思いのほか昼過ぎまでに水平出しと平行四辺形になっていた側面の台形出しが終わりました。
☆本体のペーパーでの最終仕上げはNasimにやってもらうことにしました。エリックとも打ち合わせて、職人に任せることでしのぐことにしました。
それで予定通りに明日にペナンを発つことにして、昼食後にバスターミナルへ行き、明日の11時45分のペナン行きバスの予約をしました
☆予定通りに3時までには切削台座の仕上げも終わり、道具の片付けに入りました。
丁度、呂社長と会いましたので、今日で作品が完成して明日に日本に帰ること、長い間お世話になりました、とあいさつをしようとしましたら、社長の顔色がとても厳しいのです。
(詳しくはHP日記へ)
やはり私の感じていた通り、呂社長は私の長居が厭でたまらなかったのです。
明日で帰国の判断は間違っていなかったようです。
☆そこで道具の片付けは後回しにして、作業場の整理を始めました。
呂社長の剣幕に立ち会っていましたAslamが気を利かして、制作過程で出た石(ペナンへ持っていく)の片付けと仕上げの残っている2作目本体以外の作品の外への移動作業を始めてくれました。
その作業の過程で移動した2作目本体の画像です。
☆結局、これらの片づけが済み、道具の片付けも済んで石材店を出たのはもう7時半でした。Nasimはシャワーを浴びた体で、私の作品の仕上げ作業にかかってくれました。
かくして、なんとかイポー最後の夜を迎えることが出来ました。
☆作業の前半はルートハンマーでクラックが落ちてしまった台座の修復作業を進めました。セメントを丁寧に取り除いて接着剤を埋めていく作業です。
同時に、奥行きが予定より狭くなったので前面をルートハンマーで落とすことが出来ず、前面をハツって仕上げることにしました。想定外のとても手間のかかる作業です。
これらの作業が午後半ばまでかかってしまいました。なんとか見れるようになったと思います。
セメントも結果的には隙間の奥まで入ってくれたのでよかったのではないかと思います。
本体の整形作業の残りにかかったのはもう午後後半になり、それからようやく80#のディスク砥石掛けにかかれました。表側は表面積が広いので、なかなか根気の要る作業で、終わったのはもう午後7時半過ぎでした。
☆そこへNasimが電灯を用意してくれてペーパー仕上げを少しやりましたが、とうとう今日中には本体の作業は終わりませんでした。
☆さらにもう一つの切削した台座も全くレベルが出ておらず、形も平行四辺形になっています。(Aslamが指示して従業員が切削)しかも切削機の上での石の返しにリフトを使ったらしく、全面にリフトの爪の突き傷と角欠け状態で、泣きたいほどの無残な姿なのです。これを全部修正していたのでは2日はかかります。明日の午後3時くらいにはすべての作業を終えて片付けや設置図面作成をしなければならないのに・・・・・完全に赤信号です
果たして15日に帰国できるのでしょうか。