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☆昨夜は都城市へ移転した南九州大学本館ホールで開催された佐藤達男さんのギターコンサートへ行ってきました。
佐藤さんのことと何故南九州大学でという由来については、私のHP日記(11月9日)に書いたのでここでは省略します。
高鍋町からは高鍋町美術館長の兄夫妻と佐々木美術との4人で出かけました。
佐藤さんを招待された人間発達学部子ども教育学科教授の古賀隆一氏(自由美術協会・木彫彫刻家)にもお会いして、空港展の今年のカタログと20周年記念誌をお渡ししました。
やはり佐藤さんはあの夢のように美しかった茶臼原の教会での演奏のことを思い出されて言葉に詰まって泣かれました。
佐藤さんのギターは本当に一音一音が心の奥に美しく哀しく響いてきます。
私も一人深夜に佐藤さんの演奏が脳裏に甦って号泣したことを思い出しました。
まさかこんなところで佐藤さんに再会するとは、お互いに考えもしないことでした。
佐藤さんを紹介される古賀教授。
佐藤さんとツーショット。
(こちらからもどうぞ アートがあっと!)
☆ところが再会話はこれでは終わらなかったのです。
今日の午前に兄から電話があり、開催中の兄の個展に佐藤さんが来られるというのです。
やがて古賀教授夫妻と一緒に佐藤さんが見えられ、思いがけずに兄の個展会場で、そして1年半ぶりの高鍋町でのミニコンサートとなったのです。
☆佐藤さんと私との不思議な縁は、昨年秋のあさご芸術の森大賞展授賞式のときの芸術の森美術館館長と佐藤さんが長年の親しい友人であったという驚きや、何か目に見えないところでの響きあいを感じたりしています。
そこへあらたに古賀教授と高鍋町との深い縁が判明しました。
古賀氏が高鍋町を訪れたのは昨年春に、まだ高鍋町に事務局があった南九州大学との打ち合わせに来られてから2度目ということです。
ところが実は古賀氏のお父さんが戦時中に高鍋へ作業要員として派遣されていて、高鍋で終戦を迎えられ、古賀氏はずーっとご両親から高鍋への思いを聞いて育ったので、古賀氏にとって高鍋という町は特別の思いがあり、南九州大学の話があったときはとても驚かれたのだということです。
古賀氏と佐藤さんとは30年来の友人だということですが、こうして私たちが今日出会ったのは私たちが生まれる以前からの糸でつながれていたのだと感じてしまいます。
本当に人のつながりは不思議ですね。
つまりその間ずっと水漏れがソーラーパネルの下を流れ続け、先日の土曜日の大雨のときからとうとう部屋の天井から雨漏りが始まってしまいました。
バケツを3つも並べてしのぐ有様でした。
天日パネルの修理が終わってから、ソーラーパネルの補修にかかってもらいました。
直接屋根に穴をあけてパネルを留めているわけでは無いのですが、コーキングの隙間から毛細管現象で水が上がっていったようです。
家を建てて初めて屋根に上り、我が家のソーラーパネルの様子を知りました。
昨年から太陽光発電の買い取り料金が高くなったのと、今年は春から妻と二人の生活、しかもこの夏はクーラーが壊れて使えなかったので、この夏は使用電気量の倍以上の太陽光発電の買取額となりました。
ようやくソーラーパネルの効果が出てくるようになりました。
みんなからとても痩せたと言われますし、実際痩せました。
今日、体重計に乗ったらマレーシア滞在中に6KGは痩せています。
やはり食生活が大きな原因だと思います。
マレーシア滞在中はすこぶる健全な食生活だったと言うことです。
☆昨夜は中秋の名月、今夜が満月です。
マレーシアでは日本のように澄み渡った月夜はありませんが、今頃は月餅を食べて爆竹を鳴らして満月を祝っていることでしょう。
今日は夜中から強い雨が降り、日中も不安定な天気でしたが、夜になって雲も切れ、美しい満月を見ることが出来ました。
フラッシュを焚かずに撮ったら、満月の右側に不思議な丸いものが2つ。フラッシュを焚いたら何かに反射することもありますが、これはフラッシュなしです。
☆高松・牟礼の太田氏から近作画像が届きました。
これはこの秋のシドニーの展覧会へコンテナで送る作品だそうです。
これは現在開催中の「瀬戸内国際芸術祭」の豊島に置かれた作品だと言うことです。
芸術祭の作品ではありませんが、豊島の石屋さんの依頼で、芸術祭期間中に何かしたいということで制作したものだということです。
豊島は素晴らしいところだそうです。
背後に芸術祭参加の青木野枝の作品が見えます。
3年位前から新疆ウイグルからやってくる黄砂(新疆ウイグルの砂漠は中国の核実験地帯で、多くの核物質が日本に飛来して多くの健康被害を引き起こしている)と一緒に、何か黒い悪鬼が宮崎に舞い降りているようです。
そして空港展を開催している空港ビルの中も、どうやら磁場が乱れてしまっているようです。
おかしなことが続きます。
先日は”肩たたき”に遭いましたし、昨日今日は空間出現に立ち会ってしまいました。
空間出現と言うのは、いわゆる何もない空間から突然色んなものが出現すると言う現象です。
(参考 http://www.visiore.com/masaki/buthuzo.htm)
今日の画像は、変哲もない日常品です。
でも二つとも、直前まで、その場にはなかったものです。
このメジャーに心当たりのある方は居られませんか?
昨日のことです。某氏と搬出の段取りの打ち合わせをしていました。
ある作品の梱包うちあわせで、寸法が必要になり、某氏が手荷物からメジャーを探しましたが、ありませんでした。
それで代用物で寸法を測りに行ったのですが、怪訝な顔をして戻ってきました。手には、なかったはずのメジャーがありました。
なんと測りに行った作品の上にメジャーが置いてあったと言うのです。
もちろん彼のものでは在りません。
彼が必要としたので、どこかから、現れて来たものです。
きっと、どなたかのところから、突然このメジャーが消えたはずです。
今日はこの割り箸が出現しました。
ある作品の色具合がとても綺麗で、赤い釉薬が醤油か何かを連想させたのでしょう。
私の目の前でその作品をなぜていた某氏の手に突然何かがくっつきました。
某氏もびっくりです。きっと綺麗な色に醤油と刺身を連想したのでしょう。
右手にこの割り箸がつかまれていたのです。
きっとどこかの飲食店から突然割り箸が消えたでしょう。
その代わり、同時に某氏の老眼鏡も消えてなくなってしまいました。
ほかにも今回は磁場の狂いを感じさせることが幾つか起きていますが、私の帰り際に大笑いのオチが付きました。
帰ろうと思ってパソコンの入ったカバンを持つとなにやら床に落ちました。
ナンダロウと思って拾ったら、なんと割かれた割り箸の半分でした。
そんなところに割り箸はありませんでしたし、加工の跡を見たら、上記の割り箸と同じ製造元のものでした。
ついに私も空間出現を果たしたのです。
しかも、役に立たない割り箸の片方だけと言うのがおかしくて、2人で大笑いをしました。
空港展はまだ2週間続きます。これからどんなことが起きるのでしょう。
私たちは毎日幾つかの消毒ポイントで消毒を受けています。
もちろん24時間体制で作業は続けられています。
このポイントでは自衛隊の皆さんや長崎県警からの応援の方たちが消毒作業に従事されておられます。
このごろようやく日中が暑くなってきました。
作業される方たちはごらんのように全身が防護服で覆われています。
これからはどんなに暑くて辛い作業になるでしょう。
週末には入梅が予測されています。
雨が降ると消毒液も消石灰も流されてしまいます。
☆次は全く関係ない画像です。
先日、空港展の会場でのことです。
某氏が電源の入っていない私のデジカメに向かって”太陽が見えるんだけど・・・”と言いながら中を覗き込む仕草をしていました。
彼がデジカメやパソコンを触ると障害が出るので、撮った画像が消えるとまずいので、勝手にデジカメに触らないように注意しました。
そして写した会場の作品画像をパソコンに取り込もうとしたら、やはり次のような画像が出てきました。
念写と言うのでしょうか?
やはり彼にはデジカメの中に太陽が見えていたようでした。
ほとんどカメラを持つことのない毎日でした。
今日は日向市の伊勢が浜での第23回砂の造形大会の審査に出かけました。
このごろ携帯のレンズが曇ってとても写りが悪いのですが、久しぶりにブログをUPしてみました。
口蹄疫の影響で参加者がいつもより少なかったのは残念ですが、素晴らしいお天気に恵まれて、皆さん笑顔で砂の造形に取り組んでいました。
やはり口蹄疫をテーマにした作品が幾つかありました。
優勝した作品も口蹄疫をテーマにした作品でした。
こちらは準優勝の歯科医院のチーム。
やっと念願の準優勝です。左の自転車は獲得した賞品です。
☆帰路は、朝にはなかった消毒マットが高鍋町の入り口の10号線に敷かれてありました。
もはや国道10号線を走る全車両が消毒の対象となりました。
このバンドのファイナルライブなので、妻と一緒に出かけました。
高校の文化祭に出場するためにクラスメートたちと始めたバンドで、ギターのまったく弾けない仲間さえ居て、次男は得意のギターを封印してドラムでサポートしてきました。
3年間の間にずいぶん聞くに堪ええるバンドに成長しました。
まさにこのバンド活動があっての彼らの高校時代は青春したのでしょう。
解散の理由を語る次男。
他の3人は宮崎に残りますが、4月から次男は博多に行きます。
とうとう最後の演奏が終わりました。
ステージの上から私たち両親や仲間たちへの感謝を述べてくれました。
いい仲間たちでした。