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昨日の強風も止み、いつもの穏やかな瀬戸内海が真っ青な空の下でキラキラと美しく輝いていました。
左に見える灯台のある島は”せかちゅう”に無人島の「夢島」として登場した稲毛島です。
素晴らしい景観に感動しながら走っていると、突如、要塞のようなお城のような建物の前に至りました。
直ぐに流政之氏のアトリエだとわかりました。
この場所は「太鼓の鼻」という景勝地で、アトリエの前はこんなに素晴らしい眺望が開けています。
さらに牟礼町の方に走って振り返ると、とても日本とは思えないような景色の中にアトリエはあります。
牟礼町へ戻って、石の民俗博物館の屋外作品を見ながら展望所へ登ると、最も美しく屋島の見渡せる場所との説明板がありました。
再び庵治へ戻り、うどんの”山”で高松最後の昼食を摂りました。
生醤油1玉、150円。醤油がとても美味しく、後味の良いうどんでした。
”山”からは、午前とは異なったルートで走り、志度湾へ出て、完成式の道の駅”源平の里 むれ”・房前公園へ向かいました。
帰路には、高速・高松自動車道からみる瀬戸内海の夕暮れのあまりにもの美しさに思わず叫んでしまったほど、本当に瀬戸内の美しさに囲まれた高松滞在でした。
起き抜けは上天気だったのですが、支所に着くころから大降りの雨になってしまいました。
支所で私のルーツ確認作業です。
私たちが聞いていたものとは違う人間関係があり、頭が混乱しましたが、いずれにせよ、私の血は確かに土成町がルーツだと言うことが確認できました。
午前は昨日に続いて霊場めぐりをしました。
☆まず上板町との境にある第7番十楽寺へ。
こんなもの作ったらダメですね。
☆さらに板野町の第6番安楽寺へ。
☆続いてひなびた山間部の山あいに開けた広大な第5番地蔵寺へ。
間違って背後の五百羅漢へ先に行ってしまいましたが、参拝者は誰も居ず、しかしとても重厚な趣のある古刹で、珍しく拝観料を取っていたので拝観しませんでしたが、ホテルへ帰ってネットで調べると、等身大の木造の五百羅漢像が並んでいるとのこと、次回は是非機会を得て拝観すべきと後悔しました。
こちらが地蔵寺本院。
と、本院の廊下に雨晒しの気になる赤い木造が。
何者なのかは、後述しますが、なんとも迫力があります。
☆さらに山奥に入ると、第4番大日寺がありました。
ここにも雨晒しの赤い木造が。
こういう由来の像でした。
取り立てて何も見るべきものは無いか、と思っていたら、回廊のガラスの中にこんなものが。
かなりしっかりした江戸時代明和年間の西国三十三観音像と言うことでした。
☆土成町へ戻って、吉本家のあったらしい地域を探してみましたが、土成は大字で、小字名がわからないので、どのあたりに先祖が居たのかはわかりません。
土成町は今でも中心街でも田畑が多く、藁葺きの家も多いほんとに長閑な雰囲気の田舎町です。
小さな町なのに素晴らしい古刹が散在し、とても精神文化的に豊かな環境です。
三木武夫元首相も土成出身なのです。
どうしてこんな素晴らしい土地から、高鍋へ移住したのでしょうか。
☆午後には高松へ帰りました。
寺竹石材にあいさつに出向き、「世界の中心で、愛をさけぶ」のロケで使われた雨平写真館のある”庵治交流館”へ足を伸ばしました。
交流館の中では庵治の秋祭りのダンジリなどを展示したお祭フェスタが開催されていました。
11月30日までなので、うまく行けば高鍋町のまちなか再生事業の視察でも立ち寄れるかもしれません。
☆今日は日本中が低気圧で荒れています。
庵治の城岬公園もものすごい強風で歩けないほどでした。
天気の好い一昨日は直島観光に当てましたが、昨日今日の2日間は、あらかじめ決めていた予定は徳島に居る長男を訪ねるのを兼ねて、私の曽祖父の出身地・香川県大内郡丹生を訪ねるのと、私の血流の直接的なルーツである曾祖母の出身地・徳島県土成町へのルーツ探しの旅だけです。
それだけだと1日あれば充分です。
考えあぐねた結果、四国霊場巡りをしながらのんびり徳島への小旅行をすることにしました。
高速は使わず、一般国道で徳島へ向かいました。
昨日は午前のうちに雨になってしまいましたので、画像が暗く写りが好くありません。
☆まず出発して直ぐの第86番志度寺へ。志度湾沿いのお寺で、向かいには私たちの彫刻の設置してある房前公園が見えます。
立派な五重塔や重要文化財の仁王門、作りの重厚な本殿等見事なお寺でした。
しかし、平成の改修中で、境内は無残なほど乱雑な有様でした。
隣のお寺には平賀源内の墓がありました。
☆次に第87番長尾寺へ。吉野山で義経と別れた静御前が得度したと伝えられています。
☆国道11号線へ戻り、いよいよさぬき市の大内丹生(にぶ)へ至りました。
平成の合併によってさぬき市になったので、電話帳をめくっても丹生の番地はありませんでした。
丹生駅や農協大内丹生支店の所在を確認して、ここいらが田中のルーツなのだろうと確認。
田中の祖先の墓はあるらしいです。
☆さらに走ると、田中家の家紋・三階松の由来となった三本松を過ぎ、いよいよ養子であった祖父の出身地である白鳥町へ至りました。(ここまでの道筋は2年前に家族で通りました)
白鳥町と言えば、吉野で亡くなった日本武尊の神霊が白鶴となってこの地に飛来したと言う由来の白鳥神社があります。
田中家の祖先たちも何度もこの白鳥神社に参拝したことでしょう。
参拝して拍手を打つと、田中家を継いだ私が還暦の歳にこうして白鳥神社へ参拝するのも何かの縁かな、と感じ、思わず、”ただいま帰ってきました”と口にしてしまいました。
☆白鳥町からは山越えの318号線へ入り、徳島県の土成町へ入りました。15,6分も走ると徳島県へ入ってしまいました。やはり白鳥町の隣町は土成町でした。
あいにく雨の強くなってきた午後ですが、土成町の雰囲気を知りたく、ここでも四国霊場巡りをしました。
☆まず第8番熊谷寺へ向かいました。
堂々とした多宝塔などとても重厚で趣きと気品のあるお寺です。
そしてもっとも見事なのは畠の中に立つ大きな仁王門です。
高速から見下ろす位置にあり、私にとって私の血流のふるさとである土成町のイメージはこの山門がシンボルとなっていました。
私はどうしてもこの山門は訪ねてみたいものでした。
☆次に田園風景の中にある第9番法輪寺へ向かいました。
88箇所中、唯一、涅槃像が本尊となっていて、5年に1度だけの開帳とされています。
☆最後に雨の激しくなって夕暮れのように暗くなった、山深い第10番切幡寺へ。
土砂降りの中を、長い長い急な石段を喘ぎながら登っていきます。
どうしても見たい国指定文化財の美しい二重の層塔があるのです。
どうしてこんな美しいものが、こんな片田舎の山中にあるのでしょう!
☆昨日訪れたお寺はどれも素晴らしいものでした。
これほどの素晴らしい寺社建築文化が点在する恐るべき四国よ。
そしてこれほど小さな片田舎の土成町に国の宝のような寺社建築文化が散在することの凄さ!
雨が激しくまだ午後半ばなのに薄暗くなってきたので、土成町観光の後半は翌日の今日に回すことにして、早めに徳島市の長男のマンションへ向かいました。
☆このところ飲み会続きで、夜は家に居ることが少ないですが、日曜日の母の日も唐木戸陶苑で福岡・長崎五人展の作家の方たちを交えて呑んでいました。
長男からは切り詰めた学生生活の中から、ちゃんとカーネーションが送られてきていました。
それで、昨夜は一日遅れの母の日と言うことで、私と次男の手料理で妻をいたわりました。
メニューは長崎揚げ麺のカルパッチオとイタリアンバジルピザでした。
見よう見まねで、バイト先の居酒屋でピザを作っている次男に指導を受けながら、イタリアンバジルを作ってみました。高鍋のような田舎町ではバジルソースやブラックオリーブなどの材料を調達するのが大変でした。
そして出来上がりは・・・・一同が感嘆するほどの出来栄えでした。
携帯の画像なので濁っていますが、実際はバジルとトマトと濃厚なチーズの色合わせがとても鮮やかでした。安物のチリの赤ワインと良く合いました。
こちらは長男の送ってくれたカーネーションです。
”おかあさんいつもありがとう”というメッセージが添えられています。
私は母にカーネーションを送った記憶なぞありません。
今の子供たちは優しいんでしょうね。
で、こちらは日曜日の唐木戸陶苑での酒宴の様子です。
マンゴーや地鶏や、色んな宮崎ならではの味覚を堪能していただきました。