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昨日は午前のうちまでは小雨混じりのあいにくのお天気でした。
午後からはお天気も快復して、一気に暑くなりました。
☆今日の私の作品の進行状態。
☆夕刻に通訳の玉木さんご夫妻たちに来ていただきました。
☆夕食は、ジョンの作品の設置場所であるHancockの彫刻委員会の方たちとの会食でした。
皆さん素敵な方たちばかりでした。
☆会食の後は、Hancockの湖畔で開かれているスチールドラムの野外演奏会へ出かけました。
ちょっと幻想的な夕暮れでした。
こういう時は、なにかが・・・・・
素晴らしい虹景色をバックに楽しい演奏会が開かれていました。
玉木さんたちも演奏会に来られました。
☆一昨日(8月6日)と昨日(8月7日)の報告です。
☆一昨日は好く晴れてとても暑い一日でした。
☆私の方は、傷めた腰はなんとかストレッチなどで仕事に差し支えないくらいに好くなりました。
作業のほうはいろいろ道具のトラブル続きでしたが(HP日記に詳細)、学生アシスタントのマットに手伝ってもらいながら、輪郭落としの作業にかかりました。
☆打って変わって、昨日はせっかくの日曜日でしたのに、朝から雨で、次第に雨は激しくなってきました。
下半身はずぶ濡れで、寒さにこらえながらの辛い作業でした。
(今日の様子はこちらから First Sunday )
☆一昨日(8月3日)、昨日(8月4日)の報告です。
☆一昨日は、早朝に宿舎を出て、約3時間走ったところにある石材店まで石を探しに行きました。
ここでは高さは取れましたが、幅が取れない石しかなく、迷いましたが先に進まないのでこの石を使うことにしました。
☆帰りにジェシーも良く利用するという古道具屋さんに立ち寄りました。
あのマレーシアのガラクタ市のように何でもある店ですが、違うのはきちんと手入れされていることです。
モノをとても大事にするアメリカの人たちの側面を見ることが出来ます。
☆シンポジウム会場へ戻ると、ジム(カナダ)がルートハンマーとせり矢による石割を進めていました。
こういう技法は日本独自のもので、道具はすべてジェシーと星野さんが日本から持ってきたものです。
みんなやったことが無いので、矢入れはジェシーが行いました。
うまく行って拍手が湧きました。
☆昨日は朝から曇天で寒い寒い一日でした。
☆Blue Hillからエルジーさんが、私のBlue Hill来訪を伝える7月28日付の地元の新聞を持ってきてくれました。
☆お昼に私の石が届きました。
そのころから雨が降り始め、テントを張って墨入れをしました。
☆夜になってドイツのJorgが到着し、参加作家が全員そろいました。
http://hitoshit.web.fc2.com/2011Kartal.htm
☆そういえば、まだ私の作品をブログでUPしていませんでした。
作品は”MOON DANCE”、トルコ語では”Ay Danci”と書きます。
サイズは本体が200h×242w×70d/cmです。
☆いよいよイスタンブールでのシンポジウム初日です。実際は18日から始まっていますので3日目になります。
私は道具を揃えるのに夕刻まで掛かってしまったので、ほとんど線引きで終わりました。
シンポジウム会場は海浜公園の一角です。
すぐ近くにバザールがあり、とても車の通行の多いところです。
私の助手をしてくれる学生のORHAN(オルハーン)君に原寸型紙の写しを手伝ってもらいました。
☆昼食はKARTAL自治都市役所の職員食堂みたいなところでした。
☆買い物にはユーロは使えず、トルコリラへの交換所に案内してもらいました。
とても賑やかな商店街に在りました。
☆海浜公園には立派なシンポジウムの幕が張られていました。
☆シンポジウムには学生アシスタントが三人付きます。
そのうちの一人の女学生をアシスタントにしてもらってPetreはご満悦です。
☆もう一人のアシスタントのOZAN(オザーン)は笛の名手でした。
☆夜はKARTAL自治都市市長を囲んでの夕食会でした。
とてもおいしい一流レストランでした。
手前のユルブリンナー張りの方が市長。
OAZNは市長の前で笛を披露しました。
☆夕食後は海浜公園の一角で開かれている音楽祭に立ち寄りました。
実はシンポジウムは6月17日から26日まで開催される文化フェスティバルの行事の一つで、このフェスティバル期間中は毎夜ステージでコンサートが開かれるのです。
ところが私たちはセキュリティーに囲まれて、市長と共に舞台前の来賓席に案内されたのです。
今夜のコンサートはMOGOLLARというトルコの民俗楽器を併用したロックグループのとても魅力的なステージでした。
と、そこへ何とOZANが舞台へ上がって、笛の演奏を始めたのです。
そして彼の演奏の中でシンポジウム作家が一人一人ステージに上げられたのです。
私もこの直後はステージに立ちました。
驚きと感動の夜が終わって、ホテルへ戻ったのはもう真夜中でした。