[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
☆今朝、外国からの書留め文書が届きました。
トルコからでした。まさか・・・・・・・
そうです、オルガナイザーが替わってからまったく何の音沙汰もなくなり、開催は不可能になったのだろうと思っていたANTALYAシンポジウムからの招待状でした。
このシンポジウムは10月1日~30日までの開催です。
つまり、まるまる高松滞在と重なってしまいます。
当然キャンセルの返事をしなければなりません。
このシンポジウムには世界51カ国から227名275プロジェクトの応募があり、そのなかからのわずか10名の招待作家に選ばれたのです。
なんとも勿体無い!
トルコには行ってみたい。
トルコでは頻繁にシンポジウムが開催されますが、今年はどのシンポジウムも期間中に日本を留守にできない用件があり、ANTALYA以外は応募ができませんでした。
招待状です。
これは1959年に世界で初めての彫刻シンポジウムを開催されたカール・プランテル氏の85歳の誕生祝として、親交のある日本の彫刻家の皆さんが中心になってまとめられた日本人彫刻家のシンポジウム参加記録集です。
76名の作家(私を含め)のシンポジウム作品画像と、日本人が参加もしくはオルガナイズした彫刻シンポジウム一覧表が収録されています。
カール・プランテルさんと世界最初の彫刻シンポジウムについては以下のとおりです。
彫刻シンポジウムの発端
ハンガリー国境に近いブルゲンランドに在住のカール・プランテルは1958年ウイーンの南東に位置するザンクト・マルガレーテンのローマ採石場で作品「境界石」制作に取り組んでいた。その制作作業中、多くの芸術家たちが苦難状態にある時代に、彼の仕事現場の周囲にふんだんに存在する大型の石塊、石切場の職人たちの協力的な姿勢や運営者の寛容さなど、彼はここが理想的な制作環境を提供していることを発見したのである。プランテルの最初の構想はウイーンに住む精神医のフリードリッヒ・ツァガン及びウイーンの彫刻家ハインリッヒ・ドイチとの脇力のもとに具体化され、実現をみることになる。全ヨーロッパの、西欧と東欧を連合せんとする彫刻家の採石場での共同制作へのアイディアが開発され、その趣旨をマニフェストに謳いあげた。かくして1959年、周到な準備の末、最終的には11名の彫刻家が欧州8カ国(ベルギー、ドイツ、フランス、イタリア、オランダ、オーストリア、スイス、スロベニア)から集まり、12週間にわたってマルガレーテンの石灰砂岩採石場での制作活動に入った。出来上がった大型の石彫作品に関しては、その石切場を展示会場として一般公開されたあと、従来の慣例であった画廊や美術館を通して芸術作品を売買するという束縛からは脱して、あちこちから一ヶ所に集合して制作したのとは逆方向に、つまり参加者の国々に夫々作品の買い手あるいは公の空間に展示される場を見出そうという構想であった。中には何年か経過するうちに欧州内外に展示の場を得た作品が何点かあるとはいえ、構想のこの部分に関しては期待ほどの実現は見られなかった。石切場に彫刻家が集まり、一緒に仕事をするという、その当時にはセンセーショナルなイベントは報道関係にも強い反響と関心を呼んだ。民族間の友好、結びつきへの強力な推進力であることを強調して報道し、ことに彫刻家たちが通常の孤立した仕事場ではなく、意見やアイディアを交換しながら特定の期間一所に集まって制作すること、また一般人の立ち入りも可能であるその仕事場環境に言及した。さらにまた当時芸術作品の展示会場として極めて特異な舞台状況一採石場と風摩な景槻がかもし出す特殊な雰囲気一に大いに関心をしめした。この劇的な第一回目のシンポジウムのあと、ザンクト・マルガレーテンでは1974年までの間、彫刻家シンポジウムは殆ど毎年開催された。
「彫刻家シンポジュウム --その発端--展開--変遷」
ユタ・ヴォルトマン 2004年
このカタログは1500円(送料込み)というほぼ実費の廉価で販売されます。
貴重なシンポジウム資料です。
次のHPから注文できるようです。
http://ishikaraishie.sakura.ne.jp/index.html
☆今日は「日本・石の野外彫刻」の残り10冊と昨年の「2007花蓮国際石彫芸術季」のカタログが相次いで届きました。
2007花蓮のカタログは分厚いカタログですが、国際石彫芸術季がシンポジウムを中心にしての様々なイヴェントが開催されるものでしたので、それらのすべての催しを記録したものとなっています。
残念ながらシンポジウム作品の設置画像はありません。
私のページです。
カタログ写真を見ながら、よくぞ「たまゆら」が写らないものだなあ、と感心していましたら、ありました。アミ族のオバチャンたちが踊っている写真にはっきりと「たまゆら」が。印刷物で初めて「たまゆら」を確認しました。結構こんな形で知らない間に写っている写真が印刷物になってしまっているのでしょう。
☆朝食のときにShim, Byung-GunとLeeSun-Hyoungと別れ、お昼前にShim, Jung-Sooの車に乗ったAlber夫妻、そしてShinと分かれました。ベトナムのMinhは早くにソウルへ発ったようです。
お昼にCia Uniがお昼に誘いに来てくれました。
先日、天安に迎えに来てくれた女性の車で昨夜のあのものすごいエネルギーのあふれる湖畔公園の対岸のウナギ屋に連れて行ってくれました。
画像の対岸の中央の奥に公園があります。
(私は昨夜の画像説明でシャッターを切った方向の先に湖があると書きましたが、そうではなく大きな湖は反対側でした。)
実は2人は姉妹でした。
妹さんもAsan芸術家連盟に加入されていて画家だと言うことでした。
左が妹さん、右がCia Uni(本名は車 銀姫)。
来月の北京の展覧会の話をすると、会場になる清華大学美術学院はCia Uniの息子さんが1年前まで在籍していたところで、しかも同じ時期に北京のギャラリーで展覧会があって姉妹そろって北京へ行くのだということでした。
☆午後は民族博物館へ連れて行ってくれました。
Cia Uniも妹さんも民族村に住んでいるのだと言います。
だから展示されている韓国の伝統行事、儀式等はまったくそれが日常にそのまま継承されているのだと言います。
☆今日は夕刻にインチョン空港へ発つ予定だったのですが、Cia Uniが始発のリムジンバスに乗れば明朝のチェックインの時刻にギリギリ間に合うと言います。彼女も以前に午前8時チェックインに間に合ったことがあるし、早朝はラッシュが無いから早く走るのだと言います。
それでもう一泊することにしました。
ホテルに明朝のバス停への手配などしてもらいCia Uniたちと別れました。
☆今日はもう「たまゆら」も写ることは無いと安心していました。
しかし、ホテルの会議室で写ったのならひょっとしてこの部屋でも、と昼前に何枚かシャッターを押してみましたが、モニター画面では普通の画面でした。
しかしこのブログをUPするのに今日の画像をチェックしていたら、入り口のドアに向けての画像にいくつか「たまゆら」が写っていました。
また、オープニングセレモニーの画像をUPしていなかったので、午前にその画像選択をしていましたら、実はオープニングセレモニーの夜のカルビー店で、挨拶をするオルガナイザーのYunの周りにいくつかの「たまゆら」が写りこんでいることに気が付きました。
こちらに着いた夜は携帯でフラッシュが無いので何も写っていませんが、デジカメを買った翌11日から今日までの6日間連続して「たまゆら」が写ったことになります。
ひょっとすると大原館で初めて写ってから、他の場所でもデジカメでフラッシュを使ったら写っていたのかもしれません。
とまれ今回の韓国滞在はスピリッチュアルな経験旅となってしまいました。
まさに呑んで食べて歌って踊って、がメインのシンポジウムでした。
昨日の報告です。
シンポジウム会場へ行くと、スタジアムの奥のほうでクレーン車が私の作品を吊っています。
もう設置が始まっているのです。
あわててデジカメを持って駆けつけました。
韓国は地震が無いから設置は簡単なものです。基礎の上に置くだけです。転倒の心配のある作品以外は基礎と作品の接着はありません。
設置場所はスタジアム入り口から奥への上り坂にあり、入り口からまず最初に目に入ります。
ベトナムのHuang Tuong Minhと韓国のKImと一緒に。
☆夕刻までにはすべての作品の設置が終了しました。
夕食はシンポジウム最後の晩餐となりました。
韓国ダック専門の店で、まずダックの石焼が出てきました。サムゲタンのように中にもち米や夏目などが入っていて、とても香ばしくて美味しく、おかげで最後の晩餐なのにみんな食べるのに夢中になって会話が弾みませんでした。
次はダックの水炊きで、朝鮮人参などが入っていますが癖の無いとても美味しいスープでした。
締めはもちろん雑炊でした。
☆お開きをして外に出ると霧が掛かっていて、頭上には満月がありました。
ルナが満月を撮ってごらんと言うのでデジカメのシャッターを切りました。
すかさずルナが”写っている!”と叫びました。
私は気が付きませんでしたので、モニターで確認してみると確かに「たまゆら」が写っています。
今日はずっとシンポジウム会場でしたし、今夜の晩餐の場所も普通の場所でしたので、今日は「たまゆら」が写りこむことはないだろうと思っていましたので驚きました。試しに料亭の周囲にカメラを向けてみるとごく普通に写るのです。
みんなも撮りたくてカメラを向けますが何も写りません。
ただKimだけは私同様に普通に「たまゆら」が写ります。
(今朝画像をチェックしていて、すでに上の料亭内の画像にも「たまゆら」が出現しているのに気が付きました。)
☆帰路に料亭の近くの公園に立ち寄りました。オルガナイザーのYunによれば来年のシンポジウム会場だということです。
なんとなく「たまゆら」が写りそうな気配だったのでデジカメを押してみると・・・・・スゴイ!
この会場の奥は湖になっています。
「神井湖観光地」という公園の名前からして気配濃厚なのです。
8,45mの李忠武公銅像の上に満月が上がっていましたので、ここでは満月と銅像に向けてデジカメを向けてみました。
すると空一面に満月が!
この画像を見て私はあることを思い出しました。若いころインドに行ってから、空一面にたくさんの満月がある夢を良く見るようになったのです。
みんなもデジカメを向けますがKim以外はやはり誰のデジカメにも満月1個しか写りません。
特に事務局のラウラは自分も撮りたくてたまらず地団太を踏んでいます。
それで私が彼女のカメラを押してあげたら、写るのです。
彼女は驚愕してしゃがみこんでしまいました。
そして”あなたは宇宙人だ!”と叫びます。
この銅像の前の道路で夜なのに多くの親子連れが遊びに来ていて、子供たちが縄跳び遊びをしていましたので、ひょっとしてとカメラを向けました。
するとモニター画面が真っ白になりました。
次の瞬間、今度は私が腰を抜かしてへたり込んでしまいました。
何なのだこれは!
これは別に子供たちが花火遊びをしていたとか言うのではありません。
フラッシュの光る時間でこの状態ですから、ここでは「たまゆら」がものすごい勢いで動いているのです。
どうして私はこんな「たまゆら」が写るようになってしまったのでしょうか。
私自身、まったくわかりません。
こんなエネルギーのあふれた場所で開かれる来年のシンポジウムはどうなるのでしょうか。
口直しに、「たまゆら」の写っていない2次会画像を。
2次会はホテル近くのカラオケで、みんなで歌い呑み踊りまくりました。
本当にみんな好い人ばかりでした。
そして3次会は近くの食堂でビールを飲み続け、ホテルに帰ったのは今日の午前2時をとっくに回っていました。
☆昨日の報告です。
やはり時間的に無理、ということで私の作品の手直しは前面だけに留めることにしました。
実際、図面と画像だけで制作されているので前面・背面がまったくの相似形になっています。作品に変化を与える意味からも、背面はそのままの状態にしておくことにしました。
それで午前のうちに制作は完了し、昼食後にサインを入れて終了となりました。
実質6,7時間ほどのシンポジウム制作でした。
午後からは現代自動車工場の見学が入りましたので、やはりこれ以上の制作時間はありませんでした。
こういうシンポジウムなのだと割り切ることにしました。
午後3時から現代自動車の工場見学へ行きました。(撮影禁止でしたので画像はありません)
帰りに貢税里聖堂という教会に立ち寄りました。忠清道で2番目に長い歴史を持っている聖堂だそうで、迫害を受けた歴史の資料館がオープン前でしたが、見学させてもらえました。
資料館のステンドグラスが「たまゆら」みたいなので撮影してみました。
やはり扉のところに小さな「たまゆら」が写りました。
聖堂の中に下げてあった絵がまるで「たまゆら」を描いたのではと思えるものだったので、こちらもデジカメを向けてみましたら、やはり・・・・でした。
☆午後6時からホテルの会議室でコミッショナーのSeongrok, Seo氏のコーディネートによるシンポジウムディスカションが行われました。各作家がプロジェクターで写し出された各自の作品の解説をしていくというものでした。
Seongrok氏は昨日シンガポール・ビエンナーレから帰ってこられたばかりだということ。また私のHPも見ていただいているということでした。
この後の市内のレストランの晩餐会へ私はこのLet'snoteを持ち込み、前夜と前前夜の「たまゆら」の画像をみんなに見せました。
すると、Chia UniのアシスタントのStephenが私のデジカメを取り上げて、昨日撮った画像を全部チェックし始めました。
そうしたら、なんと思いもかけない場所、このホテルの会議室にも多くの「たまゆら」が写っていたのです。(上の教会のたまゆらは、今朝パソコンで気が付いた)
Stephenはインド人の留学生です。(奥さんは新潟出身の美しい女性)インド人にとってはスピリッチュアルな世界はあたり前です。
上の会議室での画像には実にたくさんの「たまゆら」が写っています。とくにAlberの胸の辺りには小さなものがいっぱい写っています。(今朝チェックすると、この会議室での他の画像にも何枚か「たまゆら」が写っていました)
宴会の席で、みんながお前のデジカメが特殊なのだ、いやお前の手が霊的なのだと言い合いますが、Kim Bae Hyunが自分のデジカメ画像をモニター画面でチェックし始めるや、顔面蒼白になりました。彼のデジカメにも前前夜の韓国式レストランの宴会の画像には「たまゆら」がはっきりとものすごい数が写っているのです。
ということはあの場に居た人は、だれでもデジカメを押せば「たまゆら」が写せたことになりますし、作家はスピリッチュアルな人が多いし、このAsanがとてもスピリッチュアルな場所だということでしょう。
Alberの妻のルナも実は「たまゆら」を知っていました。彼女の友人が「たまゆら」の画像をコレクションしているのだそうです。
これからだれでもデジカメ(フィルムでも携帯でも写るそうです)に「たまゆら」が写りこんでいくのではないのでしょうか?
下は夕食の宴です。
2次会はビアホールでした。