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それで昨日、張さんと黄さんにSibylleからのメールを見せましたが、残念ながら彼らは私たちの作品が設置された石雨傘峠の場所を知らない、ということでした。
昨夜、花蓮で一緒だった仲間たちにこのブログに載せた画像を送りましたら、Momo(呉の愛称)のガールフレンドから、なんとその石雨傘の設置画像が送ってきました。Momoと友人が先週、花蓮までサイクリングに行った途中で立ち寄ってくれたというのです。(台湾ではこうしたサイクリング姿をよく目にしました)
私は本設置の姿を初めて見ました。
念願の海をバックにした”The door of the wind”です。
感激です。
” Momo and a dear friend rode to Hualien last week. On the way to Hualien, they go to enjoy the sight of your and Sibylle's sculptures. In the attached files are the photos of your work, hope you would like it and share the excitement of momo's first long distance riding ! ”
Sibylleからも、写真を受け取ったとのメールが届きました。
”yes, I too got some great photographs from Momo and Jing-Yun! I am so happy to have them. It is also good to have the pictures of your sculpture. Now we know what these neighbours are doing beside the Pacific Ocean!”
石雨傘(Shihyusan)とはこんな景勝地です。
http://www.eastcoast-nsa.gov.tw/en/TourSpotDetail.aspx?SN=122
http://climb.travelog.com.tw/100001636P100030562/pic_view.asp#p
今日は朝まで残っていた雨も上がって比較的暖かい午前だったのですが、午後は雲が出て風も出てきて気温は上がらず、寒い一日でした。
明日は日本中がこの冬一番の寒気だそうです。
☆先日、台湾の蔡文慶から、いま参加中のアスワン・シンポジウム(エジプト)の画像が届いていたので掲載します。
このシンポジウムは期間も長く(1月21日~3月10日までの50日間)、石も硬い御影石で世界中のシンポジウムの中でも最もハードなシンポジウムだといわれています。私も色んな作家から誘われているのですが、今の時期に長期に家を留守にするのは無理なので、当分は様子を見ようと思っています。
☆今日は朝からさわやかな快晴でとても暖かい陽気でした。
しかしお昼ご飯を食べている間に、にわかに天は真っ暗になって強い風が舞い、一気に底冷えの冬景色と変わってしまいました。
午後半ばには雲間も開いて陽射しが回復し、冷え込みも止まってくれました。
☆今日は一日、制作。
昨日から手がけた石が、上部に傷が出てきました。削岩機で割るときに出来る”起き”傷です。
結局は予定の作品には使えません。
また最初から石の取り直しです。
夕刻までには大まかな形だしと砥石磨きまで行きました。
作品はもちろん”The door of the wind”シリーズです。
☆花蓮で一緒だったSybilleからメールが届きました。
このブログにも書きましたように、彼女は最終日までに作品が間に合わず、シンポジウム終了後も残って作業を続けました。
そこでほかに居残ったRobertや台湾の若い作家・呉(Wu、通称MOMO)たちと親密な時間を過ごしたようです。
"I too have very fond memories of the time in Hualien, it was a lot of fun, especially nearer the end. I spent a few days afer the symposium with "Momo" and his friends, and I am determined to go back some time and maybe apply for a residency there.”
彼女はモモたちと過ごすうちに、また台湾へ戻ってきてレジデンス(滞在制作)する決心をしたというのです。
台湾の作家たちは本当に親切です。
また彼女はこう言います。
”Here it feels very cold after Taiwan, there is snow and ice already and I want to go somewhere else. How is the winter where you live?”
ヨーロッパはすでに真冬なのですね。Carolineもオーストリアはもう雪だと言って居ました。
そういえばTobelが台湾へ頻繁に来るようになったのは、ドイツの冬は寒いので、それで台湾で制作をするのだと言っていました。
台湾は暖かいし、物価も安いし、手助けしてくれる作家たちも居るし、ということなのでしょう。
Sybilleも同じスタイルを選ぼうとしているのかもしれません。
左からMomo、Sybille、事務局のWen、Tobelのアシスタント作家のWen
RobertとMomoはこんなに仲良し。まるでおじいちゃん(81歳)と孫(Momoは38歳)。
☆今日はあいにくのお天気です。昼前から本格的な雨です。
☆夕刻にHPの10月22日の阿美族文化に触れる旅を更新しましたので、ブログでも追補画像をUPします。
台湾は日本軍が統治していたこともあり日本の文化の影響の濃い国柄です。その中で花蓮懸は特に大正時代に国の移民政策で四国の吉野川沿いの住民や北海道からの移住が多いところです。花蓮懸の地名には彼ら移民のふるさとの名前に変更されたところが多くあります。花蓮では日本人への対応はとても好いです。
当日の観光旅行はそうした日本からの移民の地域、日本統治の面影、そして原住民の阿美族の文化に触れる一日でした。
旅程はつぎのようなものでした。
1 森田造園
日本の移住地域にある花蓮で一番大きい造園屋。
お茶を入れてくださる森田さん。
2 日本からの移住者たちの作った煙草工場跡。
移住者たちは生活のために、医療、教育、製造業、警察組織など日本からのシステムを移入し、それが今の台湾の基幹となっているということ。
移入した一つに煙草工場がある。
床の表情も趣がある。
3 やはり日本によって開発された台湾ヒノキの伐採地・林田山。日本統治時代に樹齢2000年以上のほとんどのヒノキが伐採され、日本の寺社仏閣に使われた。 画像はその林田山の映画館(地域は日本式の社宅が立ち並ぶ町並みを作っていた)を改修した資料館・中山堂への上り口。
コブラも出ます。
そして観光客のための林田山社区珈琲館・摩里沙ソウ(上と下が合体した文字。)木造のとても落ち着いた瀟洒な喫茶店。京都にでもありそうな店である。外観はHPで。
ここであの10月11日のブログに書いた、私の作品がUPされた藝術季のパンフレットを発見。
やはり文化局の制作でした。
4 次に阿美族の文化資料村、馬太鞍でガイドの話を聞く。ガイドの蔡さんが阿美族の嫁取りの儀式をそのための衣装を着ながら面白おかしく説明してくれました。また彼らの生活の主な糧である魚捕りの技術についても実演を加えて説明。阿美族には文字がありません。そのためにか歌と踊りが大切な表現手段になってきたのでしょうね。蔡さんの説明の中でとても興味を引かれる部分がありました。日本と同じ名詞発音があるのです。尻、うなぎ、えびはともにシリ、ウナギ、エビなのです。
5 昼食は少し離れたは欣緑農園にて阿美族の民族料理。先日は馬英九氏も立ち寄って食事をされたということです。阿美族の住んでいるこの一帯は山のすぐふもとになるので(いまはほとんどの原住民は山から降りてこうして街場で暮らしている)、水が澄んでいて、無農薬無添加の自然食品が売りだということ。
6 午後には食後のデザートで花蓮精糖会社内のアイスクリーム売り場でアイスクリームを食べました。
こんなに大きい。
向こうに何か見えますが・・・
なんとこれは池の鯉のえさ販売機!
7 午後に前回の参加時のBernardの作品の設置してある運動公園へ寄りました。
8 そして夕暮れて、今回の作品設置場所の一つである鯉魚潭へ。朝野氏、林さん、Carolineの設置場所を確認。ここにはすでに桜井壽人氏らのこれまでのシンポジウム作品がいくつか設置してあります。
9 締めは花蓮市街郊外にあるリゾートホテ”PROMISEDLAND”でのディナー。ここは広大な敷地の中を運河が流れ、ボートで移動する。
作りが、私たちがドバイで観光へ訪れたMADINAT JUMEIRAHに似ている。スケールの差でははるかにドバイのリゾート施設には及ばないが、リゾートホテルの範としているのだろう。
(画像の良いのがないのでHPのほうでホテルのURLへリンクしてみてください。)
今朝の宮崎日日新聞の一面大見出しに宮崎ー台北直行便就航のニュース!開設の時期等はこれから協議だということですが、これから台湾との結びつきが強くなるかもしれない私にとっては願ってもない決定です。
留守中の新聞等はまだ見ていませんが、次男が教えてくれた私の彫刻関係の記事。
私が台湾へ発ってすぐの10月4日に、あの高千穂の木花開耶姫像が元の場所に建てられたようです。台座の高さは半分の高さになったそうです。あの埋まったままの趣旨銘板はどうなったのでしょうか。
あの事件でこれから観光客が殺到するかな。
また”タウンみやざき”10月号ではみやざき雑学王クイズという特集で、あの宮崎市のパブリックアート作品が”この銅像はどこにあるでしょう”というクイズで出題されていました。
鋳造のよくない2つの作品がこうして脚光を浴びるというのはなんとも複雑ですね
☆ここで花蓮シンポジウムでのグッズを2つ紹介します。
一つ目は藝術季のスタッフ全員が着用していたTシャツ。下部に私たちの作品のマケット画像が印刷してあります。
二つ目は切手になった私たちの作品マケット。