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☆ようやく今日から制作に入りました。
しかしいざ始めようとすると、電気コードから始まり何も道具が用意されていません。
メールではすべて用意してあるとあったのに、何の用意もありません。
エアーチッパーはありましたが、タガネが大理石用の櫛刃で御影石には使い物になりません。
良くぞ迷った挙句に道具を持ってきたものです。
それでも平ノミや石頭の900gのものは持ってきていません。
コードは慌てて買いに走りましたが、ノミのことはまったく通じません。
ようやくCia Uniが来て平ノミとハンマーを準備してくれましたが石彫に適したハンマーではありませんでした。
アメリカのAlberとベトナムのHuangは道具は何も持ってきていません。
そのうち新しいグラインダーが来て彼等はそれで作業を始めました。
私は持参のグラインダー1台でUFOディスクとダイヤカップを使い回ししなければなりません。
そして作品が建っているので、建ったままの作業は非常にやりにくいのです。
韓国の作家はやはりほとんど何もしません。
AlberもHuangも手直し程度です。
大幅修正の作業は私だけです。下手すると15日までには終わらない可能性があります。
☆夜はオルガナイザーのHeung Sub YUnの家に招かれました。やはり昨日の民俗村の中に家はありました。
敷地内に彼のギャラリーがあって、そこでの歓迎会でした。
彼もカララで学んだ彫刻家でした。
とてもやさしい具象彫刻を作ります。
中央のマフラーの男性がオルガナイザー。
ところで昨夜の市長歓迎の晩餐での写りこんだ丸い球はやはり「たまゆら」でした。
「たまゆら写真館」というサイトを見てみると掲載されている画像が大原館と昨夜のものとまったく同じようなものでした。
そのことをCia Uniに話し、今夜画像を送ってあげる約束をしました。
ところが・・・・・先ほどホテルに戻って今夜の画像をパソコンに取り入れてみたら・・・・・なんと今夜もものすごい数の「たまゆら」が写っているのです。
次の画像はお月様のような「たまゆら」がぽつんと青年の頭上に写っていますが、なんと「たまゆら」には目と口があります。
ギャラリー内ではCia uniの脇にはっきりした「たまゆら」が写っているだけでしたが、屋外で撮った画像は昨夜以上のものすごい数の「たまゆら」です。
特に左端の暗がりのものにはすべて目と口があるように見えませんか?
やはり民俗村という空間だからでしょうか。
でもどうしてこうして立て続けに私のカメラに「たまゆら」が写るようになったのでしょうか?!
Cia Uniに画像を送ろうとしましたが、なぜかエラー続きで送れません。
(「たまゆら写真館」の画像解説を読んでみると”たまゆら”は霊ではないようです。「地球がフォトンベルトに入り始めた頃から写り始めて、スッポリ入った今は写るのが当たり前のようになっています」とあります。)
☆昨日の報告です。
風邪はなんとか朝には少しよくなりました。
朝食後に作業用の防寒着を買いに出ました。大通りはまだ店が開いていませんでしたが、裏通りへ足を踏み入れるとダウンタウンの韓国らしい情景が広がっていました。10000ウオンのヤッケを買いました。
☆今日から制作だというので作業着に着替えて道具箱を持ってホテルのロビーで待っていましたが、指定の時間になっても誰も現れません。
11時過ぎてAlberとShim Jung-Sooがやってきました。
しかし誰も迎えに来ません。
ようやくオルガナイザーのHeung Sub Yunがやってきて、今日は予定変更で午後からFolk Villageへ行って夜は市長との晩餐会だといいます。
訳のわからないまま、作業着のままで工具箱を抱えてシンポジウム会場へ行きました。
そしてそのまま午後にFolk Villageへ向かってそこで昼食となりました。
縁台に座ってマッコリを呑んでの昼食です。
なんでもこの民俗村一体はオルガナイザーのHeungのお母さん方の土地で、彼は大金持ちの息子だということでした。
もちをつかされました。
☆まだマッコリやチヂミがお腹に残っているというのに、民俗村から近くの韓国式料亭へ向かいました。
市長との約束時間にまだ時間があったので、待合廟で待っていると女将と楽人たちが歌と演奏を披露してくれました。
市長代理のカンさんが来て宴会が始まりました。カンさんはショジュ(焼酎)とビールを割ったものを全員に一気飲みさせます。それが1周するとまた廻ってきて何度も一気飲みさせられてみんなハイテンションになりました。
そして又も踊りが始まりました。
このシンポジウムではまだ何も仕事をしていません。
そういえば韓国の大学の彫刻家たちは自分では制作をしないと聞いたことがあります。
だから作品はアシスタント(学生)たちに作らせて、シンポジウムは作家同志が集まって呑んで食べて歌って踊ってが中心なのだと言うことなのでしょう。
みんな私の個展のリーフレットを見て、大作の制作にアシスタントを使わないということに非常に驚いていました。
韓国式のシンポジウムと思えばよいのでしょうか。
上の写真にものすごい数の丸い玉が写っています。この舞台方面を撮った写真にはほとんど同じような丸いものが写っていました。(一つ前の踊っている写真にももう写り始めています)
友愛社でのSicko夫妻の時の”たまゆら”と同じものなのでしょうか?
デジカメはこちらで買ったものだし、フラッシュの影響であれば他のフラッシュを使った写真にも写りそうですが、この舞台方面の画像にしか写っていません。
とまれ、風邪気味のことは忘れて楽しい宴となりました。
そしてそのままシンポジウム会場のAsanスタジアムへ向かいました。
会場へ着くとあっと息を呑みました。
もう作品は出来上がっているではありませんか。
私たち作家は何をすればいいのでしょうか。
でも私の作品は図面とマケット画像だけで作ってあるので、外観は私の作品ですが、要所は私の作品ではないのです。私の作品のようで、私の作品ではない、のです。
電気配線、コンプレッサーの準備など普通のシンポジウム並みに設備が進められているので、明日から手直しの作業をするのでしょうか。
午後2時からオープニングセレモニーが開かれました。
Asanはとても寒く、オープニングセレモニーはスタジアムの影になっている場所で行われたので、ジャケットを着ていても寒くてたまりませんでした。
そしてその寒さが寒気になり体調がおかしくなってきました。
昨夜、部屋のエアコンが効きすぎていて、酩酊状態でスイッチの切り方がわからず、一晩中寒さに震えていたので風邪を引いたようでした。
夕刻にホテルに帰ってきたときはふらふらの状態でしたが、持ってきた風邪薬を飲んで少し仮眠を取って夕食に望みました。
夕食はカルビーでした。体力をつけようと無理して食べましたが、2次会がまた昨夜と同じビアガーデンで、ジャンパーを貸してもらっても寒くてたまりません。冷たいビールと寒さとでまたふらふら状態になってきたので、ホットミルクを飲んで早めにホテルへ戻りました。
これはお昼にスタジアムの近くで食べた温麺。
夕食はお決まりのカルビー。韓国の人たちは本当によく食べます。
これはカルビータン。カルビーの入ったスープですが、これをご飯にかけて食べるととても美味しいです。
宮崎空港へ着いてほっとしたところで大変なことに気が付きました。
デジカメを持ってきていないのです。
他にもいくつか忘れ物があることに気が付きました。
それで今日はオープニングセッレモニーが午後からなので、今日の午前に安いデジカメを買おうと思っています。こういうときはウオンが下がっていてありがたいですね。
ともあれ昨夜無事にAsanに着きました。
ホテルにチェックインして直ぐに近くの韓国式小料理屋で作家とスタッフの顔合わせ歓迎の宴でした。
参加作家同志は他の海外シンポジウムで一緒になったことがある縁だったようですが、私だけはまったくの初顔合わせです。
それで私は韓国語で”イルボネ ソオン タナカ ラゴ ハムニダ(日本から来た田中といいます)”と挨拶しましたら拍手喝さいでした。
やはり異国に行ったらその国の言葉で挨拶するのがよいですね。
料理の数が多いのが韓国式料理の特色です。次から次に出てきます。思ったほど辛くありませんでした。韓国ワインも美味しかったです。
2次会は近くのビアテラスでした。
会場ではライヴがあっていて、女の子が綺麗な日本語で五輪真弓を歌っていました。
昨日スロバキアのシンポジウムサイトの案内を送ったら海外作家からそれぞれのシンポジウムの画像が送ってきたのでここに紹介します。
まずはTanya(イスラエル)おばさん。彼女のスケールの大きさ、幅の広さ、内容の深さには誰もが圧倒されます。頻繁にシンポジウム報告が届きますし、いずれもが非常にインパクトの強い作品ばかりです。
最初はフランスのシンポジウムのアースワーク。関根伸夫の”位相ー大地”よりずっとスケールが大きくてインパクトがあります。
次はOsetiaのシンポジウムの作品。彼女のテーマである乳房と教会の組み合わせ。
次はFranca Friettelli(イタリア)のチェコでの木彫シンポジウムの模様。
そしていま韓国のMOSAN美術館で開催されているシンポジウムに参加しているSICKO夫妻の画像。これはシンポジウム会場の大口径のノコが稼動する工場。Janは7メートル、Slavaは3,5メートルの高さの作品を制作中。
☆台風13号が接近しています。宮崎は午後半ばからかなり風雨が激しくなってきました。今夜一晩中吹き荒れそうです。
今日は雨で家に閉じこもりきりになったのでずっとスロバキアのシンポジウムのサイトを立ち上げる作業をしていました。先ほどようやく更新作業が終了しました。
画像が多いので重いですが、たっぷり楽しめると思います。
是非訪れてみてください。
こちらからどうぞ。
http://hitoshit.web.fc2.com/2008Slovakia.htm
HPにUPできなかった画像を紹介します。
日記にも書いた絶品のシャンピオン(マッシュルーム)のフライです。
食感が高鍋の(あくまでも高鍋の小粒の)牡蠣フライそっくりなのです。
スロバキアの人たちは食事はまずスープから始めます。スープの次がメインデッシュ。付け合せは自由に組み合わせが替えられます。最後に大皿一杯のスウィートを男性も好んで食べます。
ガーリックスープは塩味の強い濃厚なスープで、パプリカで赤く色づけされ、こんがり香ばしく揚げたサイコロ状の食パンがたくさん浮かんでいます。
体も温まり元気が出るスープです。
作り方は簡単だそうですので、Slavaが高鍋に来たら作り方を教えてもらいます。
画像はトッポチアンキー村の観光用レストランのガーリックスープ。ここのスープが一番美味しかった。
ところで皆さんはスープの飲み方を知っていますか。
ある日、私がスープをスプーンで飲んでいるとHeidiがおかしそうに笑います。
何がおかしいの?
Filipがきゅっと口に指を当てて、”スープを飲むときに音を立ててはいけません!”
確かにみんなスープをスプーンで飲むときに、音を立てていません。
良く見ると、スプーンごと口の中に入れて流し込んでいます。グビッ、グビッという喉がスープを押し込む音しか聞こえません。
私も真似してやってみましたが、下唇からスープがこぼれたり、スプーンのスープを吹いて冷ますことが出来ないので熱々のスープが飲めません。
食事のマナーについてはよく注意されました。
いや、日本では茶道でも、そばを食べるときでもいい音を立てるのが作法なんだよと言っても、信じてくれません。私がタンを詰まらせて時々喉を鳴らすのも、ヨーロッパでは絶対人前ではやってはいけないことだそうです。
その一方で彼等は平気で食事中に大きな音で鼻をかみます。それこそ日本ではそんなことしちゃ駄目だよ、と言うと、じゃあどうすればいいんだ?!となります。
それから食事を取る時間の長さについても良く注意を受けました。
Heidiによく、”日本人はどうしてeat! eat!と急いで食べるんだ”と眉をしかめて言われました。
Ivanは夕食のメインディッシュを食べてしまうのにものすごく時間がかかります。あまり美味しくなくて食が進まないのかなと思っていたら、そうではなく夕食は時間をかけてゆっくり食べるのだと言います。
Janからも、私たちは小さいころ急いで食べると母親に”急いで食べると体に良くない!”と頭をぶたれたと言います。
ヨーロッパの人たちにとって食事は音を立てずゆっくりと精神の休養と栄養の効果的な摂取法を考えながら行うもののようです。
確かに日本人はせこせこ働き、急いで食事をします。
日本へ帰って機内の新聞を読んでいたら、ある人が真逆のことを書いていました。
私たちの世代は、ゆっくり食べていると、”人様の迷惑になる!”といって母親にビンタを食らって育ったと書いてあったのです。確かにそうでした。
日本とヨーロッパでは考え方の構造がまったく違います。
学校給食で食事の遅い児は邪魔者扱いされて、その児だけ食事を摂りながら周りではもうお昼の掃除を始めていると言う風景は、まさに日本的、ヨーロッパの人たちから見たら信じられない虐待でしょう。
日本とヨーロッパでは考えの構造が異なれば同じ道具でも形状が違ってきます。
ヨーロッパの人たちは日本の彫刻家が使っている石頭(せっとう)というハンマーは使いません。四角く重いハンマーで柄も短いものしか使いません。日本のハンマーはしなやかな長い柄のしなりで腕には力を入れず石頭の重量で作業をするのに対し、ヨーロッパの人たちは腕力でハンマーの重さを押し付けるという作業をします。私たち日本人はヨーロッパの人たちのハンマーは疲れるだろうなと思います。
でも日本に来たことがあるJanとFilipは日本の道具がとても気に入って、彼らのハンマーはすべて日本の美祢で買った石頭です。
このブログではHPで紹介できなかった(サーバー容量の関係で)画像を随時紹介していきたいと思います。
今日はまず各作家の完成作品の紹介です。
まず私の”MOON DANCE”
Ivan Rusev(イヴァン・ルーセフ ブルガリア)
Heidi Tschank(ハイディ・チャンク オーストリア)
Filip Sicko(フィリップ・シッコ スロヴァキア)
Jan Sicko(ヤン・シッコ スロヴァキア)
Jaroslava Sickova-Fabrici(ヤロスラヴァ・シッコヴァーファヴリッチ スロバキア)